穂村弘(歌人) ・〔ほむほむのふむふむ〕
学士時代から注目を集め、現在は短歌会の中堅として自身の活動だけではなく、新人賞の選考委員も務める歌人の石川美南さんがゲストです。
石川さんは1980年神奈川県生まれ。 高校生の頃初めて短歌をつくって、初めての投稿作が、岡井隆さんの特選に選ばれました。 大学に在学中、水原紫苑さんの指導をうけ、同人誌に参加、このころ穂村さんと初めて出会いました。 大学卒業後は短歌結社に属さず活動を続け、短歌だけでなくエッセーや外国文学の書評でも活躍しています。 NHKラジオには2011年、12年に放送された「夜はぷちぷちケータイ短歌」に出演しています。 2020年穂村さんが審査員を務める塚本邦夫賞を受賞しています。(第一回の受賞者)
石川:大学2,3年生の時に、対談をするコーナーがあり、呼んでいただいて穂村さんと対談しましたが、それが最初の出会いでした。 私はメーリングリストの最年少でした。
穂村:物語の断片性というような、不思議なイメージの短歌を感じました。 短歌に興味がなかった人もその不思議さに惹きつけられています。
石川:中学校の時ぐらいに、短歌の面白さを感じてひたすら気に入った短歌を書き移すことを3年ぐらいやっていました。 高校時代に友達が手紙の最後に短歌が書かれていて、返事を書くのに短歌を書く様にとのことでした。 そのことが無かったら自分で作ろうという気持ちは起きなかったかもしれないです。 短歌朝日に投稿して、岡井隆さんの特選に選ばれました。 そこから続けることになりました。
*「二号室の吉村ですが増えすぎたキノコのおすそわけに来ました」 石川美南
穂村:怖いけど面白い物語性があります。
*「お前んちの電話いつでもばあちゃんがでるな蛙の声みたいだな」 石川美南
穂村:これもあるかなというぎりぎりの発言ですね。 多分子供だと思う。
石川:現実と非現実はきっぱり分けられないという気持ちが常にあって、ファンタジーとはちょっと違うんですが、歌を作る時もこれが現実、非現実とは決めないで作っています。
*「息をのむほど夕焼けでその日から誰も電話にでなくなりたり」 石川美南
穂村:これも物語と現実のあわいを行くような短歌だと思います。 電話に出てしゃべるようなことも減ったような感じもします。 予見的イメージもある。 美しいけど怖い、そんな歌だと感じました。
石川さんが影響をうけた作品。
*「大雨が空を洗いて後のこと芭蕉がまたしても旅に出る」 永井陽子
石川:詩集が「あいうえお」順になっていて、言葉の自由さが際立っていて、そのことに衝撃を受けました。 私もこういう風に作りたいと思いました。 空想的なイメージですが、芭蕉という遠い存在の人が、とても近い人に感じられる。 軽やかさを感じます。 57577にははまらないところがあって、定型ではあるがそれをゆらしながら、リズムをとっていくというような、そういうところも永井さんから影響を受けましした。
*「水中の音叉のごとき悲しみの極まりにけん雲は子をなす」 水原紫苑
石川:水中では音叉の音は伝わっては来ない。 なっているはずの音が聞こえないかのように、自分の内側で広がってゆく悲しみがある。 凄いのは雨の比喩になっていて、雲の中で見えない悲しみが膨れ上がって、ついに我慢できなくなった時に雨が降ってくるんだという事だと思います。 溢れるような悲しものが込められていて、ぐっとくる短歌です。 水原紫苑さんには2年間聴講し成長したと思いました。 「ジュリーアンドリュースのような青空に」という比喩の短歌を出したのですが、「ジュリーアンドリュースが青空だという意見には異論があります。」と言われて、作品に真っ向から反対して下さったことに凄く嬉しかったです。 本当のことを言う方なんだなと思いました。
*「嫌っという人はいないが好きという人は夕顔の白さで並ぶ」 岡井隆
石川:岡井さんは詩集ごとに別のことを試みる。 そのことに凄く影響を受けてています。 ヒヤッとするような孤独感、「好きという人は夕顔の白さで並ぶ」、全員遠くから眺めているようなイメージがあります。
穂村:長生きされていて、皆向こう側に行ってしまうような感覚があって、もしかすると本当に好きな人は亡くなっているようなイメージもあるような気がします。
*「跳び箱と跳び箱の間に挟まってぼそぼそ夢を語りき昔」 石川美南
穂村:若い感じがします。体育倉庫ですかね。 そこで夢を語っている。
石川:子供って隙間とか狭い所が好きですね。 隙間だからこそ自由にいられるといった感覚が小さい時からあったような感じがします。
*「とめどなく話しましたね二次会はオニオンリングだらけでしたね」
穂村:ニオンリングがリアルに感じます。 話し言葉も心に残りました。
石川:とめどなく話しましたね二次会、その思い出は共通して残ってゆくものだから、自分一人の思い出ではない。
*「泣きながら試験管振れば紫の水透明に変わる六月」 穂村弘
石川:なぜ紫から透明になるのか判らないが、何か自分の感情と試験管の中に水が連動しているような時間があって、6月の微妙な空気感があってとてもいい歌だと思います。
穂村:短歌のなかに国語や社会を入れるより、理科や算数をいれたほうがいというセオリーがあるんです。
*「あんなにもティッシュ配りがいたことが信じられない夕闇の駅」 穂村弘
石川:日中はあんなにいたのに夜になって居なくなってしまって、信じられないというのが一つ目の意味で、今読むともティッシュ配りという文化がなくなってしまって、そのことに対する喪失感、時代が一つ変わってしまったことの闇が端的に表されている。
穂村:ある時代の感覚の中でそれを見ていたものにとっては、そんな未来が来たんだ、そしてこれからもそれが起こるんだろうという、愕然とする、どんどん怖くなってくる。
*「白菜は悲しからずや高すぎて野菜売り場で買えず漂う」 狩野勝弘?
「白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」という若山牧水のパロディーですかね。
*「なんてこと俺が見ていたからなのかダブルプレーで追加点なし」 白井世義彦?
*印の作品は漢字、かな等が違っている可能性があり、氏名も同様です。