菊池初恵(菊池彩花選手の母)・【アスリート誕生物語】平昌オリンピック金メダリスト
長野県南佐久郡南相木村は村の面積の2/3が山林という、コンビニに行くのにも車で20分かかるとか、山の中腹のところに村があるところです。
5人の子がいて長女は真里亜、彩花は次女で、三女が悠希、四女が萌水、五女が純礼です。
みんなスケートをやってそのうち4人が日本代表に選ばれました。
冬は何もないところなので、自分から心の底から楽しかったというもとで遊んでほしかった。
子どもたちは自分で道具を作ってよく遊んでいました。
私は一人っ子でのほほんと育ちましたが、スケート部に入り上下関係の激しいところで苦労しました。
朝ご飯を一升五合炊きます、夜蓋を開けると米粒が一つもないというような状況でした。
長女がアトピーだったので、長女が食べられないものは置きたくないという思いが有ったのでお菓子などはありませんでした。
おかずの質を上げるようにしていました。
長女は小さいころ身体は弱かったが、運動能力は一番ありました。
スケートもあまり練習しなくてもポンと全国大会に行ってしまったというような感じでした。
彩花はコツコツ努力型の子でした。
長女は身長が私よりも伸びたときに、「おい、おまえ」といったんです。
そんないきさつから決闘をやろうということになって、彩花に号令をかけてもらうことにして、彼女は割と早く号令をかける癖があること知っていたので、あっという間に抑え込んで私が勝ちました。
彩花は激しく反抗するということはなかったです。
事はその瞬間に処理するようにしていました。
後ろを振り返る暇はなかったです。
長女は喘息がありましたが、スケートに行くと喘息が出ませんでした。
ある日祖父がスケート靴を二足買ってきて始めました。
長女が2歳半か3歳のころでした。
彩花が8か月のころに遊びに連れて行って、発砲スチロールの箱に彩花をいれて、長女が引っ張って楽しく遊んでいました。
彩花がその後大きくなると同じように下の子にしてあげていました。
勝つ思いを経験しないと競技の楽しさは分らないので、そこそこ勝てるぐらいには教えて、勝ったという経験を味わってほしいと思いました。
基礎はしっかり教えました。
スケート場までは子どもの足で20分ぐらいですが、歩かせていきました。
子どもたちには小学校の頃はノーマルのスケートで通して、周りはスラップスケート履いていたが押し通しました。
小学校の頃は入賞はしたが優勝はしていなかったです。
中学ではスラップスケートを履いていいよと言って、中学1年でいきなり全国大会で4位になりました。
3年生の時には優勝できたという経緯があります。
長野オリンピックでは清水選手、岡崎選手の映像を見て、めざしたいと思ったのではないかと思います。
練習のやり過ぎではないかと思う時がありました。
実業団に行ってワールドカップでトップ取るような選手がいて、そこから世界を目指すようになったと思います。
それまで2,3位だったが、2015年から優勝するようになりました。
2018年2月に行われる平昌オリンピックに向けて合宿していた時に、突然電話がかかってきて「怪我をしてしまった」ということでした。
軽い怪我だと考えていたら、右ふくらはぎを断裂する大けがで選手生命をおびやかすものでした。
平昌オリンピックの準決勝のカナダ戦に高木姉妹と出場して勝利し決勝進出に貢献することができました。
決勝では高木姉妹と佐藤がオランダを破り、チームとして金メダルを獲得した。
小さいころからの積み重ねによって今の彩花があって、結果が得られるようになったと思います。
平昌オリンピックの2か月後に引退を決意する。
2018年10月23日にバンクーバーオリンピックの銀メダリスト長島圭一郎さんと結婚。
今与えられたことを精一杯こなして、いつまでも彼女が楽しく輝いて居る姿を見せてくれていたら私は幸せです。