2011年6月10日金曜日

柴原英満(木曾林業・理事長)   ・森を育てひのきを語る 2

 柴原英満(木曾林業協同組合理事長79歳)  森を育てひのきを語る 2
切りだす作業は体力ともなうが慣れると大丈夫
当時はひのきは50~60年のものを切った 30cm 
山落とし ・・・とびで引っ張る 滑らせる 昭和35年までやっていた 自分で7~8割は自分でいろいろやってしまうので他の人よりも収入は多かった  
美空ひばりの音楽を仕事場に流す 
嫁さんの紹介があり結婚する
山に木を植えよう と3000本植える 
50年経ったらその木を売って世界一周旅行をしようと計画する(新婚旅行はなかった)
食事は何を出してくれても「おいしい おいしい」と言って食べる  
おいしいといわれると嬉しいらしいので・・・感謝  

後妻との関係でちょっと偏屈な性格であったが 嫁さんを貰ってから10年後には自分も直さねばならないと思う→変わっていった
伊勢湾台風 昭和34年9月 国有林 山の上の方の木が倒れる →切って出したいとのことで一緒に携わる
800万円で山を購入(入札、落札) 2年掛る(出材から販売まで)  
谷に木材が溜まっていた(谷底だから調査出来なかった)
3000万円の利益が出る

昭和39年 素材行だけでなく、製材業にも参加する
(3ヶ月間なやんだ 夜も眠れない時がよくあったが、最後に妻が同意してくれる) 回りは厳しい目で見られる 挑戦をしていきたい 
製材工場でのいじめもあった・・・これをばねにした  
夜は12時まで働き 朝は夏場4時から働いた 
子供にも学校から帰ってから6時~8時まで手伝わせる
苦しかったが、努力して良かった カミさんの援助
長男、次男 に仕事を譲る 

木に惚れちゃっている  
福沢諭吉「一生涯貫いて仕事が出来ることはこれだけ幸せなことはない」
ひのきは粘りがある 光沢がある 強度がある 建築材に最適
古い建物の修復  ・・・大洲城(四国) 錦帯橋 伊勢神宮社殿の修膳 300年もの
富士山麓 愛鷹山の近くに山購入 遠方で 260kmある  ・・・50~70年のひのきがあるが、手入れをしないと沼津の街が総潰れになると感ずる
手入れをすれば価値のある山になる 
最近は切りだしても儲けにはならない 
山に対しての魅力を感じる 手入れをして立派な山にしたい それだけ 山への恩返しのために山を買って木を植える  山を見ていることが楽しみ 国交省 がダムを作る為 50年前に植えた木が(世界旅行の為)安い価格で処理されてしまう(180~190万円)→海外旅行は中止

2011年6月9日木曜日

柴原英満(長野県林業・理事長)  ・森を育てひのきを語る

柴原英満(長野県林業共同組合理事長79歳) 森を育てひのきを語る
420ヘクタール持っている (0からスタート)
木曽 蘭(あららぎ)生まれ  妻籠宿の入り口  母は一歳の時に亡くなる 父は山仕事 庄屋 南木曽  山に飯場を作り あまり家には戻らず 
父が後妻をもらって育てられるようになる     
生徒は周辺に600人いた 山仕事が主である 貧乏だった 
食べれるものは苦労した 電気は無(周りはあったが) 風呂は一回/週  
学校へは弁当をもってゆけなかった(ぞうすい、おかゆ)
勉強をした記憶がない (戦争等で)
 サツマイモ作ったり、薪を集めたり、下駄を作ったり 米の買い出しをする 2泊3日 
(たらいと米の物々交換)  

辛いからやめようと思ったが、母親からお前は出先で米のご飯が食べられるから良いじゃないかと家の者は毎日麦、さつまいも食ってると、ばしんとやられる    
小学校卒業後山仕事をする 父は山仕事に関しては賛成  
母は勉強しないと苦労するよと言われた (他は厳しくされたが 後妻の母親に) 選ぶ道が他にはなかった まずはみんなの食事作りからの仕事 
(16名のご飯とおかず探しから ボラ ハチの巣等)  
仕事は大人の中で自分だけ子供なのでさびしかった 
空を見て涙が出てきたことが何度かあった
死ぬことは簡単だが、生きることは大変

