2020年3月22日日曜日

田村隆(日本料理店 三代目)       ・【美味しい仕事人】三代で伝える「うま味」

田村隆(日本料理店 三代目)     ・【美味しい仕事人】三代で伝える「うま味」
平成25年和食が文化遺産に登録されまいた。
日本料理は世界の多くの人々から注目を集め、おおくの訪日外国人が器用に箸を使って和食を楽しんでいる光景を目にするようなりました。
東京築地に3代続く日本料理店があります。
和食の名人といわれた田村平治さんが始めた店は今年で74年になります。
四季の素材を椀に盛り香り豊かな汁を張り木の芽や柚子を添え、その熱々を客に勧めますが、そこに出汁という目に見えないうま味で客は心を動かされます。
現在3代目主人としいて腕を振るうのは田村隆さん(62歳)、NHK「今日の料理」などで和食を家庭でも気軽に楽しく作れるレシピを提案しています。
子どもたちに出汁のうま味を伝える活動にも取り組んでいます。
少しでも多くの人々にうま味のおいしさを伝えていきたいと語る田村さんにお聞きします。

昭和21年に空き地を借りて、大工さんと一緒に祖父は家を建てたそうです。
伝えることに関しては祖父の場合は女子栄養大学に行って香川綾先生がいらっしゃって、これからは世に料理を広めなさいという事でしたが、一料理人なので矢張り下に見られたと言っていました。
香川綾先生からは人に教える時には「このぐらいです」といっても判らないので、小さじが5cc、大さじが15cc、1カップが200cc、という事で3つを作りました。
祖父は魚とかカボチャの大きさ、季節、水分量とかは一つずつ違う、何グラムという中に入っている栄養価、甘みも違うので表記するのは無理だと言って、講義を始めたが伝わらい訳です。
そこで考えて準備している壺に入れたものを全部測っておいて、祖父が使って減った分を測ってそれを黒板に書いたそうです。
そういう料理教室をやっていたようです。
日本料理はその時その時によって違うので、火の入れ方などそれぞれ違うので、同じ料理を作ったとしてもゴールは同じであっても違うんだといつも言っていました。

2代目の父の暉昭は今は引退して絵を描いたりしています。
席に着いた時に季節を感じていただければという事でお敷きに父が始めたのが俳絵画でした。
玉川大学文学部英米文学科を卒業後、大阪の料亭「高麗橋吉兆」に入門し、3年間の修業の後、「つきぢ田村」に戻りました。
「NHK「今日の料理」、「ごごナマ」とかいろんな番組に出させていただきました。
29歳の時に番組の話がありました。
まだ教える立場ではないと思って断ったが、祖父からは言われたからには出なさいと言われて、最終的に出ることになりました。
エッセーイストとして今度4冊目を出す事になりました。
本を書いてみませんかという話があり、文章などはあまり書いていなかったが、書いているうちにだんだん面白くなってきて、最初の1冊ができました。
先人のことが多かったです。
2010年「現代の名工」厚生労働大臣賞受賞しました。

祖父は福井県小浜市出身、生家は魚問屋で、14歳で京都の料亭に入門しました。
暖簾に「五味調和」という文字が書かれてあって、常に自分の銘にしていました。
六つ目がうま味で、最近はピリピリ辛い唐辛子は香辛料という事で味ではないという事で、今はうま味が五つ目になっています。
祖父は昭和7年に築地の料理屋さんに料理長としてきました。
白身の魚は関西、赤身マグロは関東です。
ハモの料理は東京では無かった。
「人に聞く事が大事、判っていても聞きなさい」と言われました。
「同じ料理でも違っていたら増えるではないか」といわれました。
「いいものは高いが高いものを買えと、高いものは尻尾の方も美味いから適材適所に使え」と言われました。
尻尾を使って安く提供するお昼のコースにして、今の前身となったものです。
材料を生かし切るという事は祖父から常に言われていました。
祖父は料理屋仲間から「平治はけち臭い、何でも金にする。」という様なことを言われたそうで悔しい思いをしたでしょうが、今はやっと祖父の悔しさがこの世の中に根付いてきて嬉しいと言っていました。
大根を薄くむくと捨てるしかないし、繊維が残るので美味しいところまで硬くなる。
厚く残った皮は干して戻すと一つの野菜になる。
「母校を訪ねる」という番組があり祖父が行って私も付いていって大根の事をやりました。

小さいころは父親は包丁を持たせなかったです、皿洗いでした。
大学を卒業してから修行に行きました。
力が無くてできないのに、店の御主人が来られて「つきぢ田村」の息子か、仕事さしてやってな、といわれ、そのギャップたるや、半年かかりました。
そこで3年の約束でやりましたが、私の礎になっています。
祖父からは「3年ぐらいで料理を覚えられる訳が無いので、人の嫌がることをやってこい、関西人になってこい」という言い方をしました。
地域に一緒になって仕事をしなさいという事でした。
ゴミ箱の掃除、風呂掃除、どぶ掃除、鍋洗いなどやってきて、やっていなかったので魚一本おろせなかった。
実家に帰ってきたが、先輩から「鯛もおろせないのか」といわれた時はガーンとやられた感じでした。
その一言があって今があるのではないかと感謝しています。

日本料理をどうしたら楽しく伝わるかという事から、私なりに考えました。
フライパンを日本料理に使ってもいいんじゃないかと思って工夫してやりました。
落し蓋も木ではなくてアルミ箔でもいい訳です。
ボランティアで「味覚の一週間」という活動をしています。
フランスで30年以上前からやっているイベントを日本に取り入れたのが15年ぐらい前です。
色んなシェフたちがそれぞれの全国の小学校に行って、自分のジャンルのうま味、甘み、しょっぱさなどを教えます。
対象は3,4,5年生ぐらいです。
鰹節と昆布を持って行って、味噌汁を作るわけですが、うま味が多いと言ことは塩分とかの濃度を少なくする。
減塩にも繋がるし、味も美味しい深みもある。
お湯だけに味噌を入れると味噌の香りはするが味は薄くなる。
両方飲ませると、出汁を利かした味噌汁は美味しい、いい香りがすると言います。
全員が出汁を利かした味噌汁の方に手を挙げるのかとおもったら、何人かは違っていた。
どうしてかと聞いたら、「お母さんの味がする。」といったんです。
それはそれで良しだと思いました。
和食料理を繋げてゆくためには、家庭でできることは出汁をひくという事は大事ですが、出来なければ調味料にほんのちょっと本物を入れてゆく事が大事だと思います、加えることによって味に深みが出ます。