| 酒井雄哉(ゆうさい)(延暦寺住職85歳) 人生これ修行 |
| (1926年(大正15年)9月5日 - ) は天台宗の僧侶。比叡山延暦寺 |
| 千日回峰行を2度万行しています 千日回峰行とは比叡山の山中等を7年の間に1000日間歩く修行で歩く距離は4万km 地球を一周する長さです。 |
| 比叡山修行の中でも最も過酷な修行と言われ、これを2度万行した僧侶は記録に残っているのは これまで3人だけと言われている |
| 堺さんは 戦後 ラーメン店や株の取引等様々な職を転々とし、妻(と成ったいとこ)が結婚2か月で 命を断つなど激動の人生を送り39歳で仏の道に入りました |
| 52歳のときと 60歳の時に千日回峰行を万行しました |
| 今でも毎朝滝に打たれる 子供の頃は泣き虫で落第生だった 予科練に入る 特攻基地にいた |
| 戦後 あるところから父親に就職の話が来たが、家の近所にいい勤め口があるため断る為に 父親の代わりに行ったら 私が父の代わりに勤めることになる |
| 学校に行ってないといったら 行くように紹介される 学校に入るのに成績証明書を貰わないといけない 成績表が悪く 法政大学に行かなくなった |
| 学校に行かない分の時間を東京都内をめぐり歩いた それを100日以上やっていた |
| 小刻みに考えると 疲れないので済む |
| 親戚が気を使って、従妹(いとこ)の女性と結婚をする 妻はガス自殺をする。 結婚して二ヶ月しての出来事だった |
| せめて49日はいてくれと、義父(叔父でもある)にせがまれ、妻の実家の鉄工所を手伝うことに 義母(叔母)が、気分を転換させようと比叡山に連れて行くことがあった |
| 比叡山に行くようになる 小林隆彰さんに出会う 来拝行(立ったり、座ったりする行) 朝、昼、夜 3回(1回に付き108回) やる事になる |
| けがれているから 滝に打たれてから 行をしなさいと言われる 滝に打たれるのはその都度行う |
| 一日やったら音をあげると思っていたらしかったが 、1週間やり通してしまった 一旦帰ることになり宿題をだされた |
| 答えが判ったら山へ来い 判らなかったら来るなと言われる メモを渡される 「東西日南北」 東から太陽が登る国 な(南) にし(西) きた(北) ? |
| (これは若い頃、二一枚の般若心経の写経をする時に、ズルをして、重ね書きがバレた時に 中心に「日」、上に「東」、) |
| (下に「西」、左に「北」、右に「南」を書いた紙を渡されたエピソードだ) |
| (このエピソードを考察してみたい。これは「一隅を照らす」という天台の根本の教えに通じる 師の諭しように思われる) |
| (「一隅を照らす」という思想は、全宇宙(東西南北)あるいは全世界を考察することにも通じる) |
| (つまり「東西南北」を考えることは、若い酒井師に比叡の一隅から全世界を考えて生き続けなさい 、という師の導きとも考えられる) |
| 判らなくて山に行かなかった 弟子にしてくれない 仲介有り叡山学院に行く 叡山学院を首席で卒業する 46歳だった |
| 20歳も若い人と一緒にやるので人よりも2倍やろうと思って 明け方 根本中尊までお参りに 行って 5時になると若い人と合流して釈迦堂でお勤めしたりした |
| 或る時に阿弥陀堂で琵琶湖の方を見たら空が茜色に成っていて 琵琶湖の水辺の青さが綺麗 だなあと思って 太陽と月に仏さんが有るのだなあと 思った |
| 太陽(日光菩薩)と月(月光菩薩)の間に自分があると感じた 仏は心の中に有るのだなあと思った |
| 常行三昧(仏立三昧)行う 90日の間お堂の中で阿弥陀仏の周りを歩きながら念仏をとなえる 食事も立って食べる ぐるぐる回りながらほぼ寝ないで念仏を唱える |
| 足も脚気みたいに成ってきて足が上がらなくなってくる バランスが崩れてしまう 歩きながら呼吸をして念仏を唱える 念念歩歩しょうしょうと言う人もいる |
| 心の中で仏さんを想い描きながら、呼吸をしながら念仏を唱えて身体を動かしてバランスが一つに なって初めてものが成就するということです |
| 千日回峰行は自然に行に入っていけた 出峯の時 じっと老僧が出てゆくところを見守ってくれた |
| 或る時雪が降った後に猪がきて正面衝突してしまった 落ちて雪が有ったから酷い怪我はなかったが足をぶつけてしまって親指がまりもみたいに膨らんで |
| 動き出したがどうにも動けなくなってしまって、足を切開しようと思って切ってしまった 一時失神していたようだった 回りは血の跡があった |
| 行者は「手巾(しゅきん)」(紐)(病気等をしてもうこれ以上行けなくなって駄目な時に自分で自分 を始末するロープ)を持っている 首をつって断つ |
| 刀と手巾 二つを持っている 手巾を裂いて包帯代わりにして縛って降りてきた |
| 千日回峰行は不退行 止めるときは自分で自分を始末しなさいということ |
