今井高樹(日本国際ボランティアセンタースーダン現地代表) 私が体験した現代の戦争と平和
日本国際ボランティアセンターでは1980年代から東南アジアで難民支援に取り組んできました
2006年からアフリカのスーダンで住民への支援活動を行って来ました
スーダンでは20年以上も内戦が続き、2011年には南スーダンが独立しましたが、今でも紛争が続いています
今井さんは会社に勤めながら、国際ボランティア活動を続け、2010年からは現地スーダンに入って、直接的な緊急支援や、生活支援などの活動を行っています
帰国が1週間だけなので、忙しい
スーダンに6年間生活をいているので、スーダンの方が自分にとって、普通に感じる
日本に来るとこの社会の方がきっちり整理されていて、乗り物に乗ったりするときには時間が正確であるが、スーダンでは時間に集まらないのが普通で、自分が成りきってしまって、日本にも戻っても、何故か時間にはいけなくなってしまう
私が住んでいるのは首都のハルツームと言うところですが、そんな緊張状態ではなく、安全で市民生活とかが行われているところです
国の中で、ダルフール、南コルトファンと言うところでは、紛争が続いていて緊張状態がある
首都では夜中でも女性が一人で歩ける状態
ずーっと日本の会社で、最初スーパーマーケットで肉の担当で、牛肉、豚肉を切ったりしていて、その後本社勤務が結構長かった、そのあと今のNGOの仕事に携わった
もともと学生時代から関心があったが、古い学生時代からの友人が、TVを見ていたら、その友人がカンボジアで一人で国際協力活動していて、それを取り上げたTVを偶然見て、非常に衝撃を受けて、友人と連絡を取り、カンボジアを訪問した
当時は内戦が終わって、時間がたっていなくて、チケットを購入するのに注意をされた
何日か一緒に活動をして、自分もこういう風なことを機会があったらやりたいなと思った
そのあと、日本国際ボランティアセンターで会社員をしながら、毎週一回活動の手伝いをすると言ったことを何年かして、最後には職員と言う形で、海外派遣という形になった
日本国際ボランティアセンター (JVC) ボランティアの草分けの団体
スーダンへ行ったのはJVCへの要望 アフリカには興味があった
スーダンに関しては、戦争、難民とか危ない場所とのイメージがあったが、街自体は安全でイメージと違う感じだった
スーダンはエジプトのすぐ南 東にはエチオピア と言う位置関係
国の面積は 南スーダンが昨年独立したが、独立前はアフリカで一番広い 日本の6倍ぐらい
独立後は日本の4倍ぐらい
首都ハルツーム 人口は 600万、700万、と言われる(地方からの移住者、避難民を合わせるとき)
白ナイル(薄い茶色) 青ナイル(こげ茶色) 首都ハルツームで合流してナイル川になる
気候は 場所によってかなり異なるが、ほとんどが乾燥地帯
40℃は当たり前、乾燥しているので、日本のようにむしむしはしない
ダルフール紛争 2002年から始まって相変わらず続いている
内戦は23年続いたが、南の方が独立した
沢山の民族が住んでいる 自分たちはアラブ国家だと言っているが、国の中には、自分たちはアラブ文化ではない、言葉もアラビア語ではなくて、自分たち独自の言葉があると言う人も多く、南部、ダルフール、東の方に多くいる
国の中央を占めるアラブ系の人が周辺の民族を支配抑圧してきたんだと、言う事で反発をする人々が、反政府勢力になっている
2年前まで南コルドファン州のカドグルと言う街に住んでいたが、そこで紛争が起きた
市街戦になり、同じ国際協力活動をしている団体とか人道支援団体と一緒に避難してきたが、現場を見ると、日本の感覚では信じれれないような、皆、銃を持ち、撃ち合っているような光景もあった
とても身動きできない様な状態になっている
紛争の中で生きている人たちがいるのかと、身に沁みて感じた
紛争地域には入ってはいけないようになっている
紛争が始まって半年ぐらい、事務所が閉鎖された
紛争のなかで避難した人たちに対する緊急食糧支援、毛布、調理器具の支援をしてきた
(現地スーダンの人たちが主体的に動く)
現地スタッフは今は3人いる 電話で一日に何回もスタッフに電話して、情報を仕入れたり、指示をスタッフにしたりしている
避難先に住み付いてしまう人は自活をしてゆくので、自活のための支援もしている
作物を育てる手伝いをしている
この地域は半年雨が降らないので、灌漑設備、小さな池を作ったり、そういったことをやってきた
支援範囲は限られているが、それでも人口は数万人~10万人ぐらいが住んでいるので、結構大きな人口を持っている、その支援をしている
JVC、日本の事はどう思っているか?
日本のイメージはとってもいい 日本の製品 車、電気製品などを観ているので、ヤバニア(日本)といって抱きついてくる人もいる
私たちの団体が活動していることを、知っている人も増えてきたので更に、ヤバニア タマーム(素晴らしい)と声をかけてくれることも、多いようです
スーダンの人は広島、長崎の事は、ある程度教育を受けた人は、結構知っている
欧米、突出したグループの中で、戦火の中を経験して、欧米に肩を並べた日本に対して、自分たちも日本をみならって発展してゆくんだと言う人は中に入る
スーダンはアメリカからテロ支援国家とレッテルを張られて、経済規制があるので一般に欧米に対して反発を感じているが、日本に対しては、親近感を覚えている
今、紛争があちこちで有るが、紛争の原因になるようなさまざまな対立や争いが村にあるのではないかと思っていたが、以外に村の中には人々がお互いに仲良く暮らしてゆくような、争いが起きたときに、解決してゆく仕組みが沢山昔からある
土地をめぐる争い、牧畜民と農家との争い 裁判をやってお互いが損害賠償(作物とか)をやって上手くやっていくような仕組みがあるが、紛争が起きている
もう少しおおきな政治的なものがあって村の中に対立を生じさせてしまう様なものがある
平和構築の活動をやったりもするが、平和委員会を作って、大規模の会合を持つとかやっているが、草の根、村とか地域の中を細かく見てゆくと、共存するための知恵とかいろんなものがあって、私たちは結構そういうところに注目して、村の人にもう一回再認識してもらい、共存していきましょうと言うような活動ができればいいと思っている
地域の皆さんが共存、未来に向けて自分たちで再建してゆく力が、自分でも勇気付けられるところですね
戦争が割と日常的なものになってきてしまっているが、その中で、紛争のような状態でも如何に自分たちがうまく生活をしてゆくのか、戦争があると言う事は、そこに様々な対立が地域社会に
持ちこまれてくる
内戦が多いので、同じ民族グループの中で、政府系、反政府系、と言う事で対立が持ち込まれてくるが、さっき言ったように、地域の知恵で争いごとを解決してゆくような、知恵があり、そういうものを使いながら、国全体では紛争とかがあっても、それぞれの地域ではなんとか上手く生活を続けて上手くやってゆくような、そういう力に勇気付けられることが多い
政治レベルで紛争を解決をするための和平交渉とかはもちろん大切ですが、もういっぽうで
下からのレベルでの共存、平和作りも大切だなあと思っています
雨気が6月から始まっているので、農業関係の支援をしている
井戸の補修とかの活動もやる予定です