上の助空五郎(ヴォードヴィリアン・シンガーソングライター)・「ヴォードヴィルで、花形演芸大賞受賞!」
上の助空五郎さんは1978年岐阜県の出身です。上の助空五郎さんは幼少期から民謡、和太鼓、ピアノなどを親しみ、中学卒業後はオーストラリアの高校へ留学。 帰国後に様々な修行しながらヴォードヴィリアンとして活躍しています。
令和7年度国立演芸場主催の花形演芸大賞受賞。 令和5年度に銀賞、令和6年度に金賞、7年度は大賞。 まずは家族に報告しました。 ヴォードヴィリアンで受賞は初めてです。 上の助空五郎独演会、約1時間20分でタップ、歌、ギター、パントマイム、寸劇などたっぷりです。(休憩なし) ヴォードヴィルとは簡単に言うと、音楽と笑いの演芸です。もともとはフランス語でフランスの街中のテント小屋みたいなところで始まって、舞台に上がる人をヴォードヴィリアンと呼ばれていました。
東京に上京後、総合創作、芸術家、だるま森の音楽サーカス団「ロマロマ」に入りました。 そこからだんだんいろいろな芸を覚えたくて、パントマイムの劇団に入ったり、大道芸のほうに行ったり、音楽活動でバンドをやったり、いろんなことをやっているうちに、ある人からやっているのはヴォードヴィルですねと言われました。 そこからヴォードヴィリアンと名乗り始めました。(22歳) その前オーストラリアの学校に留学していました。(15歳から5年ほど)
飛騨高山は山深いところなので、宴会をするぐらいしか楽しみがなくて、家では子供たちはその場でいろいろな芸をやるようなしきたりがありました。 演芸関係の事をいっぱいしていました。 僕は民謡、太鼓、日本舞踊をやっていました。
留学先のメルボルンと言う街を歩いていたら、おじさんがサックスを吹きながらタップダンスをとっていました。 それを見て衝撃を受けました。 高校ではジャズをやってました。 一人立ちをしたのは2006年か7年です。(30歳手前)
寄席の中で、落語と落語の間に、音楽などそれほど集中して聞かなくてもいい時間、それが色ものの役割という様になってます。 私としては、徐々に肩の抜けた芸になっていきました。 20分位の一人芝居がありましたが、実体験を話をしています。 チャップリンとかバスター・キートンを見ていて、あの感じが好きでした。 母親からテレビを見るのを禁止された時代がありましたけれども、それでも唯一見て良かったのはチャップリンとかバスター・キートンの喜劇でした。 レンタルで借りてきて見ていました。(小学生4年から6年ごろ) それが今の芸に生きていると言うところはあります。
日本人では、マルセ太郎(映画の一人語り)、エノケン、寅さんとか雰囲気のある人が好きです。 稽古はウクレレとかタップダンスとか毎日やってます。 口で音を出す、トロンボーンとかトランペット、サックスなど自分でアレンジしてやっています。 人がやっていない芸をやってみたいといつも考えています。 力を抜いても気は抜かないようにしてやっています。 お客さんを飽きさせないと言うことも大事です。 ヴォードヴィルと言うものをもう少し知名度を上げたいと思います。 ヴォードヴィルは街の声と言う意味合いもありまして、昔のヴォードヴィリアンは、街の声を拾ってそれをネタにのネタにしていました。それが風刺になりました。 世界一しゃれた風刺芸をやりたいと思ってます。