大野長一郎(炭焼き職人) 炭焼きから見える日本文化
大野さんは昭和51年 石川県生れ 父の後を継いで、今では4つの窯で年間20トンの炭を出荷しています
風土や伝統を生かした炭焼きと言う仕事を、続けることでこの時代に何か貢献できることがあるに違いないと考えて、炭の需要が細る厳しい状況のなかで、意欲的に炭焼きに取り組んでいます
今、茶道用の炭焼きに取り組んでいます
炭焼き専業で生計を立てるには、持続できる炭焼きの基盤作りが欠かせません
付加価値の高い製品を作るしかないと考えたからです
炭の原料となるクヌギの植林もして、将来に向けての基盤作りは軌道に乗り始めています
炭焼きは文化を支える仕事、と言う大野さんに伺いました
能登半島の一番北 炭焼きをやっていた人が多かった
昭和25年~30年代前半 木炭の需要のピークを迎えている このころは盛んにやっていた
ガスや化石燃料、電気によって住み、薪の需要は少なくなった
今もなお炭の需要は少なくなってきている
専業で炭焼きをしているのは県内でも私だけ、他は年金をもらいながら兼業で細々とやっている
高校を卒業してから勤めに出て、22歳のときに炭焼きを始める
父が炭焼きを専業で始める 昭和46年 皆が辞めてゆくときに始める
工場を構えて、機械類を駆使して、運搬して工場で焼く形を始めたが、生活が苦しくて夫婦けんかをやっていて、繰って行くのも大変なので、私は絶対に後を継ぐものかと思っていた
進路指導の先生に紹介してもらったのが、製造ラインの工場だったので、そこに就職した
数年すると、環境問題が出てくるようになった
父がやっていた炭焼きをが、環境炭と呼ばれて、水質浄化、調質脱臭、土壌改良と燃料以外の環境に優しい用途が叫ばれるようになった
20歳のときに(私は父が45歳の時の子)、父は年金受給者になっていた
いろいろ考えて、会社を辞めて、父の後を継いだ
父の言葉として
「時代は巡っている 円の上が時代の最先端 自分たちはかなり遅れている、追いつくのは非常に困難だが、逆に回れば意外とすぐに最先端の前に来れるよ」 、と言っていた
父は炭焼きと言うものはこの世から無くならないものだと思ってやっていた
炭焼きに対する普遍的な価値を父は見出していたのかなあと考えています
炭焼きの工程
木を地主から買い取る(次の山を常に確保しながらやってゆく)→作業しやすいように草、低木を刈り取る→ナラの木を根っこから切り離す→葉を取らすに1カ月放置(葉から木の中にある水分を抜く 乾燥)→雪の降る前に長さを切りそろえる→山から運び出す→太さ、樹種を選別する
→窯詰め→火をくべ始める(4日間 初めちょろちょろ、煙突のところの温度が60度になるように)
→本炊き(5日目 ドンドン薪をくべる 12時間かける 煙突の温度 85度にするように)
→窯に任せる→酸素を遮断して自然に消えるのを待つ(1週間)→取り出し
窯の中は700~800度
備長炭は白炭 火付きが悪いが、一片つくと火持ちが長い 遠赤外線が凄く沢山出るので、焦がさずに中まで火が通せるというのが、白炭の特徴です
ウナギのかば焼き、焼き鳥を営業としてやっている店では、備長炭をよく使っている
バーベキューには白炭は合わない、黒炭が合う(火付きがはやく、火力が強いが、火持ちは短い)
クヌギを使って炭を作る (一般的にはコナラ 低価格)
利益が出る炭を考えて、良質の炭を作ることにした
茶道用炭 当初コナラでも高く買っていたが、品質が厳しく、めんどくさい
クヌギを使ったものが流通していたので、クヌギをやろうと思った
静かに燃えて、すぐに火が付いて、或る程度の火力が得られて、一定時間ちゃんと火力を維持して、ぱちぱち撥ねない、炎が出ない、ほのかな香り
見た目にも厳しくて、断面が真円 樹皮が隙間なく付いている事(着火しやすい) 断面では放射線上に細かな割れが均等に入っている
クヌギはあるが山に点在している、巨木化している
6年~10年生のクヌギが材料として適しているが、まず無い
自分でクヌギを植えようと言う事になっていった(父が他界した翌年の春)1000本植林する
1000本を8年間続けて植林するとようやく、採算がとれるレベル 自力では無理とわかる
体験交流事業化することを考えた 広葉樹林の植林の効果 昆虫の育成効果 環境の効果
2007年 モニターを募ってやってみた 青年団協議会の声をかけて、植林モニター体験してもらったら、いいんじゃないという事になり、植林イベントを開催,NPOとの連携で実施するようになった
目標の本数は1000本×8年 だが現在6000本
草刈りもイベント化してチャレンジしている
炭焼きの存在をしってもらう、炭焼きが果たしている役割、価値を知ってもらう事が自分の作っている炭の価値につながると思って、公益性を訴えて、イベントを開催していこうと思っています
水質浄化、土砂災害が出ない、河川への流れる水の水質とか、言われている、植林による環境への負荷とかをじっくり大学と連携しながらやってゆくことも、やっていきたいことのひとつです
日本の文化とのかかわりが炭の中にある
仕事をしていく上でのモチベーションになっている
茶道 言葉を交わすことなく感じ取れる感性と言うものが試される場なのではないか
炭は表舞台には出ないが、温度は火力のコントロール、燃料としての質が問われる
美味しいお茶の温度のコントロール 炭火が重要な位置付けにあると思う
社会農業遺産に認定された中に伝統産業として炭焼きが入っている
炭焼きの追い風になってくると思うが、炭焼きが必要な存在として、あり続ける事が大事
生活の中に根付いて存在することが継続につながると思っている
炭を使う機会を生活の中に取り入れてもらえればと、思っている
まだまだ、生業としては貧弱なので生業としての確立、 茶道用の炭を焼いて、それが、人が目指したくなるような生活水準にすることが、後継者を生み出して、育てていきたい
産地化することによって、規模がおおきくなれば、広いクヌギ林になり、生態系への影響が見えてくると思う