2020年3月13日金曜日

武井照子(元NHKアナウンサー)      ・「戦中戦後の放送を生きて」

武井照子(元NHKアナウンサー)      ・「戦中戦後の放送を生きて」
武井さんは大正14年埼玉県生まれ、昭和19年戦争中にお国のためにとNHKに入りアナウンサーとして働き始めます。
戦後ラジオ番組「婦人の時間」の司会を担当しているときに結婚、一人のお子さんに恵まれます。
当時子育てしながら働き続ける女性はほとんどいない時代で、武井さんはNHKの働く母親第一号となりました。
28歳でディレクターに転身後は子育ての経験を生かし、子どもたちが言葉やお話を楽しめるような番組つくりに力を注ぎました。
武井さんは今も子どもに朗読する活動を続けています。

現在94歳です。
健康という事は一番大事です。
子どもの頃は本当に自由でした。
自然の中で暮らしていました。
健康の土台を作ってくれたような気がします。
小さいころからマザーグースを聞いて育ちました。
母が身体が弱かった分、叔父叔母が良く面倒を見てくれました。
言葉は意味が分からなくても楽しいものだと思いました、音韻も大事だと思っています。
健康だけでなく、精神的なもの、音楽もレコードがあってクラシックも聞きました。
昭和19年NHKに入社しました。
当時空襲が来るようになって、勉強ができない状態でした。
昭和19年9月に繰り上げ卒業になって、NHKから募集があり、やってみたらお国のためになるのではないかと考えて、受けたら通ってしまって、親に話したら母親は東京には空襲があり行くと命にもかかわる事なので大反対でした。
父は放送は大事だし、放送局は返って危なくないかもしれないと思ったらしくて最後には許してくれました。

5月に空襲があり叔父の家で一人でいました。
防空頭巾をかぶり逃げる途中に防火用水がありその水をかぶって目黒川まで逃げていきました。
朝までいて放送局まで歩いていきました。
放送局にその日泊まって、翌日また空襲があり放送会館の周りに焼夷弾が一杯落ちて、これは死ぬと思いました。
朝になって放送会館は無事でしたが、周り中廃墟で、太陽を見ても煙っていて見えないんですね。
戦災者慰問激励吹奏楽の楽団が演奏していて演奏の中で「どんな困難がありましょうとも、必ず試練に耐えて勝利の日のために、長大な最期のひと押しを送りましょう。
一機でも多く特攻機を、一機でも早く翼で仇を討つために共に頑張りましょう。」こういうことを言っていた時代です。
戦後にいろんな本を読んだ時に、単純にこの程度のことならばたいしたことはないなあとおもっていることがだんだん積もってくると、やはり大変なことが起こってくるんじゃないかなあと思います。
今の社会でも同様なことを思います。

戦後、GHQのCIEという民間情報教育局の指導による「婦人の時間」が始まる。
或る日スタジオに呼ばれて録音したんですが、それがオーディションだった様で、私に決まったようでした。
*当時の「婦人の時間」についての放送
23歳で結婚、翌年妊娠したがへその緒が絡んで亡くなってしまった。
亡くなって初めて子どもの大切さを感じて、泣き泣き暮らしていましたが、仕事に戻っていきました。
子どもの番組の担当になって行きました。
子どもたちが私の周りに取り付いてきて、子どもに対する考え方とか、かわいさとかがもう一回私に叩きつけられたかなと思って、次に子供が生まれた時にはそれがよくわかりました。(25歳)
当時国中が貧乏で大変でした。
当時子育てをしながら仕事を持つという事は大変でした。
追い詰められていて「仕事を辞めてもう一回初めからやり直す、何をやっても私は駄目」と長岡輝子さん言ったら、「辞めたら全部今までできなかったことができるの?」と聞いてきて、そういわれたらできないと思いました。
「人間は全部は出来ない、頑張る事しかない、50点でもいいから頑張りなさい、私もそうしてやってきたの、それでよかったと思っている。」と言ってくださって、心がすっとなって、できないことを人のせいに、仕事のせいにしていると思いました。
出来ないで当然、やってみようと思いました。

28歳の時にアナウンサーからディレクターに転身しました。
ディレクターは何にもない所から作るので、発想の楽しさがあるので子どものものをやっていきたいと思いました。
今やりたいことは何かを考えたときに、子どものことをやってみたいと思いました。
昭和29年「お話でてこい」が始まりました。(今も親しまれている。)
子どものものは女の人がいいと言われていたが、男性の語りで進めていきました。
周りからは反対されたが、段々慣れていきました。
自分の子どもを見て考えられたので良かったと思います。
昭和52年から「ことばあそびの会」を作って、昭和57年に朗読「ベルクの会」を作りました。
NHK退職後も朗読の活動を続けています。
大事なことは文字を読むのではなくて、意味を子どもに伝えて子どもの反応を引き出したいと思っています。
新美南吉「狐」 脚色:武井照子 話:武井照子

エリック・C. ホガード という人の「小さな魚」を読んだときに胸を突かれました。
イタリアの戦争の中での元教師が、「自分は一生懸命に沢山の本を読んだが、その中に書いてある作品の余白について知らなかった。
イタリアで自分は全体主義者だった。
ムッソリーニがイタリアの栄光について語ったが、戦争の悲惨さとかは語っていない。
語ったことは判るけれども、語らなかったことを知らなかった、それはみんながそうだったからということは言い訳なんだ」、と言っています。
何べん読んでもそれが心にあります。
「小さな魚」を子どもたちに読んであげています。
文学作品の中にある大事なテーマみたいなものを、今の子どもにわかってもらいたい、考える子どもになってほしいというのが願いです。