2013年3月19日火曜日

下館和巳            ・東北弁で演じる喜劇 2

下館和巳(東北学院大学教授)
シェークスピアの喜劇のテーマは主人公の結婚
今回の劇は復活なので、ロマンス劇に近い  生き返らせ方を頭を悩ませた
温泉旅館に神父は合わないのでどうしようか悩んだ 神父の替わりにまたぎとする
ラストシーンは死んだはずが突然二人が音楽で起き上がる  (ラストシーンはどのようにお客さんが捉えるのか判らなかった)  ラストシーンは夢なんですかと言われた
意外に感じた  
亡くなった人の悪夢なのではないかと いなくなって1年、2年はなくなったとは思わない
今回は大道具を使わなかった  マタギが持つ銃は道具として使っているが、スナックのカウンターとか窓などもなくてイマジネーションの領域であった

私は塩釜市の出身ですが、母が塩釜、父は生れたのが八戸、育ったのが久慈市(南部弁)
塩釜弁の母と南部弁の父とで暮らしている  父は海産物屋を営んでいたので、東北の人達がいろいろの地域から働きに来ていた  方言の森の中に私は居た
家では標準語であったが、父の弟が来ると南部べんでしゃべっている 違う顔の様に二人でしゃべっていた  この事が不思議に感じた
学校では標準語をしゃべるようになっていた  東京で出て方言を厚い氷の下に押し込むような感じでいた  演劇部に入るが発音が違う事を指摘される
 「はし」  橋、箸、端の区別がつかないと言われる
厳密なことは考えていなかった 演劇なんかやめてしまえと英語劇に向かう
実は裏方の演出をやるが、演出は言葉の人  英語の演出なんて出来るわけがない

私は英語の勉強をしないと今後の自分の人生は暗いのではないかと考えた
イギリスに留学して、シェークスピアと出会う
ロミオとジュリエットの生と死についてのテーマ を1週間で書かないといけない
見て歩くしかないと、いろいろなところに言って見る 5~6本見るとなんとなく解って来る
貴族が喋る言葉と乳婆がしゃべる言葉が明らかに違う  寒流と暖流がぶつかるような感じ
ここはカントリーサイドかなロンドンの宮廷なのかが解る(硬い雰囲気)
テーマに対して答えていないことばっかり書いていた  先生が諦めた
学問ではなく先生と茶飲み話の様な感じでしゃべる様になった
日本に帰ってきて初めて原文で読んだ(周りからは嘘だろうと言われるが)
1980年代に入るとシェークスピアブームになる 

日本のシェークスピア劇を見るが方言がない 蜷川幸雄の舞台はイメージとして美しかった
野田 秀樹さんのは真面目なシェークスピアだった  言葉に関してはよそよそしい様な感じだった
疑問が頭の中で膨らんできた  方言でやられていると言う言及がない
坪内逍遥だけがシェークスピアはさまざまな日本語で表さないと駄目だと言っていた
それ以降は標準語のシェークスピアに閉じ込められていった
仙台に戻ってきて、本当に懐かしい感じがした  聞いていていとおしかった
シェークスピアをやると思った時に方言でやろうとは思わなかった(やってはいけないと思っていた)
方言劇のジャンルはあるが タブーだと思っていた
芸術の世界には方言は入ってこないが、イギリスの舞台では方言が入っていた
自分達で芝居を作ってみようと思った時に、自分達の言葉でやってみようと思った
1993年に役者を集める時にバイリンガルで  東北の各藩の言葉 いろいろある
脚本は仙台弁、塩釜弁とかで書いてあって、役者は又違う

私の先生でもある木下順二 夕鶴で実験をして、成功されて日本の近代劇の基を作られた
舞台語があると思う  方言は判りにくい 最初の舞台から18年掛ったが随分違ってきた
東北以外でどうするか  エジンバラでマクベスをやった  心配したのは向こうのプロヂューサー
今まで持ってきたシェークスピアは蜷川、野田 標準語でやった 字幕を付けてやったが
私達は字幕を付けなかった  字幕を付けると字幕を見てしまって、演技をあまり見ない 
我々はエジンバラですてきな場所でやった (100人ちょっと) 普通は数人から20人程度
初日は7割は行った 3つ星をだした  劇評価が丁寧な批評を出した  母音がおおい

言語が判らなくても感情が解る (イギリスでは何回となく見ている劇)
ストーリーについては話すことは無い 感情の流れを見たい
方言というてこで感情を ばっと引き出してくる  
自分達の感情を方言を使う事で、えぐり出すことが出来る  
そこを感じて貰ったと思う マクベスの最後の舞台はスタンディングオベーションだった
東京でも解らないけど、違う側面が有る
今の若い役者にとって方言とは何か  方言は遠いという しかし仙台からすこし離れたところでは
親しみ深い感じがするという
コメディーでなくても東北弁が喋れてもいいと思う