保科眞智子(茶道家、古伊万里再生プロジェクト代表) ・海を渡った古伊万里の再生にかける
東京虎ノ門にある美術館で現在「海を渡った古伊万里 ウイーン、ロースドルフ城の悲劇」と題した展覧会が開かれています。 ウイーンの郊外にあるロースドルフ城では代々の城主が日本の古伊万里や中国の景徳鎮、ドイツのマイセンといった陶磁器を多数収集してきました。 第二次世界大戦の末期、城を接収した旧ソビエト軍によってこれらのおおくが破壊され膨大な陶片が75年にわたって保存されてきました。 城主のピアッティ家を招いた茶の湯の席でこの話を聞いた保科さんは2019年有志と古伊万里再生プロジェクトを立ち上げ、学術調査や修復作業の支援にあたってきました。 今回の展覧会ではプロジェクトは特別協力という立場で参加しています。
「海を渡った古伊万里 ウイーン、ロースドルフ城の悲劇」 陶片、修復されたものを並べた展示会です。
5年前にお茶会を開いた時に、お城の城主のご夫妻にお目にかかったのがきっかけでした。
陶片の間に一歩踏み入れたときの衝撃、それとはまたひと味ふた味も違った暖かな感動を覚えました。
お城は1000年も昔に中央ヨーロッパの要塞として役割を担ってきた古城です。 18世紀まではリヒテンシュタイン家の持ち物で19世紀になって、現在の城主のピアッティ家になっています。
東洋の陶磁器が美しく飾ってあったが、旧ソビエト軍によってこれらのおおくが木っ端みじんに破壊されてしまいました。 城主は陶片の間に並べて大切に保管されてきました。 戦争遺産として語り継ぐ語り部として大切にしているとのことでした。
古伊万里とは日本で最初に焼かれた磁器です。 茶の湯では陶器を扱うことが多いです。
陶石を砕いて高温で焼きすめる、古くは中国で青磁、白磁など数千年にわたる高い技術のあるものです。 日本では江戸時代、現在の佐賀県有田町エリアで焼かれた歴史的に骨董的な価値も高い焼き物で、海外輸出用として伊万里港から出荷されたので伊万里と言われたりします。
古伊万里再生プロジェクトはロースドルフ城に所蔵されている約1万点以上の陶片を通して平和につくて考えるきっかけになればと思って立ち上げました。 2019年が日本とオーストリアの友好150周年という事でした。
最初茶の湯の友人たちに話をして、7名が参加していただきました。
プロジェクトは①陶片を繋ぐ ②歴史を繋ぐ ③世界を繋ぐ の3つのテーマがあります。
①陶片を繋ぐ 日本には金つぎをはじめとするつなぎの技術があります。 専門家の先生に意見を伺いました。
②歴史を繋ぐ 東洋の陶磁器が西洋の文化に与えた影響を私たちや海外の方たちも発見するという事になります。 戦争と平和の近現代史を語り継ぐこと、日本文化を次の世代に伝承してゆくというのもテーマにあげています。
③世界を繋ぐ 英語でお茶を海外の方々に紹介することにライフワークとしてることにもつながりましが、日本文化を世界の方々に積極的に伝えていきたいという願いがあるので、国際的な文化交流の場を作っていきたい。 グローバルな産業振興にもお役に立てればと思っています。
母親がお茶の先生をしていたので、抹茶の味が幼心に残っています。 戦国大名の保科家で受け継いできた品々は無意識のうちに歴史は生きているという事を教えてくれていたんだと思います。 家康公が武将にお茶とお能をたしなむようにという事で保科家でも代々お茶をたしなんでいました。
「英語で茶の湯」という本を出版しました。 簡単な英語で茶の湯の心をどう伝えるか、という事で実体験をもとに書かせていただいています。 日本文化、日本の心の隅々に行きわたっているもてなしに触れていただければと思っています。 お茶の日本語にも出会っていただければと思っています。
茶碗を二回回すという作法はお茶碗の擬人化で、高い技術、誠心誠意込められた努力、焼き物であれば炎という自然の手にゆだねて出来上がる作品、これに対しての最大の敬意として両手で持ち、正面からそのままいただくのはもったいないので軽く二回回して遠慮をする、これが作法の意味になります。
「海を渡った古伊万里 ウイーン、ロースドルフ城の悲劇」と題した展覧会は東京のほか地方巡回展を予定しています。
ヨーロッパでも展開したいとご希望をいただいています。 日本では古いものを大事にする、欠けても金を施したりして、直して価値を足してゆく、そういった文化があると紹介したらまさにピアッティ家が大切にしてきた思いそのものだと言われました。
世界は今いろんなな意味で分断されて、バラバラになった陶片が人の手によって繋がれる、これが一つの象徴として心が繋ぐ、未来に向けて少しでも明るい次のページをつづろうよ、というこのプロジェクトが国を越えて共感されています。