2026年5月20日水曜日

本田孝一(日本アラビア書道協会会長)    ・「アラビア書道に魅せられて」

 本田孝一(日本アラビア書道協会会長)    ・「アラビア書道に魅せられて」

今、全国のカルチャーセンターなどで、アラビア書道が注目を浴びています。  アラビア書道は印刷技術がなかった時代に、イスラム教の聖典であるコーランの言葉をより美しく書写しようと始まった文字です。 アラビア文字を使う国々は1000年の年月をかけて、各国の地域の美意識のもとで洗練されてきて、芸術となって広がってきています。 アラビア書道は、イスラム教徒の関わりが強く、その聖典であるコーランを書き表すために発展してきたと言われてきています。 アラビア書道は日本の書道と違って、表面がツルツルの紙に細い竹か葦の先端を削って、彫刻刀のようにナイフ状にして、先に墨をつけて書きます。 そしてアラビア文字は基本的に右から左に横に書きます。 そのアラビア書道を指導しているのは、本田考一さん(80歳)、東京外国語大学アラビア語学科卒業後、通訳として中東地域に滞在中にアラビア書道に出会い、その美しさに惚れ込みました。 アラビア書道家の本田考一さんに伺いました。

毎日作品を作ってます。 横1.5メーター位の円の中に1つのコーランの書を全部入れ込んでるような作品を作っています。  完成まで2、3ヶ月かかります。    アラビア語を母国語としている国としては、21カ国以上あると言われてます。  それと関連しているのがイスラム教です。 7世紀にできて、アラビア語アラビア文字が各地域に広がっていきました。

20代後半から30代にかけてサウジアラビアに滞在しました。 アラビア語を使って仕事をしていました。  文字の美しさに惚れ込んでしまいました。 東京外国語大学でアラビア語の倍率が低かったので選びました。 大学紛争の時代で勉強はできませんでした。 就職はせず、アルバイトなどをやっていました。 本をひっきりなしに読みました。 自分はどういくべきか、先人たちはどこ言っていたのか、世界中の宗教書、仏典などを読みました。

ある時、後輩から呼び止められてアラビアへ行きませんかと誘われ、サウジアラビアに行くことになりました。  地図を作るためにいろいろな情報を集めると言う仕事でした。(地名、町の名前、山の名前などの情報) アラビア語はほとんどできませんでしたけれども、現地の人に教わったりしながらだんだん覚えてきました。仕事で行ったリビアではアラビア語をオンリーでした。 英語フランスなど全てだめでした。(仕事のプロジェクトに参加) 最低限の言葉が使えるようになったのは3年位でした。 アラビア文字に美しさを感じました。 書道家に習うようになりました。5年ほどで日本に帰ってきて会社を辞めてしまいました。(結婚もしていた)

1988年イラクで大きな書道家たちのフェスティバルがあるからということで、招待状が来ました。 私が書いたものが、新聞の1面でどんと出てしまいました。   (政治的な側面があるって言うことを全然知りませんでした。)  自己流だったので、良い先生からゼロからやらなければダメだと言われました。 先生からお手本をいただき勉強しました。  トルコの書道の大先生に引き合わせていただき、郵便でのやりとりして10年ぐらいやりました。 アラビア書道の免許皆伝をいただきました。

1998年位から自分の作品を作ると言うことにシフトしていきました。  いろいろなところで発表会を開催しました。 海外の数箇所で個展をやりました。  自分でデザインもするようになり、それも評価されるようになっていきました。  日本では「書は人なり」と言う言葉がありますが、アラビア書道では「書は神」といいます。 神様の言葉をより美しく書くと言う作業なんです。 ですから個性はないです。 世界にそういう文字芸術と言うのはないです。 ですから私は惹かれました。意味がわからなくても、美しいと感じると、自分で書いてみたいと言う人が出てきます。 日本の書道で培われた伝統かと思います。 文字芸術を日本人はすごく高く理解できます。 マレーシアで、英語でアラビア書道を説明したテキストを出します。  日本流の精神に基づく事によるアラビア書道テキストです。 文化交流になっていくと思います。