2021年8月15日日曜日

富安陽子(児童文学作家)        ・76年目の盆まねき

 富安陽子(児童文学作家)        ・76年目の盆まねき

富安陽子さんは昭和34年生まれ、62歳、大阪市に在住。  絵本や童話、中学生向けのライトノベルなど様々な年齢の子供への本を出している人気作家で、その世界観は和製ファンタジーとも言われてます。   富安さんは2011年「盆まねき」という本で第49回野間児童文芸賞、第59回産経児童出版文化賞フジテレビ賞を受賞,これは特攻隊員として22歳で亡くなった俊介おじさんへの思いから生まれた物語で、お盆の意味や平和な暮らしの中につながっている戦争について気づかされる作品です。   2020年5月富安さんのところに思いがけない連絡が入りました。   特攻で戦死した叔父俊介の遺品がアメリカで保管されていて、日本の遺族に返還したいという連絡でした。   富安さんは家族の戦後について、作家としてどう受け止め、どんな思いを作品に込めてきたのか、伺いました。

「盆まねき」に出てくる人は私の家族をモデルにして書いています。  俊介さんは私の父の兄で、私は小さい時に祖母や叔母と一緒に東京で暮らしていました。   小学校に入学する前に両親と私だけ大阪に引っ越しました。   夏休の度に東京へ長期滞在していてお盆の時期を東京で過ごしていました。  そこには若い人の写真があって、そのうちの一人が俊介さんで父親のお兄さんで、戦争で亡くなったという事を知らされました。   戦争は私にとっては遠い話でしたが、その話を聞いた時にはショッキングでした。  


「盆まねき」の一部 「・・・ねえ大ばあちゃん、俊介さんはどうして死んじゃったの。  ・・・古い写真にはまだ若いひいばちゃんとひいじいちゃんと3人の子供が写っています。 ・・・どんぐり眼で笑っている男の子が俊介おじちゃんです。・・・3枚のうち最後に残った若い男の人の写真が俊介おじちゃんだという事はなっちゃんは知っています。・・・なっちゃんはどうして俊介おじさんはこんなに若いのに死んじゃったんだろうと不思議でした。  だから今大ばあちゃんに尋ねてみたのです。・・・ぽつんと言いました。  俊介さんは戦争で死んじゃったんだよ。  なっちゃんにヒヤリと冷たいものが流れ込んできました。  ・・・もうちょっとで戦争が終わる時に飛行機に乗って南の海に飛んで行って、アメリカの軍艦に体当たりをして死んじゃったんだ。  どうして体当たりをしたの。  敵の軍艦を沈めるためさ、そういう作戦だったんだよ。・・・自分も死んじゃうのにどうして俊介おじさんはやめようといわなかったの。  ・・・大ばあちゃん吐き出すように言いました。  そういう時代だったんだよ。・・・今から飛行機に乗って死にに行く人をみんなで「万歳」と言って送り出していたんだからね。 本当におかしな時代だったよ。  なっちゃんは何も言えなくなって、風に揺れるホウセンカをぼんやり眺めていました。」 

長男が亡くなって次に俊介さんが亡くなって、長男の時には遺骨が帰ってきましたが、俊介さんの時には戦争末期で特攻で亡くなっているので、何にも残っていませんでした。   その後南方に向かいますというハガキだけが来ました。   

極秘作戦だったのでなにもわかりませんでしたが、戦史研究家の菅原完さんが資料を捜して、ビックEというアメリカの空母に体当たりしたパイロットがいるという事でしたが長くわかっていませんでした。   それを菅原さんが突き止めてくださいました。   突っ込んだ時に叔父は飛行機から投げ出されたんですね。   遺体は残ってポケットにあったものとかがアメリカに残っていて富安俊介だという事がわかりました。(2003年)  聞いた時には息子が二人中学生で子育てに忙しくて、あまりピンとこなかったんですが、息子たちが叔父の年齢に近づいてくると叔父のことを改めて思うようになりました。   

叔父のことを書こうかと思ってもどう書いていいかわからず時が過ぎて、わからないなりにも書いてみようという気持ちになったのが、子供たちがちょうどそういう歳になった時だったと思います。  アメリカで戦史を研究している人と菅原さんとの交流があって、俊介おじさんの遺品があるので、遺族の方にお返しできればという事で、2020年にポケットに残っていた50銭紙幣を受けることになりました。  父は2019年に亡くなって居ました。   知らない叔父の遺品を私が受け取っていいものかどうか迷いましたが、アメリカから菅原さんへの連絡が5月14日の丁度叔父の亡くなった命日の日でした。 叔父だけはお墓の中に何も入っていなかったので、受け取りました。  生々しい感覚がありました。

「盆まねき」 お盆をどう過ごしたらいいか、共感できる部分。            主人公のなっちゃんは十五夜の満月、盆踊りの夜に或る男の子と出会う。  男の子に導かれ満月に向かって石段を登ってゆく。   「 ・・・こうして輝く月の光の中で眺めると男の子も青い影法師のように見えました。   身体の輪郭が月の光にぼやけ見覚えのある顔も滲んでよくわかりません。   あの世に帰るって、みんなこの人たち幽霊ってこと。 ・・・ この人達はなっちゃんよりちょっと早くあっちへ行った人たちで、盆まねきに招かれてこっちに遊びに来ていただけなんだよ。  お盆が終わるからあの世に帰るんだ。  ・・・あなたも幽霊なの。 ・・・人間は二回死ぬって知ってる。・・・一回目は心臓が止まった時、二回目はみんなに忘れられた時。・・・僕は一回しか死んでない、だってお盆に僕を思いだしてこっちに招いてくれる人がいるから。・・・忘れられちゃったらどうなるの、なっちゃんは尋ねました。  みんなが僕の顔を思い出せなくなって、いつか僕の名前も忘れてしまったら、僕の顔はぼやけて体の輪郭も薄れて、僕は少しずつ消えてゆくんだ。  すっかり僕が消えちゃったら、僕はもう僕じゃなくて、なっちゃんのご先祖様になるんだよ。  僕より前に忘れられてしまった人たちと混ざり合って溶け合って一つのキラキラした大きな塊になるんだ。  それも悪くないよね。・・・」

「さくらの谷」 今年第52回講談社絵本賞を受賞。  2019年に父が亡くなって、明け方に夢を見て、谷に満開の桜が見えて道を降りて行ったら車座になって楽しそうにお花見をしていて、よくよくみたら人ではくて鬼でしたが怖くはないんです。 輪に加わって、いつの間にかかくれんぼになって、探すと鬼ではなくてお父さんだったりしました。   桜の谷で楽しくやっているよ、というようなことだったのかなと思います。

必ず生まれた人は死ななければいけない、いつかはそちらに行かなくてはいけない。   命を繋いでゆくというのは、世代を重ねてゆく事、人間として命をつなげてゆくこと。