2021年8月6日金曜日

菊池智子(ヒンディー語翻訳家)     ・インドの子どもにヒンディー語で平和を!

菊池智子(ヒンディー語翻訳家)     ・インドの子どもにヒンディー語で平和を! 

福島市出身51歳、原爆の日の今日は国際協力基金や、現地のNGOと一緒に原爆をモチーフにした紙芝居をインドの子供たちへオンラインで届けます。  菊地さんはインドのネール大学でヒンディー文学の博士号をとったあと、平和をテーマにした日本の絵本や漫画をヒンディー語に翻訳し、読み聞かせを続けてきました。   首都のニューデリーで夫と子供二人と暮らす菊池さん、どんな思いでインドに住み続けヒンディー語で平和について伝えてきたのか、伺いました。

パンデミックで1年半以上家に閉じこもる状態が続いています。  4月に大きな第2波がきて本当に大変な状況になりました。  重症になっても病院にも行けないとか、救急車も足りないような状況でしたが、なんとか乗り越えて、6月には落ち着いてきてきましたが、第3波の懸念が続いて気の抜けない状況です。  

日本の絵本や漫画をヒンディー語に翻訳し、読み聞かせをしてきました。  8月6日には「ちっちゃい声」という原爆の話をもとにした紙芝居の読み聞かせをします。   NGOと一緒に日本の紙芝居をインドの子供たちに届ける企画を予定しています。   広島の原爆の話をもとにした珍しい紙芝居です。    脚本を書いた人はアメリカ人で日本語の詩を書く日本語の物語を書く、アーサー・ビナードさんという方です。  猫が主人公で放射線を浴びると体がどうなってしまうのかという事などを判りやすく教えてくれます。  紙芝居は日本独特の文化、芸術で世界中で愛されています。  英語でも相当する英語がなくてkamisibaiと言われることが多い。  

紙芝居の絵は丸木位里、丸木俊さんによる「原爆の図」が土台になっている。   原爆が落ちて3日目に広島に行って広島のすべてを目で見て体験して、そのあと「原爆の図」という形で1950年から32年をかけて全部で15部あるよる巨大な屏風絵を描いています。    アーサー・ビナードさんはこの絵に魅了されたようなんですね。   すべての人間、犬、猫、鳥、花、植物とか、そういうものの美しいところと、苦しいところの両方が表現されている。  見ている人が巻き込まれるような絵だと、「原爆の図」の絵はみんなを巻き込む巨大な紙芝居なんだとアーサー・ビナードさんは感じたそうです。  その絵のある部分を切り取った形で16枚の紙芝居にしたそうです。

「ちっちゃい声」の一部朗読。

「耳も細胞、眼も細胞、唇も細胞、指も全部細胞が作ってくれる。・・・赤ん坊の細胞はいい声を出しているよ。・・・今日は1945年8月6日だ。  赤ん坊の1歳の誕生日。  姉さんが朝ご飯を作っている。  じいちゃんがまたあの歌を歌っているよ。・・・その時いきなり「ピカーッ」」

「太陽より100万倍まぶしいのがキリキリキリと刺さってきた。・・・「痛い、助けて、つぶされる」お姉さんと赤ん坊が閉じ込められて動けない。・・・猫の僕だけ逃げて助かった。・・・広島に落としたのは普通の爆弾ではなく原子爆弾。・・・細胞を壊すものが降って土に潜って体の中まで潜り込む。・・・助かっても次の日、次の日、ジリジリジリジリ ジリジリ」

8月6日にオンラインで生でやることになりました。  アーサー・ビナードさんも日本から参加されることになっています。  2016年にアーサー・ビナードさんはインドにきました。  「ちっちゃい声」は原爆の話ですが、そこから広がってゆく話だと思います。  特に今の時代に伝えるのがとっても大切だと思います。   細胞に注目すると人間も、動物も、植物も、もともとはおんなじところだという視点に行きつくと思うんです。  普遍的なメッセージを私達、子供たちに送っている作品なんです。

