2020年5月8日金曜日

仲道郁代(ピアニスト)          ・「ベートーヴェンを新たに読み解く」

仲道郁代(ピアニスト)          ・「ベートーヴェンを新たに読み解く」
昨年10月放送のインタビューの再編成
おととしデビュー30周年、いろんなコンサートをさせていただき走り続けてきたという感じがしました。
これから10年後を見据えて、演奏家として何を目指すのかということを考えて活動してゆこうということを考える節目になったのが30周年でした。
ベートーヴェンの音楽は生きる事とはどう言うことかとか、問い続けている音楽だと思いますが、ベートーヴェンを核に据えて私自身も生きる事とはとか、音楽をすることとかというのを自分にも問い直したいです。
そして10年間ベートーヴェンを核にしたシリーズを考えました。
「 Road to 2027」というプロジェクトをスタート。
2027年はベートーヴェンの没後200年でもあります。(私の40周年記念でもあります。)

もともとベートーヴェンは苦手でした。
試行錯誤の連続で30代に入ったときに、60歳ぐらいになってベートーヴェンを弾けるためには若いころ挑戦しておかないと無理だと思って、全曲ソナタ演奏会を最初にしました。
最後の演奏会の時に諸井誠先生が聞きに来てくださって、「君、最初からやり直さないとだめだよ」と言われてしまいました。
「僕と一緒に全曲やりませんか」と言われて、32曲を弾くコンサートシリーズが始まりました。
諸井誠先生からベートーヴェンを手取り足取り教えていただきました。
転機になったのがその時のベートーヴェンでした。
ベートーヴェンを弾くときに感情、感覚だけだと手におえない形にならない。
なぜなのかということを、まるでパズルのような組立てていって、謎解きのような読み解き方を教えていただいたら面白くなりました。
今ではベートーヴェンは大好きです。
ベートーヴェンを研究するとそのあとの作曲家の見え方も変わってくる。

名曲には名曲たるゆえんがあって発見があります。
こんな音使いで弾いてみたらどんな表現になるかとか、いつも思います。
アイザック・スターンというバイオリニストがコンサートもエクスペリメント(実験)だとおっしゃっていて、毎回毎回完成系はなくて、こんな風にトライしたらどうだろうかと実験の繰り返しだとおしゃっていて最近はそうだなあと思います。
ベートーヴェンとナポレオン、ナポレオンが台頭してきた時代だからベートーヴェンが「英雄」を書いていたという、又ベートーヴェンがナポレオンへの失望、そこからまたかいて、その時代がベートーヴェンにどう影響を及ぼしたかということをトークとか資料スライドでお話をしてからコンサートを行いました。
ベートーヴェンの曲がどう聞こえてくるか、知識を通して感じてもらいたいという思いもあります。
現代に訴えかけてくるものがあります。
共鳴すると感動するし作品のすばらしさ、本質をもっと知りたいと思っていただけるのではないかと思います。
同じ楽譜を見て同じ指示のもとに弾いて、演奏家によって演奏が違うことの自由さって、すごいことだと思うんです。
決まりがあるからこそ自由度がより際立つというように私は思っています。

ナポレオンの次がヘーゲル、葛飾北斎、ルター、クリムト、シェークスピアと、ベートーヴェンとの比較をやっていきます。
ルターはキリスト教的概念が外せなくて、十字架というものをベートーヴェンどうとらえるのか、十字架が人が背負う比喩的なものであるとするならばそれをベートーヴェンがどう克服して、どういう世界観を導いたのか、とか考えたりするわけです。
ルターは「音楽は神様からの最上のプレゼントである」といった人で、非常に音楽の力を信じた人だったらしい。
ベートーヴェンは思想の人だと思います。
ベートーヴェンが哲学をどうとらえたのかによって、ベートーヴェンの作品を浮き上がらせることができる。
葛飾北斎は構成の方のアイディアです。

母が私に対してピアノの練習をしてから宿題をしたり、遊びに行かせたりするような生活スタイルをするようにしていました。
娘は小学校4年生でピアノをリタイアしました。
私のやっていないフルートは続けていきました。
私は4歳からピアノを始めました。
浜松市立白脇小学校5年生のとき第27回全日本学生音楽コンクールに出たときには5分の曲を毎日8時間練習をしました。
小学校5年生の時に連れてってもらったコンサートでヴィルヘルム・ケンプがベートーヴェンだけのコンサートをして、後光がさしているように感じて最初の音から最後の音まで全て心に入ってきて感動しました。
1985年から1987年まで文化庁在外研修員としてミュンヘン音楽大学に留学しました。
中学時代にアメリカに行きましたが、アメリカでは音楽の力を感じさせてくれました。
ドイツに行ったときには歴史を感じました。
クラシック音楽は今でも生きていると感じました。
人の生活に根差した生きた言葉だと思ったのがドイツでした。

自分の好きな色は何かと問われたときに、自分がどう思うかということには間違いはないと思います。
音楽を受けとめている感じは、人の感覚の豊かさ、心の多様さに気が付くことができます。
聞くほうもなにかきっかけとなるようなものがあるように、お話付きのコンサートとかいろいろやっています。
お子さんのほうが豊かに心が批評します。
ピアニストは親が望むからなるものではなくて、その子が一生をかけて音楽に取り組みたいと思うような思いを持つような子なのかということで、小学生の時にわかると思います。
演奏家の人にはどこかきっかけがあると思います。
見つけるのは本人です。
演奏会は様々な方がさまざまに受け止める、作曲家も人生をかけて伝えたいと思っていることを音にするんだと思って、私は10年経ってどんな音楽家としてなれるのだろうかと突き詰めていきたいと思って、2027年までのプログラムを組んで進んでいるところです。