穂村弘(歌人) ・【ほむほむのふむふむ】高校教諭・歌人 千葉聡
文庫本ができました。 「短歌ください 明日でイエスは2010才篇」というものです。 10年前のころの作品が中心で、解説を書いている寺井 龍哉さんはそのころまだ投稿する立場でした。(当時17歳)
高校教諭・歌人 千葉聡さん、1968年神奈川県生まれ、東京学芸大学卒業後シンガポール日本人学校で教員となりそのころから短歌の投稿を始めました。 帰国後は國學院大學大学院に進学1998年に短歌研究新人賞を受賞。 現在は横浜市立桜ケ丘高等学校で教員をしながら作家活動も続けています。 最新刊は「はじめて出会う短歌百」、これまでにも教員生活を描いたエッセーや小説、「今日の放課後、短歌部へ」「短歌は最強アイテム」などがあります。
千葉さんは「かばん」という同人誌に所属していて昔からの友達です。
「はじめて出会う短歌百」について伺いたいと思います。
千葉さんとは1997年に初めて出会いました。 子供向けの短歌を出したいという事で大人の雑誌の付録として出して、それが何冊か集まり、「はじめて出会う短歌百」にまとめました。
編集協力として 佐藤 弓生さん、寺井 龍哉さんに参加してもらっています。
「母の子は母が想うより母想う線路伝いに咲く菜の花も」 カン・ハンナ 日本で活動する韓国出身のタレント、歌人。
「いそいそとネットを張りて友を待つ豊かに寂し秋のコートは」 岩田正
テニスをするときに友達を待っていて、何となく寂しいがこれから友達が来るからという事で豊かな感じもある微妙な心を歌ったのかなと思いました。 豊かに寂しというところが魅力的ですね。
「あまり言葉のかけたさに あれ見さいなう 空行く雲の早さよ」 閑吟集より
好きな人が隣にいて話しかけたくて、でもいい会話ができそうにもなくて、空を行く雲のありのままの話をしている。 作者不明、室町時代の作品。 見たことを詠むという事は歌の基本かと思います。
「はじめて出会う短歌百」から穂村さんからの紹介。
「幼稚園のゴリラ先生とすれ違うもうゴリラではなくなっていた」 相原かろ(「浜竹」という歌集から)
卒園して数年してから道角かどこかで偶然すれ違って、ゴリラ先生だと思ったがあんまりゴリラっぽくなくなっていた、というところです。 相手が変わったのか自分が変わったのか。
「夏木立ひかりちらしてかがやける青葉の中にわが 青葉あり」 荻原裕幸(第一歌集「青年霊歌」より)
「わが青葉あり」と自分に向かって輝く青葉がある、これが若さの期待値、夢、プライドのようなものが「わが青葉あり」に含まれている。
*紀貫之が書いた古今和歌集の序文、「仮名序」を歌う。 千葉聡
「やまと歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。
世の中にある人、事業(ことわざ)、繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。
花に鳴く鶯、水にすむ蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌を詠まざりける。
力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の仲をも和らげ、猛き武士の心をも慰むるは、歌なり。」
「修学旅行で眼鏡をはずした中村が美少女でしたそれでそれだけ」 笹 公人(「念力図鑑」より)
眼鏡をはずしたところを中村が美少女だった、この歌の面白いのは「それでそれだけ」というところで、きっかけになってドラマが始まらない、逆に味わいがある。
「かへりみちひとりラーメン食ふことをたのしみとして君とわかれき」 大松達知
デートをして、別れるときに一人でラーメンを食べる楽しみがあるという事を再確認する細やかなこと。
「この夜がこの世の中にあることをわたしに知らせるケトルが鳴るよ」 佐藤りえ (「フランジャイル」より)
ぼんやりしていたら、ケトルが鳴って我に返った、何か自分が別の世界に心が行っていて、ケトルが鳴ることで自分をよみがえらせる。
「死にし子のポケットにある黒砂糖けふの三時のおやつなりしを 」 桃原邑子(「沖縄」歌集より)
桃原さんの長男のことを詠った歌。 凄く悲しい。おやつを食べる前に亡くなってしまった。 その後すべてを絶たれてしまう。
「好きだった雨雨だったあの頃の日々あの頃の日々だった君」 桝野浩一
しりとりみたいだが、そのころの思い出として胸に迫ってくるような重いようだけれども少し甘いような青春時代の歌と思いました。 技術的な魅力のある歌です。
*短歌のかな、漢字など違っている可能性もあります。