2013年3月13日水曜日

横田満(副院長)         ・カンカラ三線で被災地と連帯

横田満(精神科医・副院長)
岩手県山田町にある山田小学校では時々九室から「カンカラ三線」の音が聞こえてきます
これは、横田満さんを中心としたグループが山田町出身の知人を通して、送ったものです
横田さんは地震の後、被災地の子供たちを慰めようと、「おでんそーれかんからさんしん届けたい」というボランティアグループを立ち上げ、一昨年の秋にかんからさんしんをプレゼントしました
その後グループの人達はかんからさんしんの指導にも山田町に伺いました
今小学校の子供達は一生懸命練習に励んでいます

「カンカラ三線」:三線は沖縄の歌を歌う時に使う楽器 、日本の三味線と同じような作り 皮は蛇の皮、 胴の部分はミルクの空き缶等で作っている 廃物を利用して戦後何もなかった頃、沖縄の人が三線を使って歌いたいと思って作った物
当時はアメリカ軍の捨てたベットの材木などを使った 糸も米軍が捨てたパラシュートの布をほぐして、糸にして使ったもの
「カンカラ三線」を使ってなぐさめあったと言われている
沖縄の民謡は三味線が有ると歌いやすいので
沖縄の芸能等も教えて行きたいと思っている  5年10年と交流を継続していきたいと思っている
一緒に練習した子供達が卒業するので祝いたいと思う

報道で津波のシーンが何度も流されて大変心配していた
心のケアが大切だと思っていたので心のケアチームが直ぐに出来上がった
大船渡市の心のケアを夏ごろにやっていた  山田町出身の佐々木さんも来ていて、そこで彼と現地の状況を話していた時に、「カンカラ三線」は何もない時期に復興のシンボルであると言う事
戦後沖縄の何もない時に「カンカラ三線」を作って、歌で励まし合って前向いて復興してきたという話をした  届けることが良い力になるのではないかと考えた
カンカラ三線とは、たとえ戦争の憂き目にあっても音楽を愛し続ける、沖縄の人々の豊かな心が生み出したものなのですね。
半年後に届けた 歌には凄い力が有ると思った

定期的にボランティアで出掛けた  山田南小学校 かんからさんしんの歴史を纏めたビデオを作って情報提供したところ、校長先生がみてくれて素晴らしいなあと感動して貰って、山田南小学校に行くことになる
震災の為にキャリキュラムが遅れてしまっていたが、大変なのをあえて受けて下さった
「おでんそーれかんからさんしん届けたい」チームを立ち上げる
かんからさんしんキットがあってこれを送りました
町田さんしん店が大変協力して頂いた(募金も頂いて購入) 仲間がどんどん増えて行った
1回目が去年の2月に行った 
街の様子は建物が建っていないで、大変だなあと思ったが、皆笑顔で迎えてくれた
校庭の一部に仮設住宅が建っていた

まず砂糖きびを持って行って食べて貰ったり、沖縄の歴史(戦争等、)文化 自然、等を紹介した
次にかんからさんしんの作成に取り掛かって貰った  50本用意して先生にも作って貰った
時間が足りなかったので、模範演奏に留まった
2012年12月に2回目に行って来た  やり残していたさんしんの曲の指導、とか合唱とかをやった
「カンカラ三線おむしゅるむん」 (「カンカラ三線」は面白いよ)という曲
学校の行事でも弾いてくれたようです (先生も一緒に)
1人、でも2人でも続けてくれる人がいてくれれば嬉しいです
2回目の時には料理教室を開いて、沖縄料理を作って紹介した
山田町の虎舞を紹介して貰った  上級生から下級生に年年伝えている行事とか
とっても長い踊り

「ちょんだら」 浴衣の様なものを着て、顔を白塗りにして沖縄版ピエロと言った感じ(沖縄文化紹介)
ちょんだらは人気者だった
校長先生から心からの支援を頂きましたと言って下さって、とてもうれしかった
写真集を作って学校にも寄贈した
メンバー間でいろいろアイディアを出し有ったりしている
来年度も引き続き、なんかの形で沖縄の事を伝えて行きたいと思っている
沖縄の厳しい復興時期が有ったので、山田町の人も頑張ってほしいと思っている