昭和26年 松本で材木屋に弟子入りする 4年間 
婿さんに欲しいとの話がある 父に手紙を出す→ 飛んでくる→ 養子に行くんなら 俺(父)は其の時(母親を亡くしどうしようかと考えた時)死んだ方が良かったといった→父は涙を流しながら懺悔し、反対する  
父に説得され家に帰ってくる→今後 両親の面倒を見ますと母親のまえで言う→母親曰く 
お前なんかに面倒見てもらう必要がないという
情けなくなるが我慢して一年間山に入る→山の仕事をして13万8000円(現在の価格に換算すると500~600万円)もらう(1年間分)

父親に木を買ったり、山を買ったりした方が請負仕事するよりも利があるのではないかと説得する
借金をすることは嫌だと お前がやりたければお前がやってみろと父に言われる→山の木を買って始めた(成功への第一歩)

2011年6月8日水曜日

小藪実英(観音寺住職60歳)    ・花の寺から人生案内2

小藪実英(観音寺住職60歳)
母を亡くしたことにより深い悲しみの中から言葉が、ポツリ、ポツリと出てきた  
母を亡くした空虚感
蝉は卵で一年 土の中六年 地上に出て十日
「蝉」・・・詩
「卵で一年 土中で六年 地上で十日の蝉の一生  今たったの十日の生命を生きている  
人生 一日一日を大切に生きていかなくてはいけない」
寺のお草花を写生しながら心に浮かんだ

「味」・・・詩
「大根には大根の味があり、人参には人参の味があり 、
私には私の味がありあなたにはあなたの味がある  
下手でも上手でもどちらでもいい
あなたの味が出ていれば 、私は私の味が出ておば」
私らしく生きるのが大事である

「草の花」・・・詩
「石ころだらけの堅い土の中から 芽を出した雑草 足で踏まれ 車で踏まれ 
ペシャンコに踏みに
じられ 水ももらえず 肥料ももらえず
ほったらかしにされながら 小さな可愛い花を咲かせる 
私は柔らかな布団に眠り おいしい物を
たらふく食べ 多くの人に期待されながら
どんなに小さな花をよう咲かせず だらだらと生きる」
贅沢な満たされた生活をすることが良い人生かと思っていたが、そうではなく
自分の人生の中で、どんなに小さな花でいいから
花を咲かせる  そういう人生が大事

紫陽花の会
人生相談にくる  年年増えてる
病気で大事な人を亡くし 自分も後追い考える と言う人からの相談在り・・・手紙を送る
「地球という乗り物には様々な思いを持った人を一緒に乗せて、動いています
60億人いれば、60億通りの人生を乗せて動いています   
一人として同じ人生は在りません 
心の持ちようで 良い人生も悪い人生もにもなります  
運動会でビリになって 初めてビリになる人の気持ちの人間になります
人の死に出会って 自分の人生が深まる生き方もあります 
命ある以上否定することなく プラス思考で生きてみて下さい
人生捨てたものではありません ご主人の分まで生きて下さい  
それが一番の供養だと思います

死はほっておいても必ず来ます それまでは味わい深く生きることを考えて下さい」
道を歩いている人を見ると みんな幸せそうに見えるけど 
膝を突き合わせて話をしてみると、どのかたもとんでもない苦しいこと、を体験している
自分だけが苦しいこと 悲しいことに会っていると思っているが、 必ずみんな苦しいこと、
悲しいことを乗り越えて
いきているのが 我々人間だと思う


主人が二年前に52歳で亡くなる・・・その死を知った時に自暴自縛になる 
その母親が小藪氏の講演会を聞きに来ていた 「一度きりの人生」の本を主人が見て心穏やかになる
「花の命」・・・詩
「一輪の花が散った あっと言う間に散った はかない一生であった 
しかし私は花の姿を知っておりあなたもその花の美しさを知っている
姿形は滅んでも その魂は永遠であり 縁があるものに生かされて 
花の命は今日も生きている」

