2020年11月9日月曜日

坂口 剛(車いすテニスプレーヤー坂口竜太郎選手の父)・ュース 【アスリート誕生物語】

 坂口 剛(車いすテニスプレーヤー坂口竜太郎選手の父)・ュース  【アスリート誕生物語】

息子は現在高校2年生。 通信制の高校とインターナショナルのスクールに行っていて平日は忙しい毎日を送っています。   テニスの練習は火、水、金、日、祝日の2~4時間やっていて、月、木はトレーニングをしています。

オリンピックパラリンピックの延期は余りにもかけ離れている遠い世界だと当人は感じています。   国枝選手はあこがれの存在だと思います。  比べてはいけない存在だと思っています。

事故があったその日に救急車で運ばれている途中に一度心臓が止まって、病院についても2度ほど止まって脳に損傷があるといわれて、植物状態ではないかと最初言われて、夜が明けて呼吸できるようになり、頭蓋骨が骨折していたり、チャイルドシートに座っていたのでシートベルトなどで内臓が全部潰れてしまって、体中の骨が折れていて、植物状態から今度は寝たきりになり、意識は戻ったが、会話できないだろうと言われていました。

治療はなく保存療法、とにかく触らないという事だった。  弱って行くわが子を見て、ハイそうですかとはいえなかった。   何日間か眠れなくて、電話回線を使ってインターネットをつないで調べて何かやれることを探していました。

見つけたアメリカのサンデイエゴでやっていた脊髄損傷の方専門のリハリビトレーニング施設では、衝撃的でした。  同じ怪我をしていた人たちがトレーニングして歩けるようになっている状況が見えました。  勇気と希望を貰いました。

トレーニングの映像を先生に見せてチャレンジできないかといってみたが、対応はしてくれず無理を言って2か月で退院しました。  私一人でアメリカのサンデイエゴのプロジェクトウオークに行きました。   あまりにも世界が違い過ぎて、楽しそうなスポーツジムというような印象が強かったです。  事故での損傷状態を説明したら、ちょっと難しいという話でした。   何度も断られたが、ほかに手立てがなかったので、レントゲンと英語で診断書を書いてもらって、行って施設の入り口に朝から晩までひたすら立って「お願いします」と言い続けて、一度連れて来いという事になり、日本に戻って一家4人で行きました。2年間リハビリを行いました。

2008年の北京パラリンピックのニュースで息子(5歳)が車椅子でボールを打っている場面を見ました。  調べてみたら車椅子テニスだという事を知りました。

アメリカでラケットを買ってあげたときには、実は手にもマヒがあり持てませんでした。 買ったラケットは卓球のラケットよりちょっと大きいぐらいのテニスラケットだったので軽くて何とか持てたが、振り回せないし、ラケットが肩よりも上にあがりませんでした。

千葉県の柏市では車椅子テニスをスクールでやっているという事で、家族で見に行きました。  そこに国枝選手がいて声を掛けてくれて、しばらくコートで遊んでくれて、その経験が息子にとって根底にあるよう気がします。  神奈川に住んでいましたが、柏のスクールに行くことにしました。(半年)

その後浦安に引っ越しました。  近所のテニスクラブに入れてくれないかと4,5か所行きましたが駄目で、自分が先生になるしかないと思って、テニスはやったことがなかったが、テニスらしきものを始めました。

偶然息子と同じ年の女の子との出会いがあり、同じような状況の車椅子の子がいるんだという事で救いになりました。  

浦安ジュニア車椅子テニスクラブという名前を付けて3人で始めました。  浦安では障害者でも受け入れるところでした。  寛容な地域でした。

アメリカのデズニーランドにいったときに、うちの子がゴーカートに乗りたいといった時に、何も言わず乗せてくれて、動かないが一生懸命やるうちに数メートル行ってまた停まってしまったが、スタッフが走ってきて、息子の後ろに馬乗りになってアクセルを踏むために手で足を押したんです。  ビリではあったんですが、最後まで走らせてくれました。

帰ってきてから地元の小さな遊園地に連れて行ったら、そこでは何一つ乗せてもらう事はできませんでした。  ひと悶着あったと思いますが、親が争っている、怒っている姿を見て、息子は「デズニーランドでもういいよ」といったんです。

それを言われてから我々親がいろんなことをやっていたことに対して、冷ややかに見ていたのかなと思いました。  俺がそうなんだから駄目なんだという風に、その時私は感じて怒らない様にしているつもりです。

2016年息子(中学1年)は日本ジュニアランキングでトップになりました。     一番は本人の努力だと思います。 他に一つ何かといわれれば運がよかったと思います。

スポーツだけにこだわっているつもりはなくて、何かをやりたいと思う気持ちが大事だと思っていて、親が設定する気持ちはないです。 子供の選択に対して応援をするというのが私たちのスタンスだと思っています。

2017年一般社団法人日本車椅子スポーツ協会を設立。  いろんなスポーツを楽しむ場面や機会が作れればいいと思って立ち上げました。

①車椅子を使って何かのスポーツをする。                      ②車いすに乗った子供たちが遊びや野外活動をする。                 ③講演会、体験会などを行う。

多くの方に現状を知ってもらうという事もあります。

息子を見ても変化は大きいと思います。  何らかのきっかけになってもらえればいいと思います。

障害者のスポーツを裾野を広げるためにはエンターテーメント、環境の二つがあり、私が今やっている活動として裾野を広げるために大事なことだと思っているのは、子供たちが大人になった時に色々な選択肢が持てるような大人になってほしいと思っていて、そのために必要なものは、スポーツや遊びを通して何を得たかという事だと思っています。

スポーツをする、勉強をするというのは子どもに取っては誰しもが与えられた権利だと思っていて、そこにプラスアルファして、地域の為、社会のために何ができるのかというのを、認識しなくても経験しておくという事は、将来障害者スポーツの裾野を広げるために大事なことだと思っています。  具体的には障害のある子供たちがボランティアをすることだと思っています。

車椅子の大会を一つ行いましたが、息子を含めて高校生組はボール拾い、審判をして、試合をするのはクラブにいる小学生、中学生が行います。

体験会、講演会などで積極的に彼らが運営したり、体験会を開催するということが大事だと思います。

将来環境を変えられる人材が育つのではないかと思っています。  現状のアスリートがもっと競技だけではなくて、地域貢献や社会貢献をすべきだと私は思っています。

本人が目指している以上、親としては全力で応援しますが、プロのアスリートになってほしいとか、パラリンピックに出てほしいとは思ってはいないです、ただやるからには精一杯親としては応援します。  それが結果的に本人の夢を叶える結果になるのであれば、それはそれで素晴らしいことなのではないかと思います。

息子に望む一番の親孝行とは、家族を持ってもらう事です。