2026年5月17日日曜日

野津幸次(紫雲丸遭難事故生存者の会)    ・71年前の紫雲丸事故 伝える生存者の思い

 野津幸次(紫雲丸遭難事故生存者の会) ・71年前の紫雲丸事故 伝える生存者の思い

1955年昭和30511日早朝、656分、四国高松を出航したばかりの旅行連絡船紫雲丸が、にわかに立ち込めた瀬戸内海の濃霧に包まれ、対岸の岡山県宇高港から高松に向かっていた第3宇高丸と衝突、紫雲丸丸はわずか3分から4分で沈没してしまいました。 乗客781人のうち167人が死亡1人が行方不明に、亡くなった人のうち、100人が島根、広島、高知、愛媛の4つの小中学校の修学旅行中の児童生徒でした。 この船に乗り合わせていたのが当時島根県の松江市立川津小学校6年生だった 野津幸次さんでした。 川津小学校の一行は四国へ出かけた23日の修学旅行、その帰りに、高松からこの船に乗り込んでいました。 出港して16分後に事故に遭遇、多くの児童が海に投げ出されました。 沈みゆく船から脱出し救出された野津さん現在は82歳です。 紫雲丸遭難事故生存者の会のメンバーとして、あの日の状況を語り継ぐ活動をしています。 今日は野津さんはどういう体験をしたのか、そして今どのような思いで行動しているのかを伺います。

島根県松江市の川津小学校、紫雲丸事故の資料が展示されている教室、紫雲丸の部屋には写真パネルがたくさんあります。 高松の桟橋で遭難の20分前の出発の時の写真です。 紫雲丸に関する歌もたくさん作られました。 命の大切さ、亡くなられた人の悲しい思い、残された人たちの思いなども振り返りながらしっかり学習しています。 特に511日は紫雲丸の日ということで全校でお参りをします。

私は衝突のときには甲板にいました。 視界が100メートル位しかない霧がありました。  第三宇高が汽笛を鳴らしました。双方が汽笛を鳴らしました。 あっという間に衝突しました。 カバンを取りに客室に行って戻ろうとしましたが、既に45度位傾いていました。 船と共に沈んでいきました 。相手の船に乗り移った人が半分ぐらいいたようです。  電源も落ちてしまい、照明も消えてしまい、船内連絡なども全くできませんでした。  船体は船尾から次第に沈み、その後左に傾き始めます。 乗り組み員たちはボートを下ろすこともできませんでしたし、紫雲丸はそのまま転覆、衝突後わずか4分から5分の間の出来事でした。 

私は水泳は得意な方でしたので、立ち泳ぎで海面まで上がっていきました。   イカダがあり、3人ぐらい既に乗っていて、大人が手を引っ張って助けてくれました。 助けに来てくれた漁船にイカダから乗り移りました。 その後第3宇高丸に引き上げていただきました。 船の油が漏れていたので、顔も体も真っ黒でした。  黒い油を飲んで吐き戻した子たくさんいました。 夕方先生とともに遺体を確認に行きました。 遺体安置場所では辛くて、先生と別れて先に帰りました。 

沢山の家族も遺体確認きました。 お母さんの姿を見ていると、子供心に悲しかったです。  生存者はラジオが放送していましたので、兄が来てくれたときには生存した事は知っていて来てくれました。  帰ってから学校に行った時、亡くなった生徒の机の上に献花をしていました。 2つあったクラスが1つになってしまいました。 21人の生徒と先生が2人父兄が2人亡くなりました。 6年生は児童数が61人でした。 最初の1週間ぐらいは普通の授業はできませんでした。

松本敏雄先生と言う修学旅行を引率して助かった先生が、ずっと地元で活動をしました。 それが原点になっています。 三島先生と共に2人で25枚の子供たち先生父兄のお墓に毎年お墓参りをしてました。 それが紫雲丸を忘れないでおこうと言う小学校の原点です。 33回忌を機に毎年お墓参りをお盆にするようになりました。 

小学校では学習に取り入れて、風化させないようにということで、そのお手伝いと言うことも私は続けています。 紫雲丸の部屋を作っていただきました。     子供たちの反応は生存者のお話を聞いて、事故の様子がよくわかったとか、命を大切にしたいと言う風な作文を書いてくれています。 これからも子供たちに伝えていきたいと思っています。  今は着衣泳もしています。  浮いて待つようにと言う指導をしています。 校庭の片隅に記念碑があります。 命の大切さを伝えたいと言う意味で慰霊碑ではなく記念碑にしています。  

ある一定の大きさの船には、非常時には救命ボート、救命イカダに乗るために、甲板などに集合場所、乗客が集合する場所を設ける事が決められていると言うことです。 集合場所、その経路については、船内に表示があると言うことです。    船に乗ったら、まず非常時の集合場所と、そこまでの経路を確認しておくことも大切だと言うことです。 救命ボートや救命イカダ以外に乗れなかった場合には、とにかく浮いているものに捕まる、体力を消耗せずに救援が来るまで浮いて待つと言うことが大切だと言うことです。