2013年9月23日月曜日

白木健一(宮沢賢治学会会員)   ・賢治に学んだ科学者の目 2

白木健一(宮沢賢治学会会員)    賢治に学んだ科学者の目 2
結晶関係の仕事をずーっとしてきたが、関連会社に技術移管をすることがあって、仙台に一時勤務していて、休日に、東北地方の名所旧跡を訪ねたが、其中の一つに以前読んだことのある宮澤賢治の記念館、資料館が花巻に在ることを知りまして、1994年花巻の宮澤賢治資料館、記念館に行きました
夕方、閉まると云う時に、帰りがけに書棚の中に、目に留まったのが、「きけわだつみの声」だったが、戦没学徒の遺稿集と宮澤賢治とどういう関係なのか、不思議に思った
佐々木八郎さん 東京大学経済学部出身の戦没学徒の方の「愛と戦と死」というエッセーが乗っていた(昭和20年4月14日  特攻隊として沖縄に、出撃して戦死) 
「愛と戦と死」というエッセーの副題が宮澤賢治作 「「烏の北斗七星」に関連して」という副題がついていて、読み始めて、宮澤賢治に大変興味を持つようになった
それから数年して、9・11ニューヨークのテロがあって、その先駆けになったのが、日本の神風特攻が最初だと、たいへんアメリカ、ヨーロッパで話題になり、又印刷物でも出てきたのを見ました

二人の日本人女性が、この「愛と戦と死」、宮澤賢治作 「烏の北斗七星に関連して」というのを英訳して出版したが、もちろん戦没学徒の遺稿集全部ですが、必ずその筆頭に「烏の北斗七星の祈り」の言葉が出ています
童話はカラスと山カラスの戦争を題材にした話 中に二つの祈りの言葉が出てくる
一つは山カラスをやっつけて、カラスの方が勝つが、その時に生き残ったカラスの仕官が山カラスを葬るんです
一つ目の祈り  「私は私に決まった様に力一杯戦います 皆、皆 あなた(カラスの守り神 北斗七星)のお考えの通りです」 と祈る
二つ目の祈り 「憎むことのできない敵を殺さないでもいいように、早くこの世界がなりますように、そのためならば、私の体など何べん引き裂かれても構いません」 山カラスを葬るときのカラスの二つ目の祈りです

9・11の先がけになったと云う事では決してない 
神風特攻隊の学徒の遺書がこういう風に書かれていると、ウィスコンシン大学の大貫恵美子教授、スクラントン大学の山内みどり教授 それぞれ、この童話を英訳して、戦没学徒遺稿集の筆頭に出して、テロ事件のあった5年後に、相次いでアメリカで出版された
宮澤賢治が人造宝石を手掛けたかったことを知ったのは、若いころに人造宝石業を志したと書いてある
宮澤賢治は全てをあからさまにしないようにしていると思われる
かなりよく知っているのに、ちょっと出すだけだが、ヒントを与えている
父への手紙で 5通あるが、人造宝石をやりたいと云う手紙
一番のきっかけは昭和3年に読んだ詩があって、人造宝石技術のことを歌った詩

「高架線」 という詩の中に書き入れている  (山手線が出来たのが昭和元年)
酸化アルミニュームの粉を酸素水素炎で高温で溶かして作った、ルビーの製法を記載されている
よく知っているなあと思った
ルビー、サファイア、の結晶を大きくしたいというような手紙を父宛てに出している
天然のルビーでないことがどうして分かったのかが、注目されるところ
宮澤賢治のいろいろ記載されている本の中に、宮澤賢治が近所の方の最近購入したルビーの鑑定を依頼されたと云う話があって、明らかに人造ルビーですよと鑑定したことが、記載されているので、きちんとした勉強をして自信があったのに違いない

