2020年3月29日日曜日

佐塚元章(元NHKアナウンサー・スポーツジャーナリスト)   ・【スポーツ名場面の裏側で】「オリンピック放送の裏側で」

佐塚元章(元NHKアナウンサー・スポーツジャーナリスト)   ・【スポーツ名場面の裏側で】「オリンピック放送の裏側で」
56年前1964年の前回の東京オリンピックの放送が記憶に残っていると思います。
中学2年生でした。
オリンピックを伝えた放送ってすごく創造的で素晴らしいと思いました。
10月10日東京国立競技場で行われた開会式。
鈴木文弥氏のラジオ実況。
*「ラジオ深夜便」でのインタビュー
(絶対にラジオの開会式を完全にものにしようと思いました。 参加94か国を全部覚えて人数が違うのでその時間内に選手団のことを言えるようにしました。
ジョギングしながら架空実況を一か月やりました。 もうひとつは酒井義則君の聖火台でこれには架空実況を何度もしました。 163段の階段でどういったらいいか、53秒でやらないといけないと思って本当によく練習をしました。 本に書いていますが、この開会式は自分の最高傑作であるとうぬぼれています。)

鈴木文弥さんは「ウルトラC」とか「金メダルポイント」という新しい言葉も使って放送しました。
土門正夫さんはローマ大会からロサンゼルス大会まで7つのオリンピック放送を担当しました。
11年前「ラジオ深夜便」に出演した時に一番思い出に残るオリンピック放送で東京オリンピック大会のTVでの閉会式の話をしてくれました。
*(閉会式では何分何秒までびしっと決まっているわけです。 ふっと見たら旗の後ろから選手団が山のようになってくるんです。 あとはめちゃめちゃでした。
こっちは真っ青になってしまって、何にもなし、こういってやろうと思っていたことなど何も言えず、言っていたことは覚えていないです。 放送が終わった瞬間には全員真っ青でした。 放送スタッフの部屋のところに入ったら大拍手でした。
イギリスの有名なスポーツジャーナリストが「東京オリンピックの最高の成功は閉会式である。」と言って嬉しかったです。
それからのオリンピックの閉会式はあのスタイルです、定番になっています。)
伝える夢中さが放送の効果を上げたんだと思います。

1932年ロサンゼルスオリンピックでラジオ実況中継をやろうとしたが、地元の組織委員会との交渉が上手くいかなかった。
見てきたものを実感を込めて伝えるという放送になってしまった。
1936年ベルリンオリンピックから実況中継になりました。
*ベルリンオリンピックの女子200m平泳ぎの河西三省アナウンサーの実況放送。
「前畑 頑張れ」は30数回、「勝った 勝った」は連続12回言っています。
放送と聴取者が一体となりました。
1964年東京オリンピック TVオリンピックの幕開けとなり1968年メキシコ大会ではスロービデオが開発されてスローモーションビデオでも観られるようになりました。
1984年超高性能の望遠レンズが開発され、機材が小型化され、無線で映像が送れるようになった。
女子マラソンでアンゼルセン選手がS字を描くように動く姿を7分間優勝争いとは別に映して、超高性能の望遠レンズでアンゼルセン選手の表情を克明に映してTV放送の見方が変わってきた出来事でした。

日本のオリンピック放送はNHKと民放が合同でジャパンコンソーシアム( Japan Consortium)という組織を作って一体となって放送しています。
1976年のモントリオールオリンピックから続いています。
前回のリオデジャネイロオリンピックではNHK,民放半分づつで、TV、ラジオを合わせて30人ほどでした。
オリンピック放送機構(Olympic Broadcasting Services OBS)が世界共通の映像を作ります。
世界中のオリンピック放送の拠点となるのが国際放送センター (International Broadcasting Centre, IBC)です。

海外に行って担当すると沢山の競技を担当します。
例えば1992年バロセロナオリンピックでは体操をメインで6日担当、その後卓球、ハンドボール、ヨット、フェンシング、サッカーなど実況しました。
オリンピック放送は体力放送だと思います。
放送する資料を準備しなくてはいけなくて睡眠不足にもなります。
担当内容も流動的になり担当したこともないようなときもあります。
国内放送の環境を10とすると、2,3という様な状況です。
食べる事にも苦労します。
バロセロナオリンピックの女子200m平泳ぎ、岩崎恭子さんの金メダルを取ったときの放送を担当させてもらいました。
ふっと56年前のベルリンオリンピックの河西三省アナウンサーと同じことをしているんだなと思いました。

松本:1984年ロサンゼルスオリンピック体操競技 具志堅9,875 以上なら金メダルといったが正確かどうかわからなくて足がガタガタしたが、9.90でした。
涙が出て放送が続けられなかった。
世界最高の技、スピード、美しさ、戦術、トップ選手の精神力の強さなど垣間見みて、それを表現できる喜びはスポーツアナウンサー冥利に尽きます。