ステンシルというのは、紙型に染料等を塗って布や紙に模様を書く技法のことです。 ホークスさんは大阪市の出身。 グラフィックデザイナーとして広告会社に勤務したあとフリーランスになります。 1974年ごろに沖縄の染め物「紅型」を趣味として始め、その後ステンシルに出会います。 1987年からはステンシル作家地しての活動を始め、本も執筆、テレビや雑誌でステンシルの紹介などをしています。 現在は長野県上田市で暮らしていて、毎年東京、神戸で個展を開催するなど、作品通リに励んでいます。
私はグラフィックデザインの仕事をしていて、日本の民芸に憧れていました。 或る時民芸店に行ったら店主が紅型を教えていました。 紅型を習いたいと思って始めて、ステンシルに結びつくことになります。 紅型は型を作ってそこに糊おきをして,顔料をさしてゆくわけです。 複雑で様々な工程があります。 グラフィックデザインと共通するところがあります。 「シンプル イズ ベスト」という諺がありますが、シンボライズしてゆく過程が似ていました。
最初はっきちんと紅型のお勉強をしました。 すべての工程がゆっくりのペースで、3年間習って、一旦日本を離れる事になりました。 5年ぐらいのブランクがあったのちに、ステンシルとの出会いがありました。 型を使って何枚も絵を描くことができる。 紅型と同じテクニックだと思いました。 ステンシルの場合はカッターナイフとトレッシングペーパーのような紙があって、書いたものを型に彫って、彫った型の中に絵具(アクリル絵具)をさしてゆくので、顔料のような大変な工程が無くても、直ぐに布に描けます。 洗濯もききます。 ステンシルの面白さにはまって行きました。 絵は子供の頃から好きでした。
最初の個展の時には化学染料を使っていました。 那須に暮らし始めた時に、化学染料を流す事になると、自然に良くないと思いました。 草木染めにしようと思いました。 例えば「アカソ」を調べると、昔の人は赤い色を出すのに使っていたとか、という事で身の回りのものを使う事にしました。 焙染が必要で灰とか鉄さびを使いました。 洋服にも応用して行きました。 草木染は相当なテクニックと学習、修業が必要です。 私は地色にしようと考えました。(淡い色) 一番多く使ったのは栗のイガです。 お坊さんの袈裟の黒い色は栗のイガで出来ていることを知りました。 鉄焙すを何度もくりかえると真っ黒な色になります。 私は淡いグレーから大地の色(茶色)に染めました。 クールグレーはまだ茶色にならない栗のイガでないと出せないことが判りました。 黒系のいろいろな色を出すことが出来ます。
腕が腱鞘炎になって手術をしたりして、繊細な線を出す型を彫ることが出来なくなり、落ち込みました。 それが墨彩画に変っていきまた。 ステンシルと墨彩画との組み合わせとか選択肢が広がって行きました。 その後長野の上田市に移りました。 歳をとったからこそ、新しい発見もあります。 ガーデニングもやるようになりました。(土いじり) 身のまわりのいろいろなものから創作活動のヒントがあります。 創作活動をしてきたことで、悩んだり苦しんだりすることを、忘れることが出来ました。
一番大事なのは今の自分なので、今私は何をやらなくてはいけないのか、今しかないです。 なんかわからないが、有難いという思いがあります。 大きな力があって、させていただいているというような、思いです。 人に何かをしてあげるにしても、その為にはまずは自分を大事にしなければいけないと思います。 作った作品を身にまとってもらって完成するという事です。(歩くキャンパス)