| 人間 命が大切 次にお金 行をするにはお金をはたいて自分を育てた親だとか、 お坊さんだとか、学校の先生だとか 呼んでその人達にお食事を供与する |
| 生葬式 をする お別れ会をする 「お堂入り」の修行 9日間の間に水も飲まない、 食事もしない、横にもなれない 寝てもいけないと言う行をやって |
| その間に法華経8巻を全部読み終って 不動明王の真言を10万遍唱える 井戸に行って水を持ってきて供える (夜中) この時だけ堂の外に出られる |
| 誤魔化す これを知っているのは自分と仏さんだけ だまして修行を終えても重い荷物を背負って生きて行かなくてはいけない |
| 千日回峰行を2回やって得たものは?→何にも得てない ただ2000日ちゃんと動いたな と言うだけですね だから毎日生きているとう事以外何にもないと言う事です |
| 生きているから出来た事で生きていなかったら2000日歩けない だから感謝の気持ち ありがとうございました と仏様に |
| 坊さんに成ったのだから人様に迷惑をかけないで、人様の為に頑張ることを考えなければいけないよね その延長線だから 昨日は昨日だし、今日はこの自分だしね |
| 自然に逆らってもしょうがない 時期が来たら桜も散ってしまうし、咲いてくれといっても咲いては くれない |
| 暑いな暑いなと思っているうちに また冬に成って葉が茶色くなって枯れて落ちちゃって また3月頃になると花が咲いて その繰り返しじゃない ぐるぐるぐるぐる |
| 今日が終わって一日が終わって また次の一日がきて その繰り返しで人生が終わって 行くのじゃないのかなあと思います |
| 今を大切にしなさいと 一日 今以外に何もない |
| ここのお寺からわらじを履いてでて行くでしょう ずーっと山を登って又山を下りて帰ってくる そうするとわらじがボロボロに成ってしまって次の日に履こうと思っても履けない |
| 新しいわらじを履いてゆく 毎日毎日履いてやっていると草鞋のお陰で自分が回れることが できるんだと有り難い気持ちになったと同時に |
| 其れを人生と思ったら 今日の自分は今日でお終いで 明日は明日で新しいパワーで回れるという 発想で 一日が一生ではないでしょうか |
| 今以外に何もないから 今こうやっていても大地震がくるか、山津波が来るか判らない あっという間に一瞬のうちにお終い |
| 地球の上に居ると何が起きるか判らない 仏様から命を預かってきた自分達だから 其れを一日一日を大切にして なんか皆の為に尽くす ことを考えなければいけないと駄目だと思います |
| お茶で一期一会のようなもの |
| 大震災に有って苦しみ 不安等抱いている人達がいると思うが→いま生きていること自体 呼吸している事が感謝ではないか 酷な様だけど世の中は無常の世界 |
| いつ何が起きても当たり前 自然の中にいるのだから |
| こないだ東京で 地球の高山に無酸素(酸素吸入器具を使用せず)で登った人がいて その人と話を聞いたのですが 人間ていつ死ぬか判らない |
| 空気が無くなっちゃたらお終いだし 一歩ずつ進んで行って ある地点まで行ったときに自分が そこに立っていると言う事は生きていると言う事で |
| 凄く感謝の気持ちとか 空気の有り難さ そういう風なことを言っていた |
| 空気があって空気を吸わしてもらっている 感謝の気持ちをもう一遍 皆が関係ないと思うんじゃなくて考えてもらう必要があるんじゃないの |
| 生きると言う事は?→仏様から命を預かって お前ちょっと娑婆に行っていろんなことを勉強して きなさいと追い出されたんだから 生きている間に自分で |
| 帰ってゆく為に論文を書いているんじゃないかと 人生の論文を 自分の論文を |
| 其れを携えて お釈迦様の前で 閻魔様の前で その論文を見てもらって あっこれだったら 合格だ だったら来年はこういう事をしなさいとか |
| 駄目だったら もう一遍追い返して もう一遍人間になってやってこいとかなるんじゃないかと思う だから今一生懸命やっていること |
| これはやらなきゃあいけないとか 自分と言うものを懺悔の気持ちで持って 感謝の気持ちと ぶちあげて 死んだときに 堂々と仏様に報告ができるような論文 |
| を書くために 今を大切にしなければいけないんじゃないかな それが生きることとちがいますかなあ |
| いずれにしても自分はこの世の中になにしにやってきたのかな と言う事でしょうかな |
| それぞれ皆生き方が違うし いろんなことを言っているけれど やっぱり 何か やるべきじゃないの 人間として |
| 人生というのは全て 生きる行だからね 修行なんですよ |
2012年5月12日土曜日
酒井雄哉(延暦寺住職85歳) ・人生これ修行
2012年5月11日金曜日
黒田杏子(75歳俳人) ・名残の花をめぐる幸せ 2
黒田杏子(75歳俳人) ・名残の花をめぐる幸せ 2
