2021年8月9日月曜日

メアリー・ポピオ(事業統括ディレクター) ・【戦争・平和インタビュー】世界に届け 被爆者の声

 メアリー・ポピオ(NPO法人 共同創業者・事業統括ディレクター) ・【戦争・平和インタビュー】世界に届け 被爆者の声

メアリーさんはアメリカ ボストン出身の29歳、学生時代に日本に訪れて被爆者と交流したことをきっかけに、5年前広島市に移住しました。   現在は世界に向けて平和を訴えるNPO法人を立ち上げ、オンラインなどを通じて英語で世界中の人々に被爆者の証言を伝える活動をしています。   広島から世界に平和を訴えるメアリーさんに核なき世界の実現に向けて何が大切だと考えているのか伺いました。

NPO法人PCV( Peace Culture Village)という団体で活動していて、平和学習と修学旅行のプログラムをメインの仕事としてやっています。   海外と日本の子供たち、学生たちを対象として広島でも、オンラインで広島の実相を伝えて、未来を子供たちと一緒に考えます。   オンラインだからできる事をいろいろな方法で、広島のアクセスを増やそうと思っています。   この半年で40か国からの人々にオンラインから提供できました。(2500人ぐらい)   アメリカ人向けのオンラインプログラムをやった時には涙が出た人もいたし、レバノンでのオンラインプログラムをやった時には広島のキノコ雲を見た時に、ベイルートの最近の爆発を経験した子たちとして、本当に共感できたといっていますし、シリアの人も被爆者の証言を聞いた後、強制移住民として自分の経験を証言して貢献できるかもしれないと、私の証言はここから伝えたいと被爆者に伝えて、めちゃくちゃ感動しました。

去年は原爆75年になりましたが、外国人はこれなかったが、技術のお陰で被爆者の話はコロナ禍のなかでも発信することが出来ました。   NPO法人PCVは広島での学びを追求、実践するアメリカ人、イギリス人、日本人のバイリンガルな若者チームです。  平和文化について考える機会を提供しています。   2025年まで37%の被爆者団体は続くことが難しくなります。 継承者が居ない、お金もない。  被爆者が居なくなっても次世代の平和文化リーダーをという事で取り組んでいます。

カトリックの大学で学んで、歴史で隠れキリシタンのことを学びました。   大学2年生の時に隠れキリシタンのこと調べるために、長崎に奨学金をとって1か月行きました。   原爆資料館に行って凄く衝撃を受けました。  核兵器は私にとって遠い問題ではないと思いました。    大学ではホロコーストについては学びましたが、広島、長崎のこと、パールハーバーのことについても学んでいませんでした。   戻ってから原爆について勉強し始めました。  翌年は2か月間広島に行きました。  堀江壮さんという方の被爆者との出会いで、堀江さんは英語で証言ができ直接に話すことが出来、印象的な出会いでした。    堀江さんは4,5歳の時に被爆しているが、丘の影にいたので生き残ったという風に言っていまして、家族はいろんなガンで亡くなりました。  放射線の恐ろしさを知ってびっくりしました。  アメリカ人に対して憎しみが残っているかを堀江さんに聞いてみたところ、堀江さんは「イイエ残っていない」といいました。  吃驚しました、クリスチャンですが私には許せるかどうかわからないです。  

被爆して生き残った人々は憎しみが残ってもこれを許し、平和を選択している人々で、未来の世代は二度とこのひどいことを経験しないように純粋に平和のために頑張っています。  この人たちとの出会いを広げたいと思っています。   ボランティアではなく、自分のキャリアを平和のために使いたいと、広島に引っ越すことを考え始めました。   卒業して2年ぐらいハーバード大学で働き、日本に行ったり来たりしました。   24歳で日本に引っ越しました。   スティーブン・リーパー(広島平和文化センター元理事長)にメールを送りました。  NPO法人をたちあげようとしているので来てほしいという連絡を受けました。  2017年にNPO法人PCVを立ち上げました。  私にとって平和活動は楽しいし、充実しています。 

一つの使命は外国人に被爆者の経験を伝えること、本当に影響を受けた人々のストーリーを知らないと、核兵器の酷さは判らないでしょう。  重要な情報なので伝えたい。     現在の祈りの泉のあたりに田中稔子さんという方の被爆者の幼稚園がありました。   田中さんの家族は原爆投下の数日前にちょっと遠くへ引っ越しましたが、幼稚園のクラスメートは全員亡くなってしまいました。   そういったことをオンラインだからこそ出来る、資料を全部組み合わすことが出来て、凄くわかりやすいストーリーとして伝えることが出来て、広島の歴史を伝えるだけではなくて、広島平和公園をめぐりながら、被爆者の声をあちこちに入れる方法もよく使います。   広島平和公園は被爆前は繁華街でした。  原爆のせいで繁華街の平和な日常生活、家族、文化、インフラなどが全部一瞬に消えました。 身近に感じる方法として被爆前のことも伝えることは効果的な方法だと思います。 

被爆者から、この活動から自分の価値観について学んだことができたし、自分のミッションについて、平和にどう貢献できるのか明らかになったと思います。   平和について何かしたくても、何から始めればいいのかわからないという事があるかもしれないが、ほかの人が経験したことは自分の経験のようになるなら気にするでしょう。   公人的なつながりを作ることが出来たら、人間が心理的にもっと関わる可能性があると思います。  一人一人は自分の中の平和を培わないといけないと思います。  自分の心が平和でないと世界は平和にならない。  だから憎しみを置いておいて次の世代のために未来のために進まないといけない、そういう話を聞いた時にはすごく感動しました。 

ツアーの一環として参加者と一緒に自分の平和に対する思い、願いを書いて壁に貼り付けますが、伊藤さんという被爆者の方が「許し」という事を書いてもらえました。  平和公園にある詩、「私のおばあちゃんを返しなさい、私のお父さんを返しなさい・・・」というようなことを書きたかったが、そういったことだと世界は平和にならないでしょう。 そういう思いを置いておいて、平和のエネルギー、愛のエネルギーを出して、未来に向けて行動したいといいました。  印象に残った経験でした。

核兵器禁止条約が発効され、凄く嬉しかったです。   多くの人に心の平和を紹介する作業が必要だと思います。  核兵器廃絶は人間の心の平和から来るかもしれない。  広島長崎に原爆が落ちた時には世界にグローバル被爆者がいます。   日本の問題だけではなくて国籍にかからわずみんなが協力すべきだと思います。   外国人と広島を繋ぐ機会を増やしたいのと、夢は私のような平和の仕事をやりたい外国人が広島で増えるという事です。