2020年5月16日土曜日

谷島雄一郎(ダカラコソクリエイト発起人) ・「若いがん患者たちの体験を社会に生かしたい」

谷島雄一郎(ダカラコソクリエイト発起人) ・「若いがん患者たちの体験を社会に生かしたい」(初回:2019/5/ )
人有りて街は生き、若いがん患者たちの体験を社会に生かしたい。
がん経験者に呼び掛けてあたらしい社会をデザインするというプロジェクトを立ち上げた矢島雄一郎さんへのインタビューです。
40代の矢島さんは大阪ガスに勤めるサラリーマンで妻、小学生の娘さんと暮らしています。
自らも治療が難しいタイプのがんと向き合いながら仲間たちと活動を始めました。

会場には会社員や学生たちの若いがん経験者が集いました。
2012年(34歳)で子どもが生まれる前の月にがんが見つかりました。
GIST(消化管間質腫瘍を示す英語 GastrointestinalStromalTumorの略称)が食道にできました。
10万人に一人という発生率といわれました。
腫瘍が8,9cmの大きさだったので、手術はリスクが伴うということなので薬で小さくしてから手術をしたほうが効果的だということで、薬(グリベック)を飲み始めました。
9割がた効果があるといわれていた薬でしたが、運悪く効果がなかった。
手術をすることになって再度検査をしたら肺にも転移が見つかりました。
食道の全部と肺の一部を切除する手術を行いました。
再発が危惧されて経過観察したが、翌年肺に再発してしまいました。
薬が二つ残されていたが、副作用が強くて薬の効果はありませんでした。
いろいろ副作用があり手足がやけどをしたように痛くなる、髪がぬけたりしました。
研究中の薬の臨床試験に参加して効果を見てみたり手術をしたりしました。
ラジオ波などで腫瘍をやいたりとかやっていましたが、再発を繰り返していました。
結果が変わらないと思いだして、愛する人、子どもの未来に何かを残したいということを思い出したのが2015年ごろでした。

子どもにデジカメを与えて、撮ったものを見てみると、僕を幸せな気持ちにしてくれていて、がんになったからこそ見える景色があり、それは誰かを幸せにする力に変えられるのではないかと思い出しました。
いろんな動きを始めました。
会社への提案を汲んでくれて会社のソーシャルデザイン室にはいって、社会の中のいろんな人たちを資源として、その人たちの力を生かしながら社会をよくしていくことをもっとクリエーティブな視点でやっていこうということでした。(2016年4月)
AYA世代(Adolescent&Young Adult(思春期・若年成人 15~39歳))のがん患者の人たちと会うことにしていきました。
いろいろな悩みを抱えていて、パートナーに対してがんであるということをいつ告白したらいいのか、治療によって子どもが生めなくなってしまっている人が多く、それをいつ打ちあけたらいいのかとか、会社からの解雇の問題などいろいろありました。
患者という存在となってしまって社会から孤立して傷付けられるというようなこともありました。
感謝を何かの形で還元したいと、がんになっても社会から必要とされる存在になりたい、ということを皆さんは特に思っていて、AYA世代には強く感じているところです。

15~20代前半の人にたいしてはいまいち理解できないところもありました。
相談する中で強く言っているのは、成長の機会を病気によって奪われてきたということです。
社会で生きてゆくためのスキルを何ら学んでいませんという風に言っています。
サポートが必要だと思って試行錯誤しているのが今の状況です。
30代でも結婚しているか、していないか、子どもがいるかどうか、といったことで悩みが多岐にわたっています。
AYA世代は病院でも少ないので、病院関係者の人も苦手意識があるそうで、なかなか接し方がわからない状況のようです。
がん患者は100万人ぐらいでそのうちAYA世代は2万人ぐらいです。
体験を文章にしていろいろ発信している方々もいます。
「ダカラコソクリエイト」というプロジェクトを発足しました。
がん経験者が社会全体に価値のあるものを提供する、ということで大阪大学平井敬准教授
に相談に行きました。
ガンになった人の心理を研究してケアに結び付けていこうということで、ワークショップを立ち上げました。
40~50名で20~40代のがんを経験した人が中心で、学識のある方、教育者などもかかわってくれています。

プラスチックでできた車椅子のおもちゃがカプセルの中に入っていたり、いろいろあります。
そこに経験談がいろいろ書いてあります。
メディカルガチャガチャです。
ラインのスタンプにキャラクターを作りコメントも付け加えられている。
「頑張り過ぎやでー」「今は休みの時やねん」とかいろいろ付け加えられている。
自分らしくいられる居場所が欲しい、もっとがんをカジュアルに話し合う場所が欲しい、という二つの思いがあり、繁華街の雑居ビルの一角に実験スペースとして場所を構えました。
活動を始めた当初はあと数年しか持たないと思いましたが、実効性のあるものをやっていきたいと思っています。