2013年9月6日金曜日

下川裕治(旅行作家)        ・緩くて深いアジアと私の旅

下川裕治(旅行作家)   緩くて深いアジアと私の旅   
長野県松本市生まれ アジアをテーマにした旅行記やエッセーの分野の第一人者の一人
慶應大学在学中から学生新聞などに旅行記を書き、卒業後は新聞記者となりました
その後はフリーとなり、「12万円で世界を歩く」で旅行作家デビュー
以来、「バックパッカー」スタイルで一般の観光客のルートとは違う、下街を歩き、庶民の暮らしや、食べ物を中心にした旅行記やエッセーを書き続けています
約40年間の旅や取材から感じたこと、自らの人生を語っていただきます

月に2回は旅行に出かける 日本にいる方が多いと思う
父親が高校の教師をやっていたので、転勤が多かった
慣れてきたら、どっかに行くような感じだった
小学校は野球少年、高校は何故か山岳部に入る
海外を旅をするようになって、旅行に行く人が山岳部の人たちという、多く出会いがあった
高校は松本だったので、山は多くあり、よく登った
大学は学生新聞で活躍した 物を書くことに興味があった
書いたものとしては旅行記、エッセーが多かった 
学生運動の末期の時代だったが、初めてアジアに行ったのが大学2年のころだった
学生新聞が政治的なものに影響された時代から別なものへの関心へと、移り始めた時代

就職したのが大手の新聞社、書き続けたいなあとの想いがあった
外国と接するところに行きたいとの思いもあった
記者生活は3年目に辞めた 
静岡支局にいたが、もっと自分でやりたいことに近づきたかったが、ジーッと日本の中で記事を書くことにイライラし始めていた
気軽に会社を辞めて旅に出る(27歳の時、当時は景気が良かった)
知り合いがドイツにいたので、ドイツからアフリカ、アジアを回って日本に帰ってきた
デビュー作「12万円で世界を歩く」 34歳 自分の旅が本になるとは思わなかった
1年近い旅から帰ってきて、30万円は残っていたので、毎日部屋で自分で食べるものを作って、働く気がしなかった(旅行で一人遊びがうまくなった)
友人がもっと社会復帰しないといけないと心配してくれて、書く仕事を提供してくれた
ドンドン仕事が来るようになった

フリーになってからも、健康物、株式とか仕事があった(バブル期)
タイに行ってくる 1年近く日本を離れると、関係が切れてしまうので仕事が無くなる
週刊誌の人と一緒に旅行した時に、タクシーを乗るのに同乗者を集めていたら、一緒に行った友人から変な旅行をしている人間だと言われた(節約旅行)
バブル期だったので海外で節約して旅行することが、異常に思われた
大好きな旅を書いてしまった これが売れてしまった 一つの転機となる
旅の中で何かか起きてくれないと書けない(意図的に起きたことはつまらない) 
旅での視点が変わった
街を書く材料を見つけるためには、ひたすら歩いたりして、書く材料を見つけた
視点だけ研ぎ澄ましていかなければいけない所はあった

アジアは向こうから来てくれる 
屋台で食べていると、急にオートバイが近づいてくるとか
ヨーロッパ、アメリカはシステム化してきているので、目的意識をしっかり持って、これを見に行く、之を食べようとか、はっきりした自分が無いと答えが出てこない
アジアは唯ぼーっとしているだけで、例えば夕方ご飯を食べようと思ったら、凄いスコールが来て、屋台にいったら、作る人たちが来ない 
作る人は来ないからあっちから取ってくれば とか言われて、こういう事が起きるなあ、とのことからアジアは書けるなあと思った
アジアは私に合っていた  
インドについては、インドに対して大好きな人に何故か囲まれていた
旅行のコツ、言葉が解ってしまうと駄目ですね 
嫌なことも聞こえてきてしまうし、心穏やかに旅ができない  詳しくならないほうがいいのでは