還暦 一つの次へのステージ 自分を取り巻く時間が違ってきた
残花巡礼 花にはそれぞれ満開のときとかいろいろある様に人にもそれぞれのときがある
俳句をやっていると沢山のお歳をめした方がいるが、その人達で魅力的だなと思う方は加齢を逆にプラスにして生きている
花がほとんど無い様な場合でも 美しい 欠けている事に対して日本文化の美意識を感じる 「なお残る 花あびて座す 草の上」
名残りを 詠んだ句 それらを句集「花元草上」に纏める
「花元草上」は篠田桃紅先生が良く書で書かれる字
俳句作者 俳句撰者 として生活している
大震災後 投稿してくる作品をどう選ぶか 改めて選者を問われていると思った
福島民報が福島県と一緒に文学賞を設けてやって来られた
そこで俳句部門の選者としてエールを送ってほしいと頼まれる
原発及び津波の被害にあっている方々に対してどうこたえてよいか判らなかった
未曽有の災害に対して悲惨さを投稿してくれる人が沢山いると思われる
選句に私は全力を投入します
選句という形を通じて災害の復興にどこかで力になれるかもしれないのでそのことに力を入れますと 書いた
それが反響を呼んでくれた 先生の言葉に励まされて俳句を作ります とか手紙を貰った
其れが力を与えられたと思います
一句の脇に言葉書きがある俳句が多くあり 撰者にこの様に対して心を開いて自分の心をぶつけてくるんだなと驚きました
新しい作者が何人も出てきました
選者としても緊張したし、新たな勉強もした 正岡子規の本を読んでいたつもりであったが 「五月雨は 人の涙と 思うべし」
「さつき寒し 生き残りたるも 涙にて」 明治29年に正岡子規が読んだ句だった
当時病床にあったが 中村 不折(絵画師)を派遣して作った句であった
明治29年の三陸沖津浪のときの句
恥ずかしい事ですがそれまではこの様な句は知らなかった
残花巡礼は自分の人生をもう一度総括する様な機会であったと思う
思いもかけないような句をつくった ゆったりした時間 といろいろな人達との出会いがあった
「ふるさとの山 ふるさとの川 さくら」 この様な句は以前は決して作らなかった
俳句作者として自分をしっかりさせたい、発展させたいと思ったのは若い頃で 俳句作者として人生を貫けれればいい 会社の時間は限りがあるけれども
勤めを終わっても生きていける限り俳句を作ってゆく自分を維持したいと思ったんですけれども 理屈ではなくて 名残の花をめぐると言う事で、自分の時間が緩やかに成ったし、 生きかたのギアチェンジもできたし、人との関係 御縁というものの有り難さが 3/11の大震災を経てしみじみ身に迫った
そう言った人達の俳句を作られる句を毎週、毎日観られる生活が私に来ていると言う事は 名残の花をめぐり続け札所めぐりをしてきたことが多分 自分の生き方を作ってくれている と思う 幸せと言えるかどうかわからないが、本当に感謝したい ありがたい
良い意味で自然に年を取って、自然に老化してゆく そういう風に成りたいと思った
杖を持ったことによって お互いの気つかいが判ることができた 加賀千代女も長い杖をついていた(展示してある)
2012年5月10日木曜日
黒田杏子(75歳俳人) ・名残の花をめぐる幸せ
黒田杏子(75歳俳人) ・名残の花をめぐる幸せ
(1938年(昭和13年)8月10日 - )は日本の俳人 東京都本郷生まれ。1944年、栃木県に疎開、以後高校卒業まで栃木県内で過ごす
山口青邨に師事 現代俳句女流賞、蛇笏賞 等を受賞 NHK俳句番組、新聞雑誌の投稿の撰者としても活躍 日本列島桜花巡礼と名付けた満開の桜めぐりを30代の初めからおよそ30年間続けたことでも知られています
西国、坂東、秩父の百観音霊場巡礼や四国88か所の遍路も初め長年全国を巡る人生を送ってきました
60歳から始めた残花巡礼を続けておられます
残花は桜の花に限る 晩春 余花は初夏 桜 時系列的に花を待つ 初花 初桜 花三分 満開 花過ぎ 残花 余花
1日の中でも時間系列があって 朝桜 夕桜 夜桜 花かがり(かがり火の光で花を見る) 花冷え 遠山桜 表現する言葉が豊か
季語と親しくなると豊かになる
一番最近行ったのは滋賀県琵琶湖の周り 今年は随分咲いていた
今年ほど琵琶湖の周りに桜があるのを実感した事はない
寂庵での句会 28年目になっている 秩父34観音 4月7日に行く
日本百観音の結寺 水潜寺 金子兜太先生の生れた札所
西国 33ヶ所 坂東33ヶ所 合わせて66か所で秩父は百か所になるために34か所になっている
「月充ちて 花の秩父と成りにけり」 月と満月との係わり
俳句仲間と一緒に100観音をめぐる 53歳の時に始める 20年で100観音をめぐる
四国霊場88か所めぐり 桜花巡礼は30歳ときから始める
20~30年かければ出来るのではないかと始める 単独で満開の桜を目指して行くのは当時は情報も無かったので自分で調べて、国鉄のストもあり いろいろあった
40代までは投稿してはいなかった 当時は民間の広告会社博報堂に勤めていた
