2020年5月28日木曜日

春日太一(映画史・時代劇研究家)     ・【私のアート交遊録】「銀幕の舞台裏」

春日太一(映画史・時代劇研究家)     ・【私のアート交遊録】「銀幕の舞台裏」
プロ野球は横浜DeNAベイスターズの30年来のファン。
子どものころから不眠症で、親が物語を聞かせてくれて、父親が戦国時代の物語などの話をしていて、特に「七人の侍」について細やかに画像の説明付きで話してくれてそれが自分の頭の中で映像になっていって、それがきっかけだったのかなあと思います。
映画館には子どもの時には通っていませんでした。
TVで8時台になると親が大人の時代劇のドラマなどを見ていました。
大河ドラマはよく見ていました。
年末大型時代劇を民放でやっていて紅白歌合戦は見たことがなかったです。
母親も時代劇なども大好きでした。
そのうち映画が見たくなってきて親にせがんで小学生の頃に観に行って、「グーニーズ」は面白くて洋画にはまっていきました。
洋画と時代劇にはまっていきました。

高校受験をして 偏差値の高い海城高校へ進学して、成績も中学時代は学年でトップの成績だったので大丈夫と思ったが、ビリを初めて経験したりしました。
成績はいまいちだったが、東大を目指すということは頭の中にありました。
2年浪人して駄目で、結局家に近い日本大学藝術学部放送学科に入学しました。
最初は作る側をやりたくて映画監督の書生をやったり、助監督をやったりしていたが、向いてないかなあと思って、脚本を書こうと思って、勉強をして10年ぐらいは脚本の下働きTVドラマの企画書を書いたり時代劇の企画書を書いたりしていました。
卒論のテーマは「仁義なき戦い」でした。
就職氷河期で映画会社を受けたが、映画会社だと思って受けないでくれ、うちは不動産で儲けているのでと言われて、そのあと大学院に行きました。
東映が採用再開するということで受けて最終まで行ったが、幹部の人から「君みたいに古いことを追いかけている人間は一番いらない人間だ」とはっきり言われました。

博士論文は『映画とテレビ交流期の時代劇表現:1970年代の京都3撮影所における集団的個性の形成プロセス』(2008年)で芸術学の博士号を取得しました。
1960年代から時代劇映画のお客さんが入らなくなって、一方でTVが伸びてきて映画会社が時代劇を作るようになってきました。
そこで京都3撮影所に行って書いた論文でした。
能村庸一プロデューサーが『実録テレビ時代劇史』という大作の本を出して、それを読んだときにプロデューサーがいろんな思いでTV時代劇を作ってきたということが判って感動しました。
演出家が変わる、脚本家も違うそれなのに26本同じ雰囲気がどうして保たれているんだろうと思って、能村さんに伺えばわかると思ってお会いしたら、「僕らではないんだ、撮影所の彼らのやっている仕事が決定付けているんだ」と言われました。
その意味が判らず、毎日現場に伺って見させてもらいました。
監督さんの指示がなくてもスタッフの創意工夫でどんどん動いていました。
カメラを移動するときにレール上を動かす台車の動かし方、雪の降らし方、雨の降らし方、そういった人たちの話を聞くと細かなことで情感が変わってゆくということを言っていて、彼らの創意工夫によって時代劇の情感の映像が生まれてくることが判りました。
スタッフさんたちの芸術性、創意工夫というものをやっている評論家がいなかったので、これをやるのが僕の仕事かもしれないと思って、時代劇研究家と名乗ってそれを仕事にしていこうと思いました。

実際に現場に行ってもどうしたらいいかわからず、あきらめかけたことがありましたが、映画「ロッキー」の台詞の中で「人生何もうまくいかなかったけれど、この最後の試合だけは15ラウンド最後まで立ち続けると、勝つのではなくて立ち続ける」というんですね。
それで初めてダメ人間ではなくなる、というんです。
そう思ってもう一回京都に戻ったら「お帰りなさい」と言ってくれて、受け入れてくれたのだと思って、とにかくクランクアップまで居続けようと思いました。
そうしているうちに気になったことを聞いていくようにしていきました。
レジェンドのスタッフの人たちの技術、こういったことをやってきたということを文章に纏めて次の世代に人が読んでくれたらいいと思いました。
殺陣は技術だけではなくて演出としての技術がないとだめです。
事例を書き留めておけば若手の人のヒントになればと思っています。

ある時に能村庸一さんを取材したとき、終わった後に「黒澤明か長嶋茂雄になったみたいだよ」といってくれて、それが今でも自分の方針になっているんですが、どんな人に対してインタビューするときにでも黒澤明だと思って聞きます。
小道具のスタッフでも大スターでも分け隔てなくインタビューするようにしています。
仲代達也さんへのインタビューで10回シリーズがありましたが、映画に関しては観られるだけ観てお会いしますが、基本的にはスタッフさんへのインタビューとは変わってはいません。
役所広司さんにインタビューしたときに思ったのは、スターもスタッフも映画という神輿を担いでいるんだなと思って、役者さんに対しても役者というスタッフでというイメージで伺っています。
質問のきき方、準備の仕方もまったく同じですね。
人生の教えを乞うような接し方をしています。
時代劇、映画は、世につれ状況につれ、お客さんの意識の変化、技術の変化につれ、変わってきていて、今のお客さんにどれだけ喜んでもらえるかの勝負をしているものだと思っていて、絶えず今のお客さんが100%喜んでもらえる作品を作ってもらいたいし、そこ対しての妥協はしてほしくないですね。
「私が愛した渥美清」(秋野 太作作品)という本がとても面白い、「男はつらいよ」の裏話です。