生れて初めて英語以外のタイ語を習ったときに、タイ人の発想とか、暮らしぶりとか、そういうのが物凄く、言葉を学ぶことが解ってきて、途中で面白くなった
台湾 行くたびに気になる 
アジアの矛盾みたいなものが集まっているようなところ
アジアを歩くとき、時々、中国以外のどの国でもテレサテン(私はテレサテンが好きで)の声が聞こえる 
台湾は日本以上に懐かしいと書いてある 
なんでこの人たちは私の考えていることが解ってくれるんだろうという事が、台湾では多くて、世界で台湾しかないのではと思った
戦後の台湾という国がアメリカとどう付き合うか、大陸とどう付き合うか、はっきりしたものに身をおけないエリア
日本も中国人、アメリカ人みたいにはっきりと、自分の国はと言えない状況の中で生き抜いてきた人たちというのが、台湾と妙に似たようなところがある
台湾には、戦前に定着した日本の食べ物とか習慣が意外としっかりと残っていることがある
そういったものを食べると、子供時代を彷彿とさせるような懐かしさがある

ゆるくて深いアジア アジアの魅力  私が憧れる部分はある意味でのゆるさなんですね
日本人はしっかりした民族    
タイで身につけていったこと 食べ物が余ったりするとすぐ捨ててしまう(冷蔵庫があるのに) 
冷蔵庫の使い方は水を冷やすだったり、氷作るだけだったり、野菜は毎日市場で買ってきた方が新鮮なものを食べられる、どっちが豊かなのか分からない
日本人がしっかりしているという事はそんなにいいことなのかという事はある
毎日市場に行って、食べ物を作るという事は、時間がゆったりしていないと出来ないこと
私のタイの宿には出入りが多くて、友人がきて、中には知らない人がご飯を食べていったりする
そういったところが、楽なところ との思いがある そういったゆるさがある
仕事をしていないようでも生きて行ける

田舎は完全にセーフティーネットを持っている (仕事がなくても何とか食べて行ける)
破たんしたら、田舎に帰っても御飯だけはあって、食べて行ける
日本はセーフティーネットが無くなってしまっている
仏教とか、生活習慣とか 親を大切にすること、農業がどういう存在で、国の中で生きれたかという問題になってくると、日本が学ばなければならない部分としての深さみたいなものを持っている
ゆるさと深さは一緒 この人たちは頭が良いんだか悪いんだかわからない 
アジアと付き合っていて、いまだにわからない
日本的な暮らし方の中で、きっちり、かっちりやってきたことが幸せなのか、ベストなのか、タイの暮らしを見ることで、見えてくるとか、考えさせられる

「週末のアジア各地を旅する」シリーズ  
格安航空等で気軽に行けるようになってきた  
いかに効率よく見てくるか それではアジアの緩くて深い部分の良さを味わえない
日本人が失ってるものを気付かしてくれる部分のためには、ゆったりとしている方が近道ではないかと思う
旅とは? 昔に較べれば、段々歳をとって楽になってきた
昔は肩肘張って、旅してるぞというみたいな感じをしてきたのが、楽になってきている部分がある
行ったことのない言葉も通じない、国に行くが、日本にいる時よりも楽に感じる
日本人はしっかりしているし、しっかり生きなければいけない自分がある
日本にいると装って生きている、無理しないで生きている世界にポッと入ってゆくと、楽な時間が過ぎることができた事の方が大きいから、意外と楽なものとして旅がある という事がようやくなってきた

目的地に行こうと思っても、途中の果物屋さんとかで、これは何だと引っ掛かったりして、目的地に辿り着けないタイプですね
日本人は今日決めた工程を、こなさないと気持ち悪いタイプと途中までいて、いいや今日はここで帰ろうというタイプ 之を身につけると楽です
旅行作家は旅に出ないと駄目 59歳でいつまで旅を続けられるのだろうとの思いはあるが、人生経験のあるシニアは、若い人とは違う一人遊びの楽しみ、自分の中に蓄積が多いほど旅は楽しくなると思う
一人の時間が楽しくなってくるという気がする
人生経験のあるシニアは、楽しさのコツが若い人よりも、わかりやすいと思う