2020年3月19日木曜日

梶原千沙都(日本ヘルマンハープ振興会会長) ・「バリアフリーな音色を求めて」

梶原千沙都(日本ヘルマンハープ振興会会長) ・「バリアフリーな音色を求めて」
梶原さんは1960年大阪生まれ、夫の赴任先で出会った楽器ヘルマンハープを日本で普及させたいと帰国に合わせて2004年から本格的に活動を始めました。
ダウン症の息子にメロディーを弾かせてやりたいというドイツ人のヘルマン・フェーさんの親心から生まれた楽器ヘルマンハープ、日本ではまず音色の美しさに惹かれたシニア世代の女性を中心に広がりました。
現在では地道な普及活動が実り知的障害のある人たちも愛好者が広がりおよそ5000台の楽器が音楽教室をはじめ福祉施設などで演奏されています。

ヘルマンハープは25本の弦が張ってあって幅が34cm高さ65cmの大きさになります。
弦と表の板の間にヘルマンハープ専用の楽譜がありそれを差し込みます。
弦の真下に音符が表れています(黒い丸とか白い丸。)
それが直線で繋いでありその本を読むように上から下に弾いてゆくとすぐにメロディーを弾くことができます。
伴奏もできます。
1987年にドイツ人の農場主ヘルマン・フェーさんが4番目の子どもさんがダウン症で音楽が好きでしたが、好きな歌も歌えずこの子にメロディーを弾かせてあげられる楽器をあげたいと思ったが、いい楽器がなくて自分で息子アンドレアのために楽器を作るという事を10年ぐらいかかって取り組んだのがこのヘルマンハープいです。
息子の跳び上がるような喜びを見て、自分たちの楽器だけいしてはいけないと思って、ヘルマンハープを家内工業でやるという事を決心しました。
数がとても多くなってきて、健常者もやりたいというう事でシニア世代の人も増えていきました。

1987年に夫の都合でドイツに赴任してまた日本に戻ったりスイスにも住むことになり、2003年に旅行先のドイツで楽器の展示会で見つけました。
介護に関して興味を持っていました。
ヘルマンハープを弾いてみるととてもきれいな音がしました。
口コミでいい楽器だという事が伝わっていました。
ウイーンに戻って、娘が18歳の時に脳腫瘍になってしまって、手術をすることになり日本で手術をすることになりました。
後遺症が心配でした。
夫が帰国することになり、ヘルマンハープを思い出すことになりました。
夫と一緒にヘルマン・フェーさんのところに伺いました。
ドイツの教会でヘルマンハープの演奏会があるという事でうかがいました。 
障害のある方、健常者、高齢者、若者、音楽経験も様々で多くの方々が演奏していました。
音色も美しくて、ヘルマン・フェーさんの話もあり、感動して人類の宝として日本に伝えたいと思いました。

大坂で生まれて奈良女子大に行って、古い建築物の研究をしていました。
大学院に行って1年間行って身体を壊して、縁あって主人と結婚しました。
ドイツの小さな街で実践面で鍛えられて、ドイツの方々と親せきのような付き合いあをしました。
ドイツ語はいろいろ工夫して一生懸命勉強しました。
初めにしたかったのは介護のお店でした。
ヘルマンハープも介護に関係ある楽器でした。
子どもの頃は恥ずかしがり屋で赤面症で親も心配していました。
転機になったのが小学校の3年生の白雪姫で抜擢されて、そうすると勉強も段々できるようになりました。
合唱団にも入るようになりました。
ドイツに行っても合唱団に入ってやるようになりました。(20代後半で子どもを育てながら)
ヘリマンさんからは綺麗で簡素な声で歌いなさいと言われました。
*「アメージンググレース」の弾き語り  梶原千沙都

ヨーロッパにいる時から持ち帰りの準備を始めました。
運搬方法についても気圧、温度などを気にしないといけないので、運送屋さんを訪ね歩きました。
日本に持ち帰って広めていくために、ヘルマンハープを背負っていろんなところを訪ね歩きました。
簡単には広まらず、福祉のお祭りがあるから弾いてみないかとか、機会があるごとに演奏していきました。
大坂では段々広まっていきました。
みんなが安心して習える基礎が必要だと思って、メソッドの開発を自分自身がやらなければいけないような状況になって行きました。
2007年あたりから年間延べ3000人ぐらいを毎年教えるようになりました。
ヘルマンハープは今は全国に広がって5000台に近づいてきました。
令和元年に日本ヘルマンハープ振興会が障害者の障害学習支援にかかる文部科学愛人賞を頂きました。
千葉県教育委員会主催の障害のある人たちの学習の活動、「さわやか千葉音楽隊」というところでヘルマンハープのケーススタディーのようなことで始めさせていただいていて2年目になります。
ボランティアの人たちが育ってきていて、3年目はこちらが手を離せる状態になってきています。
コミュニティー活動の自立だと思います。

音楽療法にも使えるし、緩和ケア、リハリビテーション、高齢者介護などいろんな風に活用されるようになっています。
パラリンピックのフォーラムに参加したことがありますが、障害者初の競技をどう作り出していくかというのが議論の対象でした。
そこでヘルマンハープは凄いと思いました、障害者初の楽器ですから。
障害者初の楽器の愛好する人の9割は実は健常者なんです。
ダウン症の人のために作られた楽器だが、健常者の方もダウン症について思ってもらうきっかけになるんですね。
共生社会は思っている以上に障害者を助けるとかというよりも、健常者の心の壁を崩す、そこから一挙に進んでいくと思うんです。
教えてて思うのは、健常者って色々やる事があるので教わったことを結構忘れてしまうんですね、知的障害の人は習った事をあまり忘れないんです。
パフォーマンスで、健常者は舞台などでは上手に弾こうとか、間違ったらどうしようとか思うのですが、知的障害の人は淡々と自分のペースで弾きます。

ウイーンの知的障碍者の施設で研修生としてヘルマンハープを導入しているところに行きましたが、ウイーンではカバンなどはすぐに盗まれるんですが、ロッカーが無くてその辺に置いて踊りの輪の中に飛び込みました。
ハッと気が付いたらここはカバンを盗む人はいないんだと気が付きました。
バリアーフリーステージというものを自分のライフワークにしてきました。
ヘルマンハープは音に余韻があり、ゆっくりと自分に合ったテンポでいいんだと安心感を与えます。
とても癒されるのでストレスの解消にはぴったりの楽器だと思います。