2013年9月7日土曜日

里見まさと(漫才師)          ・浮き沈みが教えてくれた僕の漫才人生

里見まさと(漫才師)       浮き沈みが教えてくれた僕の漫才人生
ボンチおさむさんと漫才コンビ 「ザぼんち」は1980年からの漫才ブームの中で頂点を極め、目標の上方漫才大賞を獲得、二人で歌った恋のボンチシートも大ヒット、漫才師初の武道館ライブも実現させました
然しブームが去って人生のどん底を経験します
その暗いトンネルを抜けたまさとさんは、亀山房代さんとのコンビで2度目の上方漫才大賞を獲得、その後ボンチおさむさんと「ザぼんち」を復活させ、今再びステージで輝いています
浮き沈みの人生は何を教えてくれたのか、お聞きしました

芸人さんは、笑わす商売をしている芸人さんは、舞台に出たときにあの笑いがあるから、辞められない、毎日あの笑いを求めて40年間やってきました
昭和27年 兵庫県姫路市の生まれ プロ野球の選手になりたかった
高校1年の時に他校で山口隆さんが3年生で、このボールを見たときに3年生まで練習してもこのボールは打てないと、ぬけていましたね   
あれを見てから野球を断念した
軟式野球の方に移って、全国大会まで行ったが、大好きなものを途中でやめることが、こんなに後悔するんだと、今も頭の中から離れない
弟子入りするときも、おさむと組んだ時も、亀山房代と組んだ時もそうだし、コンビを復活したときもそうだけれども、答えを出すまで辞めない、という事が 高校1年の時に硬式野球部をやめたそれがそのまんま残っている、いまも後悔している

或る時週刊誌をみたときに、西川きよし師匠が、20歳で家を建てるという小さい記事が出ていた
若手の中で、やすし、きよし等があって、あの位のところで家が経つんだと単純に思った
この世界しかないと思って、親、先生から反対されたが、兎に角やると言ったら、兄が応援してくれた
おさむさんとコンビを組んだ時に答えを出すまでは止めないと心に決めた
NHKから新人賞を頂戴するが、その後後輩に抜いて行かれ、厳しい状態ではあった
おさむさんは高校の同級生 私のことはユニホームの印象しかないと思う
おさむさんは教室ではうるさい、文化祭等で漫才をやっていたりした
私は漫才学校で勉強していたが、そこで初めておさむさんに出会う(卒業1年目)

一緒にコンビを組もうかという事になる なかなか面白い動きをしていて、新人賞を頂くが、その後5~6年は何か足りなかったのではないかと思う
昭和55年 漫才ブーム  やすし、きよし ビー&ビー セントルイス 3組でゴールデンタイムで18.8% 
ディスコみたいに、我々が、ドンピシャの方々がびっしりいる中でやりたい放題にやらしてもらった
飛行機でスチュワーデスからサインを求められる(吃驚したが)  あの8分のオンエアーから人生ががらりと変わった
橋さんの歌で「潮来の伊太郎」歌い おさむさんが「あれー」と言って大受けする
夜最終の飛行機で東京に行く、東京で仕事をして、朝大阪に帰っていて、仕事をしてまた、東京に行って仕事をするというパターンだった
家には10分~15分いる程度だった(シャワーあびたり、汚れものを持ち帰ったりするだけ)
楽屋ではただ新人の漫才師だったのでごろりとも出来なくて、きつかった
師匠からも楽屋は気をつけろといわれた
歌を出してから、又変わった レコードが売れて、ザベストテンで3カ月 2位になった

「トリ」をやるようになる   漫才界初の日本武道館ライブ開催 1万人
体は、腕のところから点滴を打つが、両腕とも真っ赤かで、其うち手の親指と人さし指の間から注射をして、最後には足から点滴してもらった
漫才ブームは3年で終わる  毎日がそれまでこわかった
いつかは冷めるものだとは思っていたので
いい仕事が無くなってくると、コンビもうまくいかなってゆく、
そして昭和61年、13年間のコンビを解消  私から3年間休止しようと言った
一人になって、こんなに仕事が無いのかと思うほど無かったので毎月7~9万円程度だった
ほとんど家でごろごろ、又ごろごろ という感じだった

墓参りを4日出掛ける 堰を切った様に涙が出てきて、墓を抱きしめて「もうあかん」と言って、涙がぽろぽろ出てきた  3年間 そんな仕事の状態だった
全国ネットの話が舞い込む 亀山房枝さんと番組に出る事になる
男女コンビでそのままいけるのではないかと周りに言われる
私から亀山さんに漫才のコンビの話を話しかけると、考えてOKの返事を受ける
条件を出す 結婚しても構わない、同棲しても構わない、彼氏がいようが構わないが、子供だけは3年間我慢してくれといったらOKしてくれた
周り皆から反対されたが、がんとして受け付けなかった 
スタートしたが、全然うけず、2年半したころに、ねたが一つ出来て、お客さんを笑わせることができた  
6年目で奨励賞、8年目で上方漫才大賞を取ることができた
亀山さんが出産でコンビ解消(12年のコンビ) 平成13年
会社から直ぐにおさむさんとコンビを組んだらどうかと言われる
漫才から離れられないなあとの想いもあり、50歳からのコンビを組むことになる
「ザぼんち」でスタートするが、之はこれで酷かった、うけなかった
16年間離れていると一つにならない  ぎくしゃくしてしまっていた
3~4年は誤魔化したような漫才をしていた
パニック病をしてしまう ラジオの生放送通に血圧、脈が上がってしまった(ストレスがたまって)
点滴を打ってもらって家に帰った
ドアが閉まる時、外と遮断される時が怖くて怖くて、新幹線、飛行機に長く乗るときにはどうしようもない

薬さえあれば、飲まなくても大丈夫だが、薬が無いと駄目
静かな海へ一人で行ったり、城下町をぼーっと見ていたり、お寺の杉林の中でぼーっとしていたら物凄い心地いですね
13年間おさむさんとやっていたときには、売れていきたいと必死でやっていたが、亀山さんとの12年間はギブアップすることはできないので、答えを出したいと、ここでは終われない、もういっぺんチャレンジしようと思った、再度おさむさんと組んだ時には、もう一遍漫才大賞をとるとか、もう一遍答えを出したいですね