私は学生時代からインドが好きでした。  インドのことをもっと知りたくて、高校卒業後東京のインドの専門学校に2年間通いました。   インドへ行ける奨学金を頂いてインドにきたのが始まりでした。   母に国際電話をするのにも電話がなくて、とにかく何にもありませんでした。  ようやく慣れてきたのが1年後で、まだ帰れないと思いました。   インドの大学に入学することになり、ヒンディー文学を専攻し、修士、博士課程を修了しました。  1930年代は多くの旧習に縛られていて、2級の人間とされていた頃の女性で、自分の意見を人前でいう事がタブーの時代です。 1930年代の有名なインド受精文学者でマハディーヴィー・ワルマーさんという方がいますが、 彼女はそんな時代の中で女性の自由と自立を堂々と叫ぶんです。  当時は教育を受ける女性はほんの一握りでした。    心に刺さる彼女の言葉があるが、「幸運にも知識や教育を得ることができた知識階級の女性としてそうでない女性に覚醒をもたらすのは私たちの義務だ」といっています。  この一文を一生をかけて貫いた女性なんです。  詩、エッセー、随筆も書きます。  女性がどれだけ耐え難い思いをしているとか、嘆きがあるのかとかをすごく叫んでいる部分が見えて来るような詩でもあります。   

インドで暮らしてみて不自由だらけでした。  1993年でしたが、極端に外国人が少なく女性だという事で、インドで女性が一人で生きることがどれだけ大変なものか、身をもって体験することが出来ました。   街に行くと毎回痴漢には遭います。  私は一体人間なのかと思ってしまいました。    目の前のことを一つ一つやっている間に時間がたったという事もあるし、一度始めたことは最後までやりたいという事もあって、なんでそんなに長くインドにいるのかと言われたりしますが、前世では私はインド人だったのではないかと思っていたりします。      ヒンディー語は民衆の言語なんです。 ヒンディー語で話をすると、飾らない形で会話が出来ます。    

インドでは戦争がなくても、みんなが貧しくて大変な思いをしているし、全然幸せではないという中で、人間だという尊厳があって暮らせることが本当の平和なんじゃないかという思いがあって、自分には何ができるのかという事を考えていました。   子どもを産んでみて、人生ってそんなに長くはないんじゃないのかなと思いました。   平和にどうやったら貢献していけるかと考えた時に、原爆が落ちたという事で、インド人の方々、特に子供たちに伝えて行ける事が出来たらなあと思いました。 そこで翻訳という言う事を考えました。   2009年に初めて絵本「広島のピカ」をヒンディー語に翻訳。  つてがないのでインドでも有名な出版社に飛び込みで話を持ち込みました。  連絡もなく駄目だと思っていたら、翌年東日本大震災が起こりました。  私も福島の出身なので驚きました。   インドでも大きく取り上げられました。   原発と原爆は違うんですが、出版社の人が「広島のピカ」のことを、その年の10月にヒンディー語に翻訳して出版することが出来ました。

国際交流基金という団体があることが判って、「広島のピカ」を使って文化交流が出来ないかと思って、「広島のピカ」の朗読会が実現することになるわけです。     国際交流基金ニューデリーと共催で今年の3月東日本大震災の実話をもとにした絵本の読み聞かせの会をオンラインで開きました。   

ハナミズキを目印にして避難経路を作ろうという事があって、絵本のなかに大切なメッセージがきっと残っていくんじゃないかなと思って、伝えなきゃいけないものを子供たちは受け取ってくれるのではないかなあと思っています。  本当の幸せは日常の中にしかないんじゃないかなあと思います。  インドの大切なこととかを日本に伝えて行ったり、日本の大切なことなどをインドに伝えて行ったりするのは、ずーっと続けていきたいと思っています。