2020年11月24日火曜日

石川文洋(写真家)             ・80歳、列島を歩く

石川文洋(写真家)             ・80歳、列島を歩く 

昭和13年沖縄県那覇市生まれ、20代後半にはベトナムに4年余り暮らし報道写真家として戦争の最前戦で撮影を続けました。  カンボジアやアフガニスタンの取材でも知られています。   一昨年の夏80歳を迎えた石川さんは北海道から沖縄まで延べ11か月かけて歩き続けました。   現在横浜市で石川さんが日本各地で見つめた風景、出会った人々の写真を展示しています。  石川さんはなぜ旅を思い立ち何を見つめたのか伺いました。 

日本列島を分けて歩きました。  その場所その場所にいろんな思い出があります。    心に触れたときにシャッターを押していて、全部で3万5000ぐらいシャッターを押していて、一日に150回ぐらいで、150回感動して心に触れているという事です。

65歳の時に宗谷岬から沖縄まで歩いています。  三浦雄一郎さんとは一緒に講演したりしたこともあり、三浦雄一郎さんは80歳の時にエベレストに登って、私は歩いてみようと思って歩くことにしました。  14年前四国巡礼の時に心筋梗塞の発作を起こし、カテーテル手術をしました。   今回7月9日に宗谷岬を出発しましたが、その前に4月、5月に2回またやっていて、担当医は定着するまで1年かかるので無理だと言われましたが、2か月後に私は歩きました。  2か月単位ぐらいで分けて歩いてきました。  荷物は10kgになりました。

北海道では1977年の時に大寒波があり撮影に行きました。  今回も撮影した人達と再会しました。  当時撮った娘さんのご主人、お孫さんとかとも会うことができました。

一日に15kmのペースで歩きました。  東北では東日本大震災の復興の様子などもカメラに収めました。   太平洋側を歩いていろんな人に会う事も出来、一番驚いたのは防潮堤のそそり立つ高さでした。   海が見えなくなってしまってました。

陸前高田の古い呉服店、醸造所と人とを以前撮影しましたが、土地のかさ上げの大工事をしていて前の町

がまったくなくなってしまっていて、以前の人にも会えませんでした。

一番ショックだったのは浪江町では大きな病院を壊していました。  医師もいなくて看護師もいなくて戻ってくる人もいなくて維持できないという事で壊していました。     みんなバラバラになってしまいました。 人がいないと復興にはならない。

歩いている間にいろんな風景があり、1年近く歩いてもちっとも飽きないです。

3万5000枚の中から、蛇、虫、犬、花、出会った人など250枚厳選して横浜で展示会を開いています。

「世界の美女」という写真集も出していて、55か国に行って美女を撮る時に、「笑ってください」といっても自然な笑顔にはならないので阿吽の呼吸でシャッターを押していて、今回も話をして打ち解けてきて表情も柔らかくなり、そういった瞬間にシャッターを押します。

カワウソだと思って撮ったらヌートリアでした。 本来日本にはいないはずの動物でした。

熊本の被災地にも行きました。  以前会った人たちにも会えました。  普段の暮しに戻れない人たちがたくさんいました。

沖縄に着くと、見る山が真っ白になっていて、辺野古を埋めるためにその山から土砂を取っているという事でした。  ゴール地点には友達が15人ぐらい来ていました。

その日に祝賀会があり、そこでの乾杯のビールは一味二味違っていました。 

沖縄の基地は日本の0.6%しかない土地に日本の基地の70%集中していて、歩いていて異様な感じがします。

オスプレーとかガンシップ(機関銃のついてヘリコプター)、戦闘機が飛んでいて本土を歩いていた風景とは全く違う風景が沖縄にはあります。

以前ベトナムに行ったときに撮影した娘さんのその後の家族の写真も撮りたくて、今年ベトナムに行く予定であったが行けなくて、今後行こうと思っています。  

これから四国遍路をもう一度行きたいし、芭蕉のたどった道も歩きたいです。