「仏様の声」・・・詩
「長いこと生きてきたなあ ようがんばったなあ 疲れたやろう もうあとは楽に生きたらええ 
とにかく楽に生きたらええ」
いらだった心が楽になっていったと思う
「命の終わりが来る日まで 一途でありたい 本を読んでいても 歌を歌っていても 
詩を聞いていても 仕事をしていても 一途でありたい 
心から人生を愛し 自然を愛し 今生かされていることに 感謝して生きていきたい」
どんな言葉を自分の心に入れるかによって 随分心の安らぎとか 癒しとか そういうことが 
違ってくるんじゃないかと思う
人間は何のためにこの世に生まれてくるのか  
それは心の修行をするために生まれてくるもの

「心の修行」
「人付き合いは思うようにはいかない あの人も この人も修業の為」
修業と言うが 自分が苦しみ 悲しみを乗り越えたら 自分の成長に繋がる
「勝って大きくなり 負けて深くなる 私の人生にマイナスはない」
リーマンショックで受注がなくなり ある人にこの言葉を書いてあげた
2年後 受注が増えた 必ず大きな波のなかで動いる
どん底んところをどうやって前向きに捉えるか 
そこをしのいだら次は良い局面が現れるんじゃないかと思う・・・小欲知足
小さい欲で 自分は足りている と言う気持ちを持って生きてゆくことが大事
今日も元気で生きている  これだけで私は幸せだと思う  
欲望の充足というだけでは 自分の欲望を負い求めているだけでは 幸せにはならない

「のんびり眺めて のんびり暮す」
花を楽しみながらお寺詣り・・・人生の役に立ちたい 縁を深めて行きたい
「今あなたと私がここにいる 数え切れない人の中から選ばれて あなたと私がここにいる
自分の力ではない あなたの力でもない 目に見えない不思議な力に導かれ 今 
あなたと私はここにいる」
縁によって生じ 縁によって滅る

福知山線脱線事故
「生命の無駄使いはしたくない 
若くしてなくなっていった人のことを思うと 生命の無駄遣いはしない
若くしてなくなっていった人の事をおもうと」
この世の中諸行無常
「生まれてきたものは必ず死にます 出会った人は必ず別れがきます 手に入れたものは必ず 
失います」
無常の世の中だから とんでもない深い悲しみを味わっている人でも 
土砂降りの雨がちょっとずつ上がってゆくように
その苦しみも 悲しみも ちょっとずつ いつかは元気な自分に戻れることが出来る」
「止まらない雨がないように 終わりのない悲しみもない 踏まれても 踏まれても へこたれない
タンポポの明るさと 強さを学びたい」

弘法大師
「身は華と与(とも)に落ちぬれども 心は香と将(とも)に飛ぶ」
この肉体は 花がいつか散ってゆくように この世からなくなって行くけれども 
そこに百合の花が咲いていたら 散った後も
百合の香りが残るように 人がなくなって行っても 縁ある人の心の中に 
その方が生きている時にされたこと 言われたことは
ずっと残って生き続けてゆく」

2011年6月7日火曜日

小藪実英(観音寺住職60歳)     ・花の寺から人生案内

小藪実英(住職60歳) 花の寺から人生案内
<概要>
京都・丹波・観音寺(紫陽花寺)住職   高校の先生17年  国語、ソフトボールの監督、絵と詩
寺に戻る決心をしたのは、癌で余命わずかを告げられたお母さんのためでした。
「生きている間に
親孝行したい」そう思い、平成3年3月教師を退職
心を育てる「あじさい会」を主宰し、多くの人に心の教育を行っている   
詩(自分で作った)、諺の紹介
紫陽花 アルカリ性は赤っぽい  酸性は青っぽい
「雨に打たれて輝く紫陽花のように、苦しみや悲しみにうたれても私でありたい」
命ある限り、前向きに生きていきたい 生きているかたに開かれた寺でありたい
(葬式仏教でなく)
地域の子供たちを集め、紫陽花学校 心の教育 書道教室
一般の人には紫陽花会 心豊かな良い人生を  絆を
座禅・般若心経・情操教育
4歳のときに実夫亡くなる  中学2年の時に寺が全焼 高校失恋 人生の虚無を知る
教員試験を受け教員になる(寺から離れたい思いもあり)
母が脳腫瘍で1年半後に亡くなると宣告される→親孝行と思い寺を継ぐ

