2013年3月11日月曜日

加藤登紀子・和合亮一        ・今伝えたい言葉

加藤登紀子和合亮一
 対談
和合さんは高校の教師をしながら、詩を書き続けています
中原中也賞 受賞 谷川俊太郎さんとの共著でも注目されました
大震災のあと、自ら被災されながら、その想いをツイッターに広く発信しました
その内容は翻訳され海外でも紹介されました

加・「いまどこにいますか」という詩を書いた(加藤) 発信した事が最初
 4月12日に被災地に入る  
和・余震がひどかった 1カ月に1002回あった  5~10分に1回余震が有った
 毎日詩を書いていたが11日から16日まで詩をかく事が出来なかった
 自分が消えて行くような感じだった  アパートで詩を書き始める
加・ギターさえあれば仕事はできると思った(「いまどこにいますか」を作り上げて思った)
 夫が息を引き取った後、家に帰った時に母が卵焼きを焼いていて、家の中に充満していて、とに かく食べましょうと言う事になった それをすることによって前に進む)
 火をおこして兎に角あったまりましょうと言う事はあるのでしょう

和・生きているものに励まされて、生きているのではないでしょうか
 (あらーきー写真家 妻が亡くなってがっくりして1カ月位食べ物を殆ど取らすにいたら、部屋に猫 がいて、尻尾をぴんと立てている姿を見て、生きて行こうと思ったと言う)
加・私達は長く生きてきた 永く生きてきた者はその命の長さの分だけ、未来に責任が有ると思う
 その命の長さの分だけ、未来の為に伝える何かが有ると言う事なんです
 その分若い人達は自分はこれから生きなくてはいけない未来の分だけ、過去を知るべきだと思う
 若い人にとっては 突然来た大震災だと思う  
 いろいろ過去のものを受け渡す時が来たなと、私にはあるはずだと 思った
 逞しいのは上の人達だったような気がする
 子供達はさっき言った「猫のしっぽ」ですよ
和・子供達の作文を読む機会が有って、今の福島の抱えている問題は僕たちの代でも解決しない かもしれない、だけどその次の子供に余すところなく伝えたい 
 だけど次の子供達も解決しないかもしれない それでも解決しないときは孫の代に伝えたい
 そしてその孫の代が駄目だったら、ひ孫の代に伝えてゆきたい そうやって伝えて行く事を
 円を描くように、ずーっとさきまで見て僕は勉強したい という作文を書いている
加・悲しみには言葉を与えよう、言葉には歌を与えよう そしてその悲しみを歌に歌を歌っている うちに悲しみが大きな感動に替わり、喜びに変わって行く

 語り継いでゆく為に音楽が有ったんだろうなと思います
和・「詩のつぶて」 福島の現状をずーっと書き続けてきた
 避難所を取材してきたジャーナリストが来て、ノートに書き写して、其れを避難所で回して読んでいた  と言う  20年間詩を書いていてありがとうございますと 言われた事は無いが  ありがとうと言 われて、又書く勇気を頂きました
 歌うと言う事は言葉を広げて行く
加・相馬で民謡を歌って貰ったが、そのときには時空を越える世界、先祖が歌っているような想い
 何にも無くなっているのに、大漁節を歌っているときはその光景を思い浮かべる
和・「貝殻の歌」 相馬の海辺を見て書いた詩