会社には定年があるが表現するのには定年はない 俳句で人生を貫く発心した
30代で再入門した 発心は自分との契約 人に言うものではない
体験 最初気負っていた 満開の桜に接する 淡墨桜 岐阜 新幹線で行き タクシーでゆくお金もかかる
帰ろうとしたら身体が硬直して動かない 1~2分で直ったが 桜の精みたいなものが 私が桜を見に来たので 咲いてる満開の桜なんだと
桜が私を諭したんだなんて思って 有るチャンスがあってエッセーに書きました
其れを読んで金剛福寺 38番札所の俳句をやる奥さんから投書があり 黒田さん其れは桜に悪い 桜はそういう木ではないと 指摘された
佐野さんは丸山公園の造園業者 ソメイヨシノと山桜の違いは 花ビラの重さが違う ソメイヨシノの花びらは木の下に散る 山桜の花びらは気流に乗って広がる
そういう違いを知っていないといけないと言われた
「花に問え 億千本の 花に問え」 「花に問え 私に問え 花に問え」(黒田)
「発心の 我を悲しむ 桜かな」 (黒田) 自力だけではなく 他力もあるのかなと 自分を見直す 自分なりの行を発心したことへの感謝
残花巡礼 桜が咲いていない時に(別の光景が見える) 別の季節に行ってみてもいいのかなあと思うようになった 散り始めた以降の光景見る
なんとも豊かな気持ちになれる 満開の時とは違って人のざわめきはない
2012年5月9日水曜日
柳生博(俳優 日本野鳥の会会長) ・世代を引き継ぐ者たちへ 2
柳生博(俳優 日本野鳥の会会長76歳) 世代を引き継ぐ者たちへ 2
一日300匹から400匹の虫を四十雀(シジュウカラ)は春になると捕り始める
40歳から木を植え始める
当時は雑木林にすることは金にならないので見られなかった
熊野古道は杉と瓦礫 沈黙の森
更新してゆくためには35年経っているので木を切ってゆかなければならない
里山 雑木林、灌漑用水路 田畑 がある
日本人と自然との係わりは世界でも特筆に値する 自然との折り合い
子供は遊ぶことが好きだが野良仕事をした方が喜ぶ又そこで褒めてやる
重ねてゆくうちに手伝いをするのは当たり前の事になる
叱ることも大事 危険な事をやる時に緊張させる事は大事
13歳の時に1か月の旅をしろと言われて 旅をして家に帰ってくると、祖父が頬を両手で挟んで「良い顔になった」と褒めてくれて感動した
花鳥風月 の事を祖父から教えてもらった
花、動物、農業との係わり ツバメが来たらどの作業をしたらいいのかとか 風が運んでくる季節感 闇の事 満月の灯
森と暮らす 森と学ぶ
19年前に書いたことが教科書にも有るが 75歳になって時々見直すと赤面してしまう事がある 歳を取ってちょっと違っていた事がある
感受性が歳を取ってくると敏感に成ってきている様な感じがする
どろがめ先生(高橋 延清) 東大教授 「森の話をしよう」の対談で話し合う
どろがめ先生は気に入るとあだ名を付ける
柳生君は森の世話人だと言われて嬉しかった
コウノトリの復活の応援団長もしている
懇親会をするのが好き
乾杯の時にいつも言う言葉「確かな未来は懐かしい風景の中に有ります」と言って乾杯をする 懐かしい風景をもう一度作ってゆく 懐かしい風景を持続させてゆく
生き物たちが機嫌良く住んでゆく
一日300匹から400匹の虫を四十雀(シジュウカラ)は春になると捕り始める
40歳から木を植え始める
当時は雑木林にすることは金にならないので見られなかった
熊野古道は杉と瓦礫 沈黙の森
更新してゆくためには35年経っているので木を切ってゆかなければならない
里山 雑木林、灌漑用水路 田畑 がある
日本人と自然との係わりは世界でも特筆に値する 自然との折り合い
子供は遊ぶことが好きだが野良仕事をした方が喜ぶ又そこで褒めてやる
重ねてゆくうちに手伝いをするのは当たり前の事になる
叱ることも大事 危険な事をやる時に緊張させる事は大事
13歳の時に1か月の旅をしろと言われて 旅をして家に帰ってくると、祖父が頬を両手で挟んで「良い顔になった」と褒めてくれて感動した
花鳥風月 の事を祖父から教えてもらった
花、動物、農業との係わり ツバメが来たらどの作業をしたらいいのかとか 風が運んでくる季節感 闇の事 満月の灯
森と暮らす 森と学ぶ
19年前に書いたことが教科書にも有るが 75歳になって時々見直すと赤面してしまう事がある 歳を取ってちょっと違っていた事がある
感受性が歳を取ってくると敏感に成ってきている様な感じがする
どろがめ先生(高橋 延清) 東大教授 「森の話をしよう」の対談で話し合う
どろがめ先生は気に入るとあだ名を付ける
柳生君は森の世話人だと言われて嬉しかった
コウノトリの復活の応援団長もしている
懇親会をするのが好き
乾杯の時にいつも言う言葉「確かな未来は懐かしい風景の中に有ります」と言って乾杯をする 懐かしい風景をもう一度作ってゆく 懐かしい風景を持続させてゆく
生き物たちが機嫌良く住んでゆく