「悲しみの泉」・・・詩
「悲しくても泣けない時がある 腹が立っても怒れない時がある 
辛くてもぐちのこぼせない時がある
 そんな思いがいっぱい溜まり
深い悲しみの泉となる その泉の中から優しさが生まれ 私の人格が生まれる」
「人生 万事 塞翁が馬」  人生は大半生きてみて 初めて幸せ 不幸せが後からわかる 
なにが幸せでなにが不幸せか判らない  
城塞に住む老人の馬がもたらした運命は福から禍へ、又禍から福へ、と人生に変化をもたらした
全く禍福というのは予測できないものである
17年教員生活 16年担任  4人が自殺 (受験、学生生活、就職つまずき、 恋愛失敗)・・・
アドバイスをしたかった(後で自殺した事を知る)
お寺の役目・・・「抜苦与楽」 仏や菩薩が衆生の苦しみを抜いて、福楽をえる
「大慈与一切衆生楽 大悲一切衆生苦」  
 
ソフトボールも教えた  126校の頂点に立つ 
厳しい練習・・・就職しその練習の厳しさを乗り越えたこ
とがその後の苦しみを乗り越えることが出来た
いかに自分の持ち味を生かすかという教育をしてやることが大事
「私の花」・・・詩
「桜の木の生命は桜の木の花を咲かせる 梨の木の生命は梨の木の花を咲かせる 
間違いなしにその花を咲かせる
私の生命は私の花を咲かせる A君やB君とは違った私の花を咲かせる」   
自分らしい花を咲かせることが大事
他人と比べて評価するんじゃなくて、自分の持ち味を評価 大事に伸ばしてやること事
「良い 悪い」ではなく 仏教としては個性として見る「これも良い あれ良い」

2011年6月4日土曜日

内橋克人(経済評論家78歳)    ・私の原点 阪神大空襲

 内橋克人(経済評論家78歳)         私の原点 阪神大空襲    
子供の頃、神戸大空襲に遭遇し、戦争の悲惨さを肌で感じる 
その体験を元に戦争に至る要因について、調査、取材を続ける   
ひとたび戦争に突入すると 例えば有名な建築家でも加担してゆく 
日本人の思考形態のいい面、わるい面  社会の大きな流れと自分について語る   
  
66年前 神戸大空襲 2割以上が壊滅   
神戸 海と山に挟まれた幾多の商店街があったファッションにも溢れ、モダンな空気持った港町であった   
文化の奥行きの深い、陽性の人々の街   
昭和20年3月17日 、6月5日  B29大編隊が来る      
疎開地の前後では人格が全く違ってしまった   
病院に緊急入院(急性盲腸) 病室から非難 避難先が攻撃される→父が見てくるが又行く→近所のおばさんが泊りに来てくれていた(姉の保護の為)   
防空壕に避難したが焼夷弾が直撃 防空壕崩れる→叔母さんがその中で亡くなる   
焼夷弾投下により一帯が大火災 中学校校舎見に行く 
火災を逃れ川に飛びこんだ人々、ほとんど亡くなる、うつ伏せ 岸に溜まっている    
校舎が林のように爆撃されている 壁には寄り掛かった死体がずっと続いている 

逃れようがない 抵抗のしようがない   
戦争があってはならない 語り継ぎたい (話したくない想いはあるが)   
戦争の詳細 詳しく知りたい 自分なりに調べた→衝撃的な事ばかり   
ひとたび戦争が起きると止めようとしていたものも、戦争に加担してゆく
(戦争を進めてゆく為に知を総動員してゆく)   
アメリカ アントニン・レイモンド日本で有名な建築家(スパイ?) 1938年米国に帰る→日本の家屋をいかに効率よく燃やせるか、研究に従事する   
空軍に協力してユタ沙漠に日本家屋の街を設置して焼夷弾による燃焼実験をする
  
*アントニー・レイモンド 1888年~1976年 チェコ出身の建築家 東京女子大 藤沢カントリークラブハウス、聖心女子学院、旧イタリア大使館日光別邸等   
  日本建築界に多大な影響を及ぼす 弟子に前川國男、吉川順三、ジョージ・ナカシマ等   
丹下健三、木村俊彦は前川事務所出身   
  フランク・エル 帝国ホテル設計した人  の弟子
  
