2013年8月20日火曜日

モハメド・オマル・アブディン(理事)     ・留学体験を祖国の障害者支援に

モハメド・オマル・アブディン(スーダン障害者教育支援の会理事)  留学体験を祖国の障害者支援に
1978年スーダンのハルツームの生れ 12歳のころからはほとんど、目が見えなくなりましたが、将来、兄と同じ弁護士になることを目指し、ハルツーム大学法学部に進学します
1998年、アブディンさんに国際視覚障害者援護協会の招きで、日本に留学の話が持ち上がります
来日したアブディンさんは、福井県立盲学校で、3年間鍼、灸とマッサージを学び、国家資格を取得、その後、筑波技術短期大学でコンンピューターと画面音声読み上げソフトを勉強し、ひとに頼らず、情報発信ができるようになり、活動の世界が広がります
2007年東京外国語大学、外国語学部、日本語過程を卒業、現在大学院博士課程に在学中で、6年前に設立したNPO法人スーダン障害者支援の会の理事もしています

モハメド・オマル・アブディンは自分の名前(モハメド)・父の名前(オマル)・祖父の名前(アブディン)となる
女性の場合は 自分の名前・人の名前・父の名前・祖父の名前となる
結婚しても名前は変わらない(夫婦別姓)
アブディンはスーダンでも珍しい名前 宗教的な名前
2年前に南スーダンが独立したが、それまではアフリカで一番大きい面積だった
日本語は同音意義語が有って本当に難しい  例えば 講義、広義、抗議とか
(漢字を見ればわかるが、私は目が見えないので判別ができない)

砂漠、密林、海、川(白ナイル、青ナイル)等自然が豊か
ピラミッドの数が多い、サイズは小さい 歴史の古い国
エジプトのピラミッドよりも古いのではないかと言う仮説がある
基本的には農業国 南は石油とか天然資源が豊富(これで紛争の要因となっている) 
農業は国家収入の60%、家畜関係が20%占める 石油がでてしばらくは、農業が軽視されていた時期がある
スーダンの南が独立して、60%の石油収入が見込めなくなった

1996年の終わりにスーダンの大学に入学した
友達に本を読んでもらったり、親に本を読んでもらったりして、耳で聞いて勉強していた
高校では通じるが、大学では勉強の幅が大きく、そうはいかなくなった
途方に暮れていた時に、日本の団体から、鍼、灸の募集があった
直感で決めた 視覚障害者に対して、配慮のある国だと思った
父は猛反対した
兄も目が見えず、法学部の3年になっており弁護士を目指していたが、兄に相談したら、チャンスを逃さないほうがいいと、背中を押してくれた
「我が盲想」を出版している   雪の上にも3年
板橋で3か月 語学の勉強と歩行訓練をした
福井県立盲学校で受け入れてくれたが、方言に最初は苦しんだ
東洋医学理論を学ばなくては行けなくて、通常の日本語とは全く違う言語で苦しんだ

寿司は非常にうまい 口に入れてみたら最高に美味しい
美味しいものを世界に教えなくて良かったのではないかと思う(資源不足が心配)
日本検定試験1級を取得 日本語も自由にしゃべれるようになった
19歳で来日して、15年になる
結婚もした スーダンの人 娘が二人(2歳半、8か月)
筑波短期大学でコンピューターを学ぶ 合成音声が画面の情報を読んでくれる
普通のキーボードで行う

視覚障害は情報障害だと思っている 視覚が7割の情報を得る
音声ソフトを使ってやることで、活動範囲が広がった
NPOを立ち上げて、始めた
小さい時の読書は、自分の今後を決める大事な経験だと思うが、それができなかった
勉強しなければ飢え死にすると母親から言われて、一生懸命勉強するようになった
障害を持つことによる理由で学校をやめる人が多いので、学校でも学べる環境を作りたいと日本で細々と活動を始めた
友達も共感してくれて、一緒に団体を始めてくれた

スーダンの盲学校は1つしかない 日本は70校ぐらいいある
通える人は100人しかいない 通えない人に点字を教える
点字の本を購入して配布したり、大学に通う大学生に音声ソフトの入ったパソコンを設置して講習会を行ったり、スポーツ(視覚障害者サッカー等)の普及に務めたりした活動をやっている
大学の博士課程では、平和構築紛争予防を研究 スーダンの国にとって大事なこと
目の前の現象ばっかり、深みのない紛争解決は善くないと思っている
民主化、選挙しなさい、そうすれば平和になると 細かい状況を考えずにやっていることに疑問を抱いている

スーダンの紛争の歴史はどうだったのかを、認識しておかないと、紛争解決をしてゆくことが難しい
地球の人口の15%は何らかの形で障害を持っていると言われるが、発展途上国では保証が期待できないので、障害者の80%は発展途上国に住んでいると言われる
障害者が勉強して、仕事をして、税金を払って、社会全体のプラスになるような仕組みを作っていかないといけない
そういう意味で教育は大事だと思う
将来的に就労市場で競争できる人材になるために教育の現場の改善を訴えています
ブラインドサッカー 子供のころ 阻害感を味わったが日本でブラインドサッカーに出会ってこれだと思った
大人だけでなく、子供にも教えていきたいと思っている
視覚障害者の教育支援を広げてゆく
娘の父親として、自慢されるお父さんになりたい
失敗しても自分で決めた事は悔いが無い(直感勝負 自分の判断を信じて)