2012年5月8日火曜日
柳生博(俳優、日本野鳥の会会長) ・世代を引き継ぐ者たちへ
柳生博(俳優、日本野鳥の会会長) 世代を引き継ぐ者たちへ
<概要>
山梨県の八ヶ岳山麓の荒れた山林を購入し木を植えて森を作り ここに移り住んで35年経ちました
この地に観光に来た人たちに鳥のさえずりや花の種類
美しさを知って貰おうと雑木林を解放し散策路も作りました
茨城県土浦市霞ヶ浦の近くで生れ過ごした柳生さんは年間700本もの番組をこなしていた多忙時代に何故仕事場から遠く離れた八ヶ岳に居を移したのか 祖父からの一言が大きな影響を与えたようです
カタクリ(紫)と蘭赤梅(黄色い花)が咲くころになると 冬の間は混群で過ごしているが このころになるとそれぞれのペアを探して一緒に行動する様になる
赤ゲラは近くでしか行動しない 皆さえずる様になる
鳥の会の会長をして10年になる
東京に居る時はときめかない 八ヶ岳では躁状態になる
以前は荒れ果てていた状態 光が入らない状態だった
下は熊笹だけ 土はない瓦礫状態だった 草は生えない
一旦木を切って 色んな木を植えて3年経ってくるとみみずが出てくる
年間700本ぐらいこなしていた頃 自分が落ちてゆくような感じを抱いた
小さい時に祖父からいろいろ教えてもらった
家業は昔でいう地主だった 里山の維持管理を野良仕事と言っていた
子供の頃はぐじゅぐじゅしていた人間だった
草刈りを遣る事によって高い草だけではなく低い草も生育出来るようになる
少年時代に野良仕事を祖父から指導される
小学校3年で終戦になって剣道(祖父が剣道7段で教えられた)をしなくてもいいんだと思った覚えがある
八ヶ岳山麓に開拓の人達がいた 満州からの引揚者とか 仕事が無い人達とか が過ごしていた
そこで野良仕事を手伝った(13歳の時に1カ月ぐらい一人で旅に出されていた 八ヶ岳に行く)
高校時代は沢山の映画をみた 当時商船大学が注目されていた
その学校に行きたかったがいけなかった
本に関しては手当たり次第に読んでいた
近眼になってしまい、学校には行けなくなってしまった
「エデンの東」を見て芝居の世界に行きたいと思って劇団俳優座の養成所に入った
39歳のとき、NHKの朝の連続テレビ小説『いちばん星』に野口雨情役で出演し、テレビ俳優としての地位を確立する
「野良仕事をしなさい」と祖父からの言葉を思い出す
<概要>
山梨県の八ヶ岳山麓の荒れた山林を購入し木を植えて森を作り ここに移り住んで35年経ちました
この地に観光に来た人たちに鳥のさえずりや花の種類
美しさを知って貰おうと雑木林を解放し散策路も作りました
茨城県土浦市霞ヶ浦の近くで生れ過ごした柳生さんは年間700本もの番組をこなしていた多忙時代に何故仕事場から遠く離れた八ヶ岳に居を移したのか 祖父からの一言が大きな影響を与えたようです
カタクリ(紫)と蘭赤梅(黄色い花)が咲くころになると 冬の間は混群で過ごしているが このころになるとそれぞれのペアを探して一緒に行動する様になる
赤ゲラは近くでしか行動しない 皆さえずる様になる
鳥の会の会長をして10年になる
東京に居る時はときめかない 八ヶ岳では躁状態になる
以前は荒れ果てていた状態 光が入らない状態だった
下は熊笹だけ 土はない瓦礫状態だった 草は生えない
一旦木を切って 色んな木を植えて3年経ってくるとみみずが出てくる
年間700本ぐらいこなしていた頃 自分が落ちてゆくような感じを抱いた
小さい時に祖父からいろいろ教えてもらった
家業は昔でいう地主だった 里山の維持管理を野良仕事と言っていた
子供の頃はぐじゅぐじゅしていた人間だった
草刈りを遣る事によって高い草だけではなく低い草も生育出来るようになる
少年時代に野良仕事を祖父から指導される
小学校3年で終戦になって剣道(祖父が剣道7段で教えられた)をしなくてもいいんだと思った覚えがある
八ヶ岳山麓に開拓の人達がいた 満州からの引揚者とか 仕事が無い人達とか が過ごしていた
そこで野良仕事を手伝った(13歳の時に1カ月ぐらい一人で旅に出されていた 八ヶ岳に行く)
高校時代は沢山の映画をみた 当時商船大学が注目されていた
その学校に行きたかったがいけなかった
本に関しては手当たり次第に読んでいた
近眼になってしまい、学校には行けなくなってしまった
「エデンの東」を見て芝居の世界に行きたいと思って劇団俳優座の養成所に入った
39歳のとき、NHKの朝の連続テレビ小説『いちばん星』に野口雨情役で出演し、テレビ俳優としての地位を確立する
「野良仕事をしなさい」と祖父からの言葉を思い出す
2012年5月7日月曜日
三上博史(俳優) ・演じること、生きること 2
三上博史(俳優) 演じること、生きること 2
演技する上で、自分を捨てることに対しては物凄くエネルギーを使ってしまうのでは、自分が残っていていろんな役は出来ない
空っぽの身体に哲学を入れてくる そうするとその人が出てきてくれる
自分が残っていると苦しい