長い歴史の中で戦争が出来上がって行く   
私が記者として教えられること(先輩記者から)   
①攻める側にカメラを据えるな 攻められる側に立って写せ(攻めて来るやつを写せ) 
   攻められる側に立って書け   
②自分の目で確かめろ 自分の目で確かめてこい 繰り返し繰り返し言われた   
③上を向いて歩くやつに仕事が出来るやつはいない 
  本当に仕事が出来るやつは上なんか向いていない 書きたいことしか書かない   
  経済、政治、国際的な流れを見る時の 私の思考原点になっている
  
戦争は長い期間で芽が出てくる     
「流れは作られてゆく」   
例えばグローバル化  グローバル化は世界の流れだ グローバルかは避けられない 
もうこれ以外に道はない こういう言葉では敏感に反応する   
誰か、何を言っているのか 
自分の目で、自分の耳で最初に企むものを見届ける  ・・・洞察知ることに全力で当たる   
日本人は義理堅く、律義、生真面目と良い点が一杯あるが、「危ういな」と思うところがたくさんある   
哲学者の久野収氏がコンホーミズム「頂点同調主義」・・・自分より上の人の言うことに自分を同調してゆく、合わせてゆく 異端者扱い、つまはじきになることを極端に恐れる
   
権論 権力がある人の言う意見に対し自ら積極的に同調してゆくのは日本人が警戒しなければならない、正さなければなならない弱い特徴   
ハーディング・・・熱狂する、陶酔する  熱狂的等質化現象と呼んでいる (落伍恐怖症) 
多数派に等質してゆく 少数派になることを恐れる   
何百年と言う歴史の中で植えつけられてきた     
一見、勇ましく、論じている人達(文化人、政治家、識者等の中にいる) 実は極めて空虚、すっからかんが透けて見える   
戦場に行って戻ってきた人とか、満蒙開拓団で借り出されてかろうじて戻ってきた人 は一瞬にして体感する 本当なのか、嘘を言っているのか
  
虚説 人をあおりたてる虚妄の理論 権力から流されてくる意識的なプロパガンダ  思想性、論理に対して民論 民の側から跳ね返してゆく    
私達は民論をもっともっと強く盛り上げてゆく力で権論を制誅する  流れは作られる   
神戸大空襲を語り継いでゆく 語るのは難しいが語ってゆかなければならない    
何故私はこういうことに腹を立ててるのだろうか 何故この内幕を知りたいのだろうか 好奇心興味 知りたいという欲求 あのような中を生き延び   
身代わりがあって(阪神大空襲の時の私の身代わりになった)、今日の私があるという原点です   

2011年6月2日木曜日

三宅祐司(喜劇俳優60歳)    ・笑いこそわが人生のテーマ 2

 三宅祐司(喜劇俳優60歳)   笑いこそわが人生のテーマ 2
現在大阪喜劇が多い  
ミュージカルアクションコメディー  アクション   落語 粋 粋でスマート さらっとこなす
設定を人間っぽい面白みのある設定を考えて、 それを真剣に演じれば演じるほど面白いというコメディーを作りたい
関西の喜劇の方は笑わせるまでやるというか、笑わせる為には手段を選ばない、その辺のパワーはすごい
文字にしてつまらない物を体で面白くするというのは大阪の人達はすごい 台本が面白い 真面目にやればやるほど面白い物にしたい・・・違い  
計算した呼吸でやる 誰でも言える  ドーンと言う笑いが帰ってくる 
これが止められない  間が必要  

エノケンロッパ・・・浅草喜劇 好き 
雲の上団五朗一座・・・最高に面白かった
八波むと志三木のり平) クレージーキャッツ、ドリフターズ
堺正章 音楽的素養のある人の喜劇が好き 
演技者として好きなのは伊東四朗、西田敏行
落語的笑いのセンスが入っている  志ん朝師匠の「間」が大好き 
音楽をやっている人はコメディーがうまい
劇場で音楽が流れたことで一つに纏まる
コントは動けるうちにやっておきたい・・・切れのいいうちやる(笑いのタイミング)
伊東四朗 ・・・浅草で身に付けた東京コメディーを表現できる最後の一人  
落語が大好き・・・波長があう
コントライブをやろうと伊東氏から誘われて行う →伊東四朗一座を立ち上げる→好評で7年続いている  

