中村すえこ(高校教諭・映画監督) ・「非行少女が高校教師に。そして映画を監督」
中村すえこさんは、1975年埼玉県出身。 15歳で女性だけで構成された暴走族レディースの総長となり、障害事件で逮捕され、女子少年院に送置されました。 その後通信制の大学を卒業して、高校教員の免許取得、現在教員として働く傍らで、少年院、女子少年院を取材したドキュメンタリー教育映画の監督をしています。
「記憶2」という少年や女子少年院を取材して、そこでの生活少年少女たちをインタビューしたドキュメンタリー映画です。 4年前に女子少年院を撮った一作目があります。 それが「記憶」です。 一言で言うと社会を変えたいと思いました。 そのためにはどうしたらいいかを知ることで意識を変えていくことが出来るのではないかと思いました。 その中で映画と言う方法を見つけました。 私はNPO法人「セカンドチャンス」と言うところに所属していて、そこで少年院と関わるようになりました。 「セカンドチャンス」と言うのは自助グループです。 少年院に入った経験のある人で成り立っている団体です。
埼玉県で生まれて4姉妹です。父母はお互いに10代の時に結婚しました。 6人で暮らしていて家は6畳と4畳半だけでした。 父は働いていませんでした。 私は小学校34年生の頃に1人結婚して家を出ました。 もう1人姉は働いてました。 すぐ上の姉はアルバイトをして家にいませんでした。 夜も1人で過ごすようになりました。 寂しさがあり年齢が上がって行くと、外に出たりするようになり、私と同じように寂しく過ごしている人たちがいました。(中学生時代)
集団ができて、どんどん非行の道へ進んでいきました。 タバコを吸ったりバイクを運転したりしました。 中学1年の夏にはほとんど学校には行かなくなりました。女の暴走族の先輩と知り合いました。 中学2年生になる頃には、暴走族レディースの一員になりました。 居心地の良い場所ではありました。 中学校を卒業すると総長になりました。 チームを1番にしようと思って、下のチームに参加しないと言うようなところには暴力で従わせました。 その暴力で相手に怪我をさせてしまって障害事件を押しました。 16歳の時に少年院に入ることになりました。(1年間) レディースが大事で自分の居場所を守りたかった。 退院後も戻りました。
しかし状況は変わっていました。 レディースから追放されていました。 居場所がなくなり、生きている希望がみつかならなくなりました。 レディース抜けるときにはリンチをされて、自分がこういうことを人にしてきたんだってということがわかりました。 2度目も逮捕されて、母が私を愛してくれているんだと言うこともわかりました。 命の大切さにも気づき、生き直したいと思いました。(2度目の逮捕の時 18歳)
18歳で結婚して子供を産んで専業主婦をしていました。 辛いことがあったりすると、悪いことをしようかと思いましたが、子供が心のブレーキになりました。 本を書く機会を得て、初めて自分の過去と向き合いました。(30歳) その後に「セカンドチャンス」と言う団体を設立することにつながっていきます。 「セカンドチャンス」の設立者は東大を出てる先生です。 自助グループを作ることが1番更生しやすいのではないかと言う話でした。 先生にお会いしたときに、「どんな研究者よりも君たちの経験が必要なんだよ。」と言われてほっとしました。それまで過去を隠してきました。過去さえも生かせる生き方をしていきたいなと思いました。
全国に少年院が40何箇所あります。 少年院の全国制覇をして征服しました。 自分の話をしたり、彼女たちの話を聞いたりしていきました。 加害者である前に、被害者であるということがわかってきました。 或る人はお父さんはお母さんの再婚相手で、そのお父さんに性的虐待を受けて、ある日、刃物で父親を切り付け少年院に入ったと言う話もありました。 お母さんは幸せそうなのでお母さんには言えなかったと言うふうに言ってました。 生きていくのに厳しくて、誰も理解してくれなかったら、また犯罪の道に行ってしまうと言うことがわかりました。 社会を変えないと同じ繰り返しで、また犯罪起こす可能性があります。 映画を持て社会を変えていくために、一人一人が少しずつ何かをする、そしたら変えられるって言う感想を聞いて、そう言ってって言われた時が1番嬉しいです。
私は離婚をして子供を引き取って生きていこうと思いました。 中卒で働ける領域は幅が狭いです。 高卒認定で仕事の幅を広げようと勉強して、合格したらもっと勉強したくなりました。 通信制の大学に入りました。 ある人から事務の仕事を紹介され、大学1年でしたが、中卒の資格で仕事をしながら大学に通っていました。 先生から教員免許を取るように言われました。 私は教員免許を取ると言う到達点に行けたら、何歳からでもやり直せるんだと言うことを、少年院にいる子たちに伝えるんだと思って教員免許を取ることになりました。
社会科の教務に移ったらどうかと言う話がありました。 色々と縁とタイミングが重なってきました 。生徒を送り出すようになり楽しくなりました。 ホームルームで生徒との関わりが好きです。 映画では最初が女子少年院、2が男子少年院、その時に少年院の中でインタビューした子が社会に出て、再び犯罪をしてしまい、少年刑務所に行くことになりました。 生きていくために教育は必要なんじゃないかと思っています。 川越にある少年刑務所が教育に力を入れています。 人が変わっていくためには、教育が必要なんだと言う問いの答えを見つけたいなと思っていて、それが「記憶3」を考えています。 「記憶3」は劇場版にしようと思っています。 (費用は寄付などで賄っている。) 情報はホームページに掲載されています