どっかで旅では追いつかなくなって 自分の活動をしなくては、いけないと思ったのが音楽だったそこで出会う人は気の良い人達だった
暇つぶしにバンドやろうと言う事になりコピーバンドをやっていた
そのうちにオリジナルバンドをやる様に成る 詩も書いたりする
役者は月の活動 月は自ら光を発しない 音楽活動は太陽でありたいと思った
売れなくても太陽の活動をしていても旨くはいかない
30代終わり頃役者になるのを止めようと思った
天井桟敷の友人たちから声が掛って一緒に演劇をやらないかと言われてやって凄く楽しかった 直接演技をお客さんに届けるのがこんなに楽しいのかと思った
受け取り手の立場に立って演技をしようかなと思うようになった
舞台の稽古は苦しいが チケットを買った時点で舞台は始まっているんだよと言われて、一つ一つを楽しんでもらえるようか、考えている
見せる、見てもらい、楽しんでもらう 視点がいろいろ或る
色んな映画の色んな演技を使わせてもらったり 旅での出会った有る場面とかぱっと気になった 仕草とか使わして貰っている
犬からの仕草表現をみたりして参考にもしている 変幻自在の役者 と言われていますが 朗読もやっているが 芥川 「やぶの中」 中々面白い おばあさん 悪党いろいろな人の声をやるので面白い
朗読でも当人が見える朗読と見えない朗読は違う
伊勢神宮への奉納(文をもって朗読する)もした
仕事での演技の姿勢は基本的には流されるまま 抗わない 流れるまま
見てくれる人はどうやったら喜ぶのだろうかとどんどん広がってゆく
役の選択肢が少なくなってきているのと一つ一つの役柄を大切にしたいと思っている
それで劇に出るのが少なくなってきている事はある
想像出来ないような苦しい中で生活している方、凄く悩んでいる方、心を失ってしまった方、心の襞を無くしてしまった様な方 に対して僕らの出番がある様に思う
心の襞を再生するお手伝いをするとか、感じること、 感じることが生きがいにつながったりするとか、 そんな中に僕らの仕事の価値があるのかなあと自分で思っている
出来ることをコツコツとやっている
同じ時代に生きていて、同じ日本に生きていて、3万人もの人が自殺者いる事が耐えられない 苦しかったんだろうなとか それさえも感じられないように、追い詰められえてしまったんだろうなあと、なんか生き甲斐を一緒にみつけられれば相当避けられる人がいるのでは、その為の要素になる物を作っていきたいが、そのためには、自分の言葉を使わなくてはいけない
今まで役者として生きてきちゃったので自分の言葉を封印してきた
公の場としてフィルターが掛ってしまったりするのでそれすらも取っ払って自分の言葉でしゃべってゆくと言う勇気というのが僕に必要になってくるし、其れはもうちょっと時間がかかるのかもしれない
10代 20代 30代 40代伺ってきて今後はどうですか?
50代は綺麗に生きたい 醜く生きたくない
嘘はつかない、裏切らない ねたまない やっかまない 人の足を引っ張らない
気が付いたら相手を傷つけていたと言うのはまだしも、あえて傷つけているとか そういうものは止めようという 出来るだけそういう風にしたい
演技する上で、自分を捨てることに対しては物凄くエネルギーを使ってしまうのでは、自分が残っていていろんな役は出来ない
空っぽの身体に哲学を入れてくる そうするとその人が出てきてくれる
自分が残っていると苦しい
どっかで旅では追いつかなくなって 自分の活動をしなくては、いけないと思ったのが音楽だったそこで出会う人は気の良い人達だった
暇つぶしにバンドやろうと言う事になりコピーバンドをやっていた
そのうちにオリジナルバンドをやる様に成る 詩も書いたりする
役者は月の活動 月は自ら光を発しない 音楽活動は太陽でありたいと思った
売れなくても太陽の活動をしていても旨くはいかない
30代終わり頃役者になるのを止めようと思った
天井桟敷の友人たちから声が掛って一緒に演劇をやらないかと言われてやって凄く楽しかった 直接演技をお客さんに届けるのがこんなに楽しいのかと思った
受け取り手の立場に立って演技をしようかなと思うようになった
舞台の稽古は苦しいが チケットを買った時点で舞台は始まっているんだよと言われて、一つ一つを楽しんでもらえるようか、考えている
見せる、見てもらい、楽しんでもらう 視点がいろいろ或る
色んな映画の色んな演技を使わせてもらったり 旅での出会った有る場面とかぱっと気になった 仕草とか使わして貰っている
犬からの仕草表現をみたりして参考にもしている 変幻自在の役者 と言われていますが 朗読もやっているが 芥川 「やぶの中」 中々面白い おばあさん 悪党いろいろな人の声をやるので面白い
朗読でも当人が見える朗読と見えない朗読は違う
伊勢神宮への奉納(文をもって朗読する)もした
仕事での演技の姿勢は基本的には流されるまま 抗わない 流れるまま
見てくれる人はどうやったら喜ぶのだろうかとどんどん広がってゆく
