2013年9月24日火曜日

山下純司(長良川鵜匠代表)    ・鵜匠の心は鵜の心

山下純司(長良川鵜匠代表)   鵜匠の心は鵜の心 
岐阜市を流れる長良川鵜飼地区には6人の鵜匠が暮らしています
毎年5月11日から10月15日までの鵜飼いシーズンには、夜暗くなると、6人の鵜匠達が、鵜船に乗って独特の衣装を身にまとい、かがり火のもとでアユ漁を行います
其伝統の漁を観覧船に乗った多くの人が見物します
12本の細い縄を鵜の、のど元にくくり、飲み込んだアユを吐き出させる鵜飼い漁は川面に映るかがり火と相まって美しい日本の風景てす
鵜匠の心は鵜の心、皇室にアユを献上する宮内庁式部職であり、長良川鵜匠代表の山下さんに伺いました

朝起きて、鳥屋からを出して、鵜と人間との触れあう時間を持つ
鵜は理解力が旺盛で、ここにいるだけで、鵜匠が川に行ってきた川の状態を、此の手を介して感じ取る、私はそうかんじる
鵜と触れ合う時は何でもいいからしゃべれと、暑いとか、寒いとか、魚を取ってこいとか、しゃべる意味合いとかは、自分が感じたのは、しゃべれば此の口からつばとか息が出る
その間隔は30cm~40cm ぐらいなので、鵜につばとか息がかかるので、鵜の顔の表情によって、自分の健康状態が判る
嫌な顔をしたら、僕の息の中が臭いので、嫌な感じをしたなと理解すればいい
私の健康管理は鵜にしてもらう、鵜の健康管理は私がやる

声の大きさとか、ばたばた具合で鵜の健康状態は判る
風邪気味とか、疲れているとか、を自分で感じ取る
感じ取り方は親から教てもらうのではなく、親が口では語らず、いろんなことを見せつけてゆく
其れを見て身体で理解してゆく
上流には3人鵜匠がいる(この地域には6人)
長良川の鵜飼は,尾張徳川家の保護を受けて続けられてきました
明治維新とともに保護も無くなり,古代漁法として伝承されてきた鵜飼漁法は消滅の危機に瀕しました
宮内庁 式部職 明治23年から務める 
時の岐阜県知事の要請を受けて,宮内省は鵜匠に職員の身分を与える
年8回 御料鵜飼い、宮内庁が催される 取った魚を宮内庁では祭りごとに使われる
そこの中の年2回、大使、公使の接待会が毎年行われる
日本には鵜飼いが12か所あるが、宮内庁の仕事をしているのが、長良川だけ、岩倉具視の素案でこういう格好にでき上った

鵜はアユを咥えると同時に、急所のところにくちばしがゆき、即死状態になる
いろんな味が抜けない、丸ごと身体の中に残るので美味しい
今は取れる量が少ないので、一部の旅館、ホテルにわたる
あみで取ったり、釣ったりするものよりも、美味しいと思うが、お互いにこちらの方がおいしいと云っていているようだ
「鵜の心、鵜匠の心、今日語らい、明日また語らうこのえにし 鵜と鵜匠の一生なり」 山下純司
心 辞書を引く 動物の五臓六腑 毎日毎朝鵜とのふれあいが字として現れた
自分の役割りは何かと考えたときに、鵜と共に暮らす そこでいろんな事、感じたことを一方的にしゃべる、それを聞き入れるか、聞き入れないかは聞く人の勝手 それに徹している

24羽の鵜がいる 体重は3kg 身長は60cm程度 羽根は緑色の濃い色  胸は白い羽根 
60年前までは 鵜とのかかわりは最高10年ぐらい その後は自然に戻して余生を3年~4年
最近は魚もいなくなって見ていただく鵜飼いになったので、魚を一杯取らなくてもいいので、最後までいてもらう事になる   寿命は大体30年ぐらい 
鵜は人間社会とのかかわりができたことによって、卵が産まれない
野生の鵜 2~3歳の若い鳥を捕獲して、こちらに持ってきてもらう
鵜匠同士での鵜のやり取りは無い
鵜の調教はしない(もともと魚を獲るのがうまい) 鵜飼いは昔世界中に有ったらしい 
日本の場合は鳥と共に暮らすと云う気持ちがあったので、残った

信頼関係とかそんな単純なものではない 
理屈ぽく考えるのではない 鵜は野鳥なので、自然界と人間とのかかわり その中立ちをしてくれるのが鵜ではないかと思う
神、仏 人間が作ったもの 人間社会には学校があり、宗教がある
他の生き物のは学校も宗教もない 生れて来るときに、そういうものが必要ではない、それだけの能力を備えて此の世に出されている、其命をもらって日々人間は暮らしている
之は間違っているかどうか判らないが、しゃべることで間違っているかどうか、考えて勉強させてもらっている

便所掃除を考えながら一生懸命やっていて、楽しい
孫ができても、孫を育てる気持ちは無くて、鵜を育てる 孫はその親が育てろと云っている
孫にはしっかり鵜を見せつける事を考えている  100歳まで何とか生きて、基礎を作りたい
一歩下がって人の云う事を聞くようになった 
息子は一緒に船に乗っているが、私は鵜匠 中鵜使いと言って漁をしている
船頭が2人  4人で構成されている
私と船頭は17,8歳の時からやっているので、気がぴたっと合う
諸々のことを子供に見せつけてやる (それで身体で理解してもらう)