2020年5月2日土曜日

木津川 計(立命館大学名誉教授 上方芸能評論家)・「大阪の文化を見つめて65年(2)

木津川 計(立命館大学名誉教授 上方芸能評論家)・「大阪の文化を見つめて65年(2)
1968年(昭和43年)大阪に雑誌「上方芸能」を創刊。
48年にわたって発行にかかわってきたのが木津川さんです。
1986年からは京都の立命館大学で教授として教鞭を取り、若い世代に落語、歌舞伎、文楽、人形浄瑠璃、上方舞などの味わいを語り伝えてきました。
一方雑誌の出版は苦しい経営が続きました。
発行を断念しようとした時には、原稿料なしで連載を書いてくれた著名な落語家もいたといいます。
2回目は「~雑誌『上方芸能』を支えた人々」です。

50歳の時に大学教授になってほしいとのことでした。
立命館大学でした。
民間から大学教授へ行くというのは当時としては珍しいことでした。
新聞5大誌に大きく取り上げられました。
語りが好きで落語、浪曲などいろいろ真似をしていましたので、学生に対していろいろな語りがけをしました。
400人の大教室が満杯になり、入れない学生は廊下にあふれたりしました。
講義内容はいろいろ知恵を絞って語り掛けました。
上方芸能、大阪文化の両方を発展させるために、現代に伝統をどう共存させるか、追及していかないと深みが出てこないので、これが主要なテーマにいろんな例証をもとに語り掛けました。
上方芸能の落語、文楽、浄瑠璃の一節などをうなったり、なぞったりもしました。
40代の終わりから常磐津の語りをやったのが、自分自身大変プラスになりました。
今の一人語りにも生きてきました。

雑誌『上方芸能』は200号で終刊になりました。
黒字には一回もなりませんでした。
定期の読者が700人ぐらい、2000部ぐらい発行してきました。
48年間赤字ばっかりでした。
教授の収入でつぎ込んできました。
80歳の時、200号で終刊となりました。(2016年)
詩人の小野 十三郎杉山平一、漫才育ての親と言われた秋田 實、作家の藤本義一、落語の人間国宝桂米朝、文楽の人間国宝の竹本住大夫、歌舞伎の人間国宝片岡仁左衛門などいろんな人たちが『上方芸能』を応援してくれました。
原稿を書いてくれたり、コメントしてくれて、価値を高めてくれました。
トータルで1000人を超えていると思います。
原稿料は払えなかったが、書いてくれました。

50号を1977年2月に迎えて、100号への道しるべとしていろんな方からコメントをいただきましたが、先代の片岡仁左衛門さんから応援してくれる旨の文章をいただきうれしかったです。
そのほか70人ぐらいの人たちから協力していこうというコメントをいただきました。
やめようと思ったときに、桂米朝さんからの連載はありがたかったです。
50号から55回「上方落語ノート」という連載になりました。(33年間ただの原稿で)
竹本住大夫さんからは大阪弁の誇りを教えられました。
ドナルド・キーンさんが奥の細道のなかで芭蕉は言葉が通じなく困ったとは一行も書いていないということに気付いて、早稲田大学の暉峻 康隆(てるおか やすたか)教授に聞いたところ、たぶん大阪弁で話したんだろうということでした。
大阪に商人が全国から来ていて大阪弁が全国にも広がり、大阪弁が標準語的な役割を果たすわけです。
大阪が首都になっていれば大阪弁が標準語になっていたと思います。
地方の文化、芸能とその地方の言葉は一体なんですね、だから言葉を大事にしてゆくということが大事です。

藤本義一さんはどんなに忙しい時でも、必ず応えてくれました。
この人からは在野精神を教わったと思います。
兎に角現場第一主義の人で、街中で大阪文化、職人文化の継続発展に力を尽くした人でした。
詩人の小野 十三郎さんからは思想的な影響を非常に受けました。
批判精神にあふれていて、抒情的リリシズムからの脱却の論考でずいぶん話題になった方です。
15年戦争を支えていた精神的な柱は抒情的リリシズム、美文で戦意を高揚させる、戦争をたたえる、敵愾心を育っていく、勝利への確信を国民に与えるということで、非常に美しい言葉が生み出されてゆく。
批判精神を人間は失ってはならないということを小野さんは戦争中の痛い国民の体験から批評精神の大事さを説いていく、小野さんから影響を受けました。
『上方芸能』は重たい荷物で、くじけそうになった時に小野さんが言ってくれた「軽く翼を水平に泳がせて重たい荷物を運ぼう」に励まされました。
ぼやいたり協力を求めたりせずに、この48年間の赤字にも拘わらず続けられたのはこの言葉のお陰でした。

精神の誇りを持ちたいと思て『上方芸能』を起こしましたが、ジャンルが多くて、雑誌を出しながら勉強していきました。
雑誌『上方芸能』を認めてくれたのが、日本文芸振興会(文芸春秋の中にある)が菊池寛賞を与えてくれのはびっくりしました。
上方落語は『上方芸能』を出した当時は26,7人でしたが、今は10倍ぐらいになりました。
文楽、浪曲、講談なども頑張っています。