役の選択肢が少なくなってきているのと一つ一つの役柄を大切にしたいと思っている
それで劇に出るのが少なくなってきている事はある
想像出来ないような苦しい中で生活している方、凄く悩んでいる方、心を失ってしまった方、心の襞を無くしてしまった様な方 に対して僕らの出番がある様に思う
心の襞を再生するお手伝いをするとか、感じること、 感じることが生きがいにつながったりするとか、 そんな中に僕らの仕事の価値があるのかなあと自分で思っている
出来ることをコツコツとやっている
同じ時代に生きていて、同じ日本に生きていて、3万人もの人が自殺者いる事が耐えられない 苦しかったんだろうなとか それさえも感じられないように、追い詰められえてしまったんだろうなあと、なんか生き甲斐を一緒にみつけられれば相当避けられる人がいるのでは、その為の要素になる物を作っていきたいが、そのためには、自分の言葉を使わなくてはいけない
今まで役者として生きてきちゃったので自分の言葉を封印してきた
公の場としてフィルターが掛ってしまったりするのでそれすらも取っ払って自分の言葉でしゃべってゆくと言う勇気というのが僕に必要になってくるし、其れはもうちょっと時間がかかるのかもしれない
10代 20代 30代 40代伺ってきて今後はどうですか?
50代は綺麗に生きたい 醜く生きたくない
嘘はつかない、裏切らない ねたまない やっかまない 人の足を引っ張らない
気が付いたら相手を傷つけていたと言うのはまだしも、あえて傷つけているとか そういうものは止めようという 出来るだけそういう風にしたい
2012年5月6日日曜日
三上博史(俳優) ・演じること、生きること
三上博史(俳優) 演じること、生きること
大河ドラマ「平清盛」で鳥羽法皇を演じている
高校1年の時に寺山修司監督の草迷宮のオーディションに合格 1980代のトレンディードラマ等で個性は俳優としてTV、映画で活躍している
あえて演じる事を避けて見る
自分を消しえてゆく それで台本を読んで空いた隙間に入ってくると言う感じ
役に見えるように何でも努力する
メークひとつ 若い時はスッピン 年を取ると白い色にする
実在する人物 の場合はリアルにやってゆく
書簡集では人柄が立体的に見えてくる
平安時代の資料は殆どない 想像力でしかない
私は大河ドラマは初めてでどういう風にやれば見ている人が楽しむのかなあと考える
鳥羽上皇という役柄は象徴的にして演じないといけないのかなあと大きく演じている
ここ数年舞台で演じてきたことが今回の役に参考になった
今は撮影は終了してホッとしている
主役ではないので時々出ているのでそんなに疲れてはいないのかと思ったが 頭の芯がつかれていた
本当に運命とは不思議なものですね と言われる様に 当時は寺山修司さんを知らなくて 77年 アンダーグラウンドはもう一息ついた時代だった
作品なんかも読んだことも無いし 高校1年で今後社会に出るのに7年間掛るだろうと思ってその間に サラリーのいいサラリーマンになろうと思っていて、その間にやれるだけの事をやっておこうと言う決意だけは有った
友人がたまたま寺山修司の草迷宮のオーディションの新聞記事を持ってきてやって見ようと言う事になり、応募したら通っちゃった
寺山修司の演劇もそれまで見た事も無ければ、本を読んだことも無かった
ただ後付けなんだけれども、知らなかった分、吃驚もしたけれども凄く興味が湧いた
それで演劇は見まくるし、本も読みまくった
それまでの自分の15年間には無かったことなので、兎に角ど素人なので 先ず羞恥心を取る事(すっぽんぽんになって女性の前でギャーッと言ったり) いじめられているのかなと思ったが そうではなくて高尚な演劇論があったりした 俳優論が有ったりした
こんなことは学校では味わえないし、最初は変な大人だなと思ったが どんどん泥沼に足を取られていった様な感じだった
其れからの20歳までの5年間は私に取って大変な事だった
幸せはお金で買えると思っていた
内申書を兎に角上げることだけを考えてやっていたので 寺山回りの世界に入った時に僕は目立つ男じゃないなと思った
だから学校に戻って勉強していたがどうも心が騒ぐ
あそこに戻りたいと言う気持ちが 毎日お祭りみたいだった
人が台詞を間違えるぐらいで何でそんなに怒ってるのと子供心に思ったんですが 皆が真剣なんですよ
その真剣さとは何なんだろうと思って、物を作ることに吃驚した
学校には戻るが10代の時にほんの少しだけれども「瀬戸内少年野球団」とか チョコと ちょこっとはやらしてもらった
どっぷりは使ってはいなかった 受験をするが一浪することになる
こりゃ駄目だと思っている時に連続ドラマの話が来る
やってみたら演じる事の面白さを感じた そこからいける所まで行ってみようと思った
だからスタートは20歳ですね
それから毎年のようにドラマに出る
寺山修司の世界とバブルの時期のドラマは違う世界だと思うが TVではやりたい役ではなかったが其れなりにこなしてはいた