伊東氏 座長でありながらわがままを言わない  
全員が均等に目立たないと嫌だ・・・作家が本作るのが大変
セリフを絶対かえない 作家の苦しみを知っている 作家に対する敬意、優しさ
お客の反応  普段の面白くないことを一切忘れて楽しめました 
「御客さんを夢の世界へ連れてゆく」
客への呼びかけ、下ネタ、コマーシャルネタはやらない・・・お客が現実に戻る
「こんにちは赤ちゃん」 三宅生誕60周年記念
春風亭笑太 も一緒に入る・・・裾野を広げる
心が休まることがないと辛いことが出来ない・・・仲間と大笑いしてまたやろうとする(心を一つリセットする)
大笑いした後はすっきりする 笑うことで仲間意識、連帯感が生まれる

2011年6月1日水曜日

三宅祐司(喜劇俳優60歳)    ・笑いこそわが人生のテーマ

三宅祐司(喜劇俳優60歳) 笑いこそわが人生のテーマ  
<概要>
三宅 裕司(みやけ ゆうじ、1951年5月3日 - )は、日本のコメディアン、俳優、タレント、司会者 アミューズ所属。劇団スーパー・エキセントリック・シアター(SET)の座長 東京の笑いである軽演劇を継承すべく、師と仰ぐ伊東四朗や渡辺正行、小倉久寛らと共に『伊東四朗一座』を公演  

父は国鉄技術研究所に勤務 趣味でTV作成(3~4歳の時)  TVは早かった  
8mm撮影、編集、ナレーション、音楽 入れてみんなで見る
祖父は印刷部品の工場主
(従業員100名 謄写版  絹を張ったのは祖父が発明 特許取得は無)
笑いへの興味  落語を叔父たちが聞いているのを一緒に聞く
伯父が映画館等に連れていってくれる
伯父:芸者の置き屋をやっていた   叔母:SKD  
母:日本舞踊・・・こういう世界に入るべくして入ったという感じ
高校 、明治大學 落語研究会  バンド

最初に影響されたのは、アメリカコメディー クレージーキャッツ  雲の上団五朗一座
志の輔は2年後輩  
就職は考えず→タレント学院入る→合わない→東京新喜劇にはいるが何もやらない→ケーブルTV 実験放送(多摩TV)でアルバイト的にやらないか、就職
毎日、生放送 つらい経験が良かった→ヤングパラダイス
大江戸新喜劇・・・新しい笑いをつくりたい→独立(15人一緒に引き抜く) 
SET劇団をつくるのが28歳の時
2作目で大好評 お客が増える 1000人→3000人になる(3年掛る)
東京の喜劇  音楽はかっこいい音楽を、歌は綺麗にハモって、いいダンス・・・ズッコケ   
落差の大きさが東京の喜劇かなと自分では思う
伊東四朗氏に聞くと 歌手よりも歌がうまく、ダンサーよりも踊りがうまくなければいけないといわれた
アメリカのコメディアンは歌はうまいし、タップはやるし、楽器はやるし、レベルはものすごく高い  ジェリー・ルイス
笑いは絶対必要ですし、赤ちゃんは何故教えないのに笑うのかというのがある 
それは世のなかに生まれてきて、沢山の人に愛されて育ってゆくように、本能で笑顔を知っている・・・なるほどな
アメリカの子供の教育というのはまず笑顔から教える 
アメリカのスピーチのエチケットとして必ず笑いを入れる
人間が生きていくうえで、人に愛されなくては生きてゆけないから本能で笑顔、笑いを知っている
笑わせてくれる職業はすごく人間にとって素敵な職業だと思う・・・
自分で生きてきた方向性は間違っていないと思う
笑い=愛

東日本大震災  
心のケア 必要  ボランティアの人達がたくさん来て「ありがとうございます」と言う言葉にも疲れてきてしまっているのでは
相当精神的に疲れてきている  
プライベートがない中、ピークに来ているのではないか  
音楽、笑いで心のケアをしてもらうのは今一番必要なのではないか