2013年9月14日土曜日

萩原雅美(39歳)        ・小児がん患者の闘病をささえたい 

萩原雅美(39歳)  小児がん患者の闘病をささえたい 
神戸市に完成した小児がん患者のための滞在施設の運営基金事務局長
今年の3月 神戸ポートアイランドの医療エリアに、チャイルドケモハウスが完成しました。
小児癌の子供が親や兄弟と一緒に生活しながら、治療ができる、日本でも初めての滞在型の施設です。
ケモ という名前は、科学療法を意味する、ケモセラピーにちなんで付けられました。
平屋建ての此の施設には、小さな庭をはさんで19の区画がありそれぞれにキッチンやが風呂があり、診療所も併設されています。
公益財団法人チャイルドケモサポート基金の事務局長の萩原さんは9年前当時、2歳半の次女を白血病で亡くしました。
感染を防ぐために多くの病院では、病室に兄弟や祖父母は入れません。
長女を母親に預け、長期間、狭くてプライバシーのない、大学病院の病室で次女と共に闘病生活を送りました。
其経験から家族が一緒に生活しながら、病気と向き合う事が出来る夢の病院を作りたいと医療関係者や家族らと活動を続けてきました。
年内にも患者の受け入れが始まる、チャイルドケモハウスにかける思いを伺いました。

部屋の広さ 60平米ぐらい 壁面一部が全部ガラス窓で外の景色が見える。
点滴台が子供が喜ぶくまさんがある 天窓がある。
寝ていること多いので、退屈するので、見ていて飽きない天井を作る。
家族が自由に暮らせる空間がある キッチン、ソファー、リビング、寝室が奥にある。
冷蔵庫、洗濯機、バスタブ等 一般家庭で暮らせる様な部屋 19室ある。
面白い形になっており、隣りの部屋と視線が合わない様な配慮がある。
廊下からはそれぞれが判るようになっている。
診療所が併設 24時間医者が滞在している。
外から入れるガラス扉がある 自分の家のように遅く入ってきても直接入れるような形になっている。  19軒の家があるような感じ。

小児病棟は窮屈 4畳半に子供が治療中にベットと簡易ベットをセットすると一杯になってしまうような空間しかなかった。
雑多に置かれた空間で勉強したり、食事、治療も、トイレもベットの上でするような環境だった。
平均、半年から1年 再発して又入る子もいるので、数年にわたることもある。
年間新規発症が2000~3000人 確率から言うと1万人に一人。
小児がんは原因が判らない。
さやかさん 発病が2000年秋 生後10カ月の時に夏風かなあと思っていたが、絨毯にぐったりして動かなくなってしまい、大きな病院にいって、血液検査をしてもらったら白血病と判明。
大学病院に移動したが、部屋に入った時のここで暮らせるのかなあと思うような、プライバシーが確保されず、生活空間とはとても思えない様なところだった。

一番最初は直ぐに抗癌剤の投与が始まって、元気を取り戻す。
骨髄移植 無事に成功して半年で治りましたという事で退院しました。
或る日突然 入院という事になって、一つの部屋の中で、24時間他人とカーテン一枚隔てて生活することになる。
普段家でしていることを制限しなくてはいけないことになる。
声を大きく出して、することもできない 付き添いも、なかなか取り乱したりすること、感情を抑えることが日常に在りました。  
簡易ベットは幅70cm 寝返りをうつことができないので、十分な睡眠は取ることはできなかった。
食事も、売店、コンビニで調達 カップラーメン 弁当、サンドイッチで朝、昼、晩、半年から1年にわたり食べる。
風呂も治療中の子供が優先でそのあとに、あいている時間で各部屋のおくさんが順番に登録して、ゆっくり入ることはできなくて、くつろぐことはできない。

ストレスが多かった プライバシー、リラックスする事に制限がかかってきた。
退院後1カ月半で再発してしまって、又同じ病院に行くことになり、あの環境に戻らなければならないと思うと、本当に辛い思いをした。
置かれた環境を受け入れるしかないと自分の中では、かたづけていたが、早く家に帰って元の生活を取り戻したいとは思った。
小児がんを治すためには、その環境で過ごすことは、しなくてはいけないと思っていた。
最後も治療する所が無くなってしまって、家族で過ごしてくださいと言われて、在宅治療になった。
皮下注射、点滴管理、家に帰る直前に看護師、医者に教えていただいて、スキルを付けて帰った。
1歳違いの長女がいたが、かわいそうな思いをさせた。
母が近くにいたので、母に託すしか無かった(孫の育て、私への心配もあった)
2歳半で力尽きてしまった。 
精一杯治療をしたが、最後は安らかに天国に旅立っていった。

長女が2歳前ぐらいから、闘病生活に入ったが、当人は理解できていなかった。
妹を助けたいような、言葉を発して、ドキッとするような想いをした。
現実を何の前置きも無く、突きつけられて、心身症になってしまって、私が離れると、40度近い熱を出して、吐いてしまったりする症状が出た。
唯一の心残りが、天国に行くという事を、ある時点でわたし自身が、受け止めることを出来ていれば、さやかも不安なく天国に行けたのかなあと思う事と、長女も心身症になることが無いように情報提供して、心の準備をさせてあげられたのではないかと思う。

電話で情報供与してやったりするが、気軽に話せない内容もあるので、ストレスがたまる原因にもなった様に思う。
有りとあらゆる希望を、いろいろな職種、いろいろな視点で小児癌というものを見つめてみて、闘病環境というものはどうあればいいのか、という事から話しあい始めた。
2005年冬に研究会として立ちあがる。
闘病環境の質を良くするにはどうしたらいいかという事を話しあった。
2006年11月にチャイルドケモハウスを立ち上げる 
研究会の中でどうしたらいいかが見えてきて、事業に起こして活動していきましょう、という事になった。
「夢の病院を作ろう」とキャッチフレーズにスタートした。
人として当たり前の生活空間、生活環境と共に整えるという事ですね。

7割~8割は治癒するという事になってきた。 
社会に復帰してゆく子供たちをしっかりと育ててあげるために、しっかりした空間を整えて、社会に送り返す必要があると思う。
小児癌がどうしてもそっとしておきたい、声が上がらないのが環境改善につながらなかったのではないかと思う。
日々の積み重ねで、ここまで来ることができた。
しっかりとした治療機関が周りにある。
夢の病院を作ろうと活動してきたが、制度的に家族が一緒に暮らせるという環境をととのえるには病院という制度を諦めなければいけないとか、いろいろ問題があって、最終的には共同住宅にクリニックを併設するという事で施設を完成させせました。
建設費は7億5000万円 日本財団、日本歯科医師会運営のTooth fairy が主な寄付。

運営費用 寄付を頂かないと運営できない。 
日本で初めての施設なので制度面が追いついてこない、頂けない報酬がある。
1泊 1000円~2000円においているが、2重生活になるので経済的負担を少なくするようにしたい
寄付は年間 1億円いただけないと運営がなかなか難しい状態に在る。
寄付で施設が成り立つのかどうか、寄付の集め方、楽しいプロジェクトで参加しやすいようにする、
支援者の名前、支援者と滞在者の懸け橋となるようなプロジェクト を考えている。
日本の医療の既成概念を覆して、生活もくっついてくるのでサポートして行ける環境になっていければいいなあと思っている。