映画の世界では自分の好きなことができたのでバランスは取れていた
海外にも旅に行っていた 中学の時から一人で行っていた
顔が知られる様になると不自由になる
海外に渡ると昔のように過ごせるので自然と海外に行くようになる
旅は自分を取り戻しの時間 確認しながら ありとあらゆる処に行っていた
身を任せるというか 計画するとチャンスを逸する様な感じがする(出会いの楽しみ)
良い意味で刹那的 今日一日を精一杯 この演劇を精一杯と 思っている
其れが繋がるでしょうと 繋がら無かったらしょうが無い、仕事を評価するのは他人だし、自分がいくら頑張りましたと言ったって 頑張った様には見えないですがと言われたり あんたの仕事は暑っ苦しいと言われたらもうしょうがない
大河ドラマ「平清盛」で鳥羽法皇を演じている
高校1年の時に寺山修司監督の草迷宮のオーディションに合格 1980代のトレンディードラマ等で個性は俳優としてTV、映画で活躍している
あえて演じる事を避けて見る
自分を消しえてゆく それで台本を読んで空いた隙間に入ってくると言う感じ
役に見えるように何でも努力する
メークひとつ 若い時はスッピン 年を取ると白い色にする
実在する人物 の場合はリアルにやってゆく
書簡集では人柄が立体的に見えてくる
平安時代の資料は殆どない 想像力でしかない
私は大河ドラマは初めてでどういう風にやれば見ている人が楽しむのかなあと考える
鳥羽上皇という役柄は象徴的にして演じないといけないのかなあと大きく演じている
ここ数年舞台で演じてきたことが今回の役に参考になった
今は撮影は終了してホッとしている
主役ではないので時々出ているのでそんなに疲れてはいないのかと思ったが 頭の芯がつかれていた
本当に運命とは不思議なものですね と言われる様に 当時は寺山修司さんを知らなくて 77年 アンダーグラウンドはもう一息ついた時代だった
作品なんかも読んだことも無いし 高校1年で今後社会に出るのに7年間掛るだろうと思ってその間に サラリーのいいサラリーマンになろうと思っていて、その間にやれるだけの事をやっておこうと言う決意だけは有った
友人がたまたま寺山修司の草迷宮のオーディションの新聞記事を持ってきてやって見ようと言う事になり、応募したら通っちゃった
寺山修司の演劇もそれまで見た事も無ければ、本を読んだことも無かった
ただ後付けなんだけれども、知らなかった分、吃驚もしたけれども凄く興味が湧いた
それで演劇は見まくるし、本も読みまくった
それまでの自分の15年間には無かったことなので、兎に角ど素人なので 先ず羞恥心を取る事(すっぽんぽんになって女性の前でギャーッと言ったり) いじめられているのかなと思ったが そうではなくて高尚な演劇論があったりした 俳優論が有ったりした
こんなことは学校では味わえないし、最初は変な大人だなと思ったが どんどん泥沼に足を取られていった様な感じだった
其れからの20歳までの5年間は私に取って大変な事だった
幸せはお金で買えると思っていた
内申書を兎に角上げることだけを考えてやっていたので 寺山回りの世界に入った時に僕は目立つ男じゃないなと思った
だから学校に戻って勉強していたがどうも心が騒ぐ
あそこに戻りたいと言う気持ちが 毎日お祭りみたいだった
人が台詞を間違えるぐらいで何でそんなに怒ってるのと子供心に思ったんですが 皆が真剣なんですよ
その真剣さとは何なんだろうと思って、物を作ることに吃驚した
学校には戻るが10代の時にほんの少しだけれども「瀬戸内少年野球団」とか チョコと ちょこっとはやらしてもらった
どっぷりは使ってはいなかった 受験をするが一浪することになる
こりゃ駄目だと思っている時に連続ドラマの話が来る
やってみたら演じる事の面白さを感じた そこからいける所まで行ってみようと思った
だからスタートは20歳ですね
それから毎年のようにドラマに出る
寺山修司の世界とバブルの時期のドラマは違う世界だと思うが TVではやりたい役ではなかったが其れなりにこなしてはいた
映画の世界では自分の好きなことができたのでバランスは取れていた
海外にも旅に行っていた 中学の時から一人で行っていた
顔が知られる様になると不自由になる
海外に渡ると昔のように過ごせるので自然と海外に行くようになる
旅は自分を取り戻しの時間 確認しながら ありとあらゆる処に行っていた
身を任せるというか 計画するとチャンスを逸する様な感じがする(出会いの楽しみ)
良い意味で刹那的 今日一日を精一杯 この演劇を精一杯と 思っている
其れが繋がるでしょうと 繋がら無かったらしょうが無い、仕事を評価するのは他人だし、自分がいくら頑張りましたと言ったって 頑張った様には見えないですがと言われたり あんたの仕事は暑っ苦しいと言われたらもうしょうがない
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