2020年3月9日月曜日

畠山聖子(新体操日本代表 畠山愛理の母)   ・【アスリート誕生物語】

畠山聖子(新体操日本代表 畠山愛理の母)  ・【アスリート誕生物語】
子育ての秘訣を聞いています。
畠山愛理さんはロンドンオリンピック団体7位入賞、2015年世界選手権団体種目別リボンで銅メダル、リオデジャネイロオリンピック団体8位入賞と活躍し、現在NHKのサンデースポーツのレポーターなどとしても忙しい毎日を送っています。

昨年プロ野球広島カープの鈴木誠也選手と結婚して、東京と広島を往復の生活をしています。
広島で試合があるときには絶対居たいという希望が強いんです。
アスリートフードマイスターの資格も取ったようです。
自分もアスリートだったので食べる事が大事だと実感していると思うのでそういった点でも支えたいという思いが強いようです。
名前には愛という言葉を入れたかった、愛を配れるようになってほしいという思いを込めて愛という字をつけたかった。
夫が理という言葉を考えてくれました。
上に兄が二人いたので、自分が出来ないことがあるとすごく悔しがって、負けず嫌いな性格も育ってきたと思います。
食べ物は珍しくカレーが嫌いでしたが、大人になったら食べられるようになりました。
小学校の1年生の時に運動をやらせたいと思って、近所で新体操をやっていて、そこに行くことになりました。
ピアノも習いました。(新体操に役に立ちました。)

楽しそうにやっていたので嬉しい気持ちになりました。
新体操にはあまり男性は関わらないので、夫は発表会とか試合にはあまり行かずにいて、その後大きな大会には見に行くようになりました。
子育ての方針は、本人の意志をなるべく尊重してあげるという考え方です。
脚力、瞬発力、バランスなどは遊びの中でちゃんとついてきていたのかなあと思いました。
ただ身体は硬かったので、風呂上りに毎日柔軟体操をやっていました。
小学校6年生の時に日本チャイルド選手権という全国規模の試合があって、入賞出来て今度はオリンピック選手だと卒業文集にも書いていました。
オリンピックという言葉が出てきて嬉しく感じました。
都心の練習場に行くので駅までの送迎の時間が楽しかったです。
技のこととかいろいろ話す貴重な時間でした。
中学1年生の頃強度の貧血になり、疲れやすくなってしまって、病院に連れていったら貧血だという事でした。
病院での鉄分の処方と食事も気を使いました。

中学2年の時に演技中に腰に激痛が走って演技は終えたものの、次のリボンの種目は無理で病院に行ったら全治3か月といわれてしまいました。
疲労骨折でした。
1か月後に団体の演技があり、先生から出てほしいという事だったが、その後の子どもの健康を考えるとできないと思って、最終的に2週間は安静にするという事で決着がつきました。
2週間で痛みも引いてきて徐々に練習もできるようになったが、精神的の追い詰められて体育館のドアのところで吐き気がしてしまったりして、新体操も辞めたいと思ってしまいました。
授業中に新体操のことを考えだしたら涙が止まらなくなり、保健室に行って自分の気持ちを全部ぶつけて話を聞いてもらったら保健室の先生が「辞めたいんだったらやめた方が、もし全日本ジュニアの大会に出るのであれば、コーチとかほかの人のことは考えずに自分のためにやったらいいんじゃない」と言ってくれたそうです。
気持ちが前向きになって、その先生の言葉が無かったら新体操は続けていなかったと思います。

その保健室の先生はロンドンオリンピックの時にはロンドンまで応援に来てくださいました。
先生の言葉は一人の人間の人生を変えるだけの力があるものだと思いました。
全日本ジュニアの大会の種目別フープでは2位になり、総合では8位でした。
中学3年生でフェアリージャパンオーディションに合格、新体操日本ナショナル選抜団体チームに入ることができました。
オーディションに合格後3日目にロシアに長期合宿に行くことになりました。
2012年17歳でロンドンオリンピックの出場が決まりましたが、前年の世界選手権で切符を獲得できました。
まさか夢が叶うとは思っていなかったので、周りの方々のお陰で有難かったです。
ロンドンでは7位入賞、立派だと思いました。
日本女子体育大学に進学、2015年世界選手権団体種目別リボンで銅メダル。
2016年リオデジャネイロオリンピック代表に選ばれ、団体8位入賞。
2分半の演技ですが、4年間かけて練習してきているので、息をつめてみてしまうほど一生懸命応援しました。
その後引退を表明する。
スポーツコメンテーターとして進路を進むことになるが、ほかのスポーツのルールが全く分からなかったのでノートを作って必死に勉強しています。
親子の会話が多い家族だとは思っています。
一番の親孝行は愛理が幸せに暮らしているというのを親に見せてくれることです、子どもが幸せなのが親の一番の幸せです。