2013年9月15日日曜日

吉井澄雄(舞台照明家)      ・舞台を照らし続けて

吉井澄雄(舞台照明家)       舞台を照らし続けて
昭和8年 東京生まれ 昭和28年劇団四季の創立に参加し、舞台の照明デザインを担当しました
以来、60年間演劇、オペラ、ミュージカル、舞踊と幅広い分野で照明家として活躍しています
照明だけでなく、日本の劇場の技術設備全般のレベルアップを志して、建築コンサルタントとし
て、日生劇場、新国立劇場など多くの劇場の計画から参加しています

浅利慶太さんの 劇団四季のハムレットの照明 福岡博多座では市川猿翁さんの
「やまとたける」の照明を担当
ハムレット 初演 1968年 大変な時間が経っている 大変なことをしたと思う
初日 お客さんと一緒に見る 
何回もやっている公演は事件は起きないので、お客さんと同じような気持ちで見ている
修正することはほとんどない、微妙に変化することはあるが
俳優によって照明の在り方が変わる
演劇との出会いは、東京都石神井高校 フランス語とドイツ語を第二外国語として選択しなくてはいけなかった
ドイツ語は実用的なので多くが選択したが (6クラス)、フランス語は少なく1クラスで10名程度しかいなかった、そして段々減ってきて3人になってしまった
3人は劇団四季の俳優で入った水島弘、国立音大の学長になった海老沢敏、と私

第二外国語で受験した方が優しいとの風説があり、フランス語を勉強した
芸術一般についての扉を水島宏が教えてくれた 
新宿の映画館にフランスの名映画を見に行くことを誘ってくれたのも、ピアノも教えてくれたのも水島だった   恩人だと思う
水島と一緒に劇団 石神井高校で 方舟という劇団 がありまして、一緒に方舟に入った
スタートは俳優だったが、全く才能が無いと判った(水島と比べて)
演劇で参加できる物は、照明しかないと周りからも言われて、旨く乗っけられたという感じだった
当時、加藤道夫 慶応高校の先生をしていた「なよたけ」の作者、フランス文学者 
加藤さんに、慶応高校の浅利を中心にするグル―プと、石神井高校の方舟が加藤さんに師事していた
合同して芝居をやりたいという事があって、一緒に集まったことがあった
慶応からは 浅利慶太、日下武史林光有賀二郎藤本久徳の5人だったと思う
石神井の方は頭はいがぐりで、着ている服は国民服みたいな服で、慶応は皆髪の毛を長くしていて、恰好が良かった

劇団四季の創立に参加する 昭和29年に本格的に照明家としてデビューする
当時の劇場、照明器具は酷いものだった
自分でやりたいことができる様な状態、状況ではなかった 照明の立場はほとんどなかった
劇場はノーと言えない、ノーと言える劇場を作ろうと思った
照明のためのリハーサルなど無かったので、随分戦った
日生劇場で自分がやりたい事 貧弱なスポットライトを新規にするとか、照明の機械を誰にでもできるようにするとか、照明のリハーサルをきちんとする、舞台裏の因習的な在り方をなんとか改革して、技術部を初めて作った(舞台裏のいろんなセクションを纏めてつくった)
劇場が立つ前から参加しないと、無理  テクニカルな部分の発言をバックアップしてくれる立場の人がいないと駄目  浅利慶太、石原慎太郎が全面的にバックアップしてくれたので出来た

ドイツオペラの舞台美術に対する考え方、作品作りの誠実さ、緻密さに本当に教えられた
当時考えられない巨大な柱が3本、4本両脇に在り 11mぐらいの高さ 組み立てる
組み立て分解が大変だったので、30cm切ってしまったが、それが客席からだと、僅かに見られたくないところが見えてしまうので、(日本では何ら問題ない状況)駄目だという事で作りなおす羽目になった
舞台装置は日本で作ったが、それ以外はのあらゆるセクションがきた(医者までも来た)
演劇スケールが全く違った 妥協を許さなかった
ノーとは言わない、そのことが、その後の私たちの舞台作りに大きな影響を与えた
歌舞伎 黒は見えないことになっている(黒子含め) つじつまが合わないところは黒で占めていたが、彼らが作り上げた舞台には黒が無い

光と音楽との結びつき、ドラマとの結びつき、目の前に本当に素晴らしい形で見せてくれた
総合芸術といわれるが さまざまなセクションの様々な仕事が本当に一つになった時が初めて感動が生まれるものだと思う
一番うれしいのは、俳優さんに光を感じてもらた時が、一番嬉しい
越路吹雪さん リサイタルをやっていたが、僕が作った光、ここに越路さんが来てくれればいいなあと思ったところに、何にも云わないのに、いつの間にか来る、光に対する感性を持っていた
イギリスでの舞台でも、ある女優のほほに当たる光景があるが、穴からのあたっている光が女優のほほに当たる光のスポットをいろいろ工夫してやり、照明をしていてよかったと思う

越路さんへの照明  言葉に合わせて、ぱっと変わる光ではなく、人、音楽、に溶け込むような照明を越路さんの時に作ることができた 
物凄く時間がかかるが、トライ&エラーで何日か、照明合わせに徹夜した
自分にもプラスになったし、照明に参加した人も判ってくれた
おそらくお客様には判らないかもしれないが、心に中には響いてくると思う
セリフの一言の想いを一緒に体感しながら、且つ、動きに随って照明が動いてゆく

蜷川の「ロミオとジュリエット」 光と動きが一緒になっていると、判らないが、ずれると判ってしまう
マリーアントワネットの最後の動作 客席に向かって差し出した手の先にスポットを当てる場面で
吉井さんあの光の中に手を入れた方がいいのか、入れないほうがいいかと聞かれた
どっちでもいいと、彼女が栄光を掴んだのか、つかまなかったかも知れないし、彼女が掴もうとした一つの栄光の象徴のつもりで言ったんで、神田さんの心を捉えたと思いましたよ
お互いに触発されて、言葉には出さないが、いい光景がより生み出される(以心伝心の繋がり)
友人に本当に恵まれたと思います
林光、松村禎三武満徹とか作曲家たちと付き合ってたのが、非常にプラスですね
音楽に対する感性を開いてくれた
最近、目立つような照明が多くなってきて、私は苦手ですね