当時、人造ルビーが出始めたころだった
宮澤賢治が鉱物が好きだったことはかなりの人が知っていることだとは思うが、人造宝石を作ることに対して、気まぐれで有ったわけではなく、一番の先がけで有ったころであった
何故知ったかは、父宛てに 大正7年12月の暮れに、妹の病気の病状を連絡しているが、鉱物の仕事をしたいと書き記している
現在の国会図書館に行っていて、文献を調べたことは間違いない
人造宝石の仕事は健康には問題あることは無く、人造の宝石は人造の名に置いて、模造にはあらず、道義上決してやましいものではなく、有名な科学者も多く研究している
実用的にも大なる意義があると云っている(工業的にも先見性がある)
有名な科学者とはエドモンド・フレミー フランスの化学者  オーギュスト・ベルヌーイ (フレミー氏の弟子)  ベルヌーイ法
自然史博物館の研究員 フランス語の論文が一番多い 
明治の中ごろから、上野の図書館にはそろっていた  宮澤賢治が読んでいたと思われる

人造宝石 水晶、サファイア 実用的にも大いに意義があるという宮澤賢治の想いは現在開花している 
人造で日本で出来るようになったのは、昭和22年ぐらいからですから、大正時代にこの事業に乗り出そうとした事は、大変な先見の明があったと思う

レーザー 通産省のプロジェクトができて、私が会社に入った翌年、ルビーを使ったレーザーが発明されて人造宝石を使って工業的に使う事は、特に日本に於いては、盛んに行われている
宮澤賢治は事業計画を 第一期は宝石を磨いたり、指輪を作ったりして、収入を得た後に
第二期として鉱物の合成、宝石の人造に変わっていきたい
資本としては第一期は200円、第二期は1000円ぐらいかかるので、父親に資本を手紙で要望している
私の目的としている仕事は宝石の人造にあると云う事を書き記していると本音を言っている
段々父親との間の雲行きがあやしくなる 
更に父親を怒らせたのは、大正8年2月2日の手紙では、しくじっても、よろしく、しくじらせるつもりにて、仕事にかかるよう、お許しくれたく願います という内容
父親から反対されて、自暴自棄になって、花巻に戻ってくる(妹の病気もよくなった一緒に帰る)

18歳のときに法華経を読んで大変感激する 2月16日が日蓮聖人の誕生日 
国柱会 日蓮宗僧侶田中智学さんが講演会をやるのを聞くことになる
父親がお金を出していたらどうなっていたか?
宮澤賢治の作品には大変な数の宝石が出てくる 20種類ぐらい 10回以上でてくる
コハク、オパール、メノウ、ダイアモンド、トルコ石、サファイア、ルビー、エメラルド・・・・
等が繰り返し繰り返し出てくる
この中から人造を心がけたと思うので、今の知識から見ると、ベルヌーイさんが出来たのはルビー、サファイア、スピネルの3種類を作った
宮澤賢治は同じ方法で大型化をしようとしたろうと思うが、やらなくてよかったと思う

弟の清六さんが、宮澤賢治の法華経との出会いを書いているが、大正4年20歳のときに 妙法蓮華経を聞いて感激する
妙法蓮華経の中の如来寿量品を読んだときに、特に感動して狂喜して身体が震えて止まなったと云う  法華経は全部で28章からなっていて、16章が如来寿量品で後々作品にも出てくるが、法華経の中の中心、仏教の経典の中の中心とまで言われる有名な章になる
23歳のときに、宗教上のことで手紙で父に進める  
自活できるのが先ず第一である、更に進んだらこのお経を人にも教えたい、財産が出来て、お金が使えるようになったら、海外にお経を広めたい、そうすれば皆さんの御恩に応じることができる
布教活動にまで将来は夢を持っていた

銀河鉄道の夜」  地上での物語 お釈迦さまが天上での物語 また地上に戻って来る物語
法華経の構成と 「銀河鉄道の夜」の構成はどこか似た点があると云う事で書いていると思う
「手帳」 「雨にも負けず」(1~9ページに書かれている)だけでなくいろいろなことが書いてある
10ページ目に 日蓮上人が創作したといわれる、南無妙法蓮華経を中心とした、曼荼羅が書かれている
お釈迦様が皆を助けている有様を表している
母親に 宮澤賢治が臨終のときに残した言葉 小倉さんが記録
「あの童話は仏像や、お経を文字の上には書いていないが、本当のことを書いたものだから、いつかはきっと人のためになるんだんじゃあ」
お経の文句の中に「仏語は実にして空しからず」という一節がある
宮澤賢治が 銀河鉄道の夜 途中で 「信仰も科学と同じ様になるよ」
信仰と科学は正反対のように思われるが、いずれ同じような範疇になると云っていて、そういうところに非常に興味を持っている