小宮多美江(音楽評論家) 戦没作曲家の足跡を掘り起こす
1931年 横浜市の生まれ 東京女子大学 英米文学科を卒業 1955年から音楽評論の活動を始めました
執筆活動のかたわら、音楽関連の出版社も経営し、清瀬保二、吉田隆子、井上頼豊など、戦前、戦中、戦後を通して活動した、作曲家や演奏家の紹介に務めてきました
小宮さんはまた戦死した作曲家たちの足跡をたどって、楽譜や資料の発掘と整理、残された作品の演奏会を開いてきました
彼らの出身地などで開かれるコンサートでは公演も行ってきました
今日はその中で1945年、中国で戦病死した静岡県出身の尾崎宗吉と山形県出身の紺野陽吉の二人を取り上げます
音楽の執筆活動は今年で58年になる
コンサート等で印象に残っているもの、昨年 「吉田隆子を知っていますか」 「吉田隆子の世界」
紺野陽吉の作品が故郷での演奏会が実現した
吉田隆子は私の母とほとんど同じ 清瀬保二は父と同じ年齢 作曲運動を昭和の初めに始めた
清瀬保二のことを本にまとめようとしたときに、清瀬保二の書類の中に、紺野陽吉遺稿と書かれた封筒があり、その中に3曲の楽譜があるのを見つけたのが、はじまりです
長野、無言館 窪島誠一郎が主催 戦没画学生の作品を展示しているが、音楽家の場合はなかなか散逸している楽譜を見つけ出して、今の演奏家たちに演奏してもらう事で、戦没作曲家の遺志を実現することになる
作曲家たちのことを本にしたのは5人
尾崎宗吉 1915年静岡県に生まれる 1934年4月に東洋音楽学校のピアノ科に入学
諸井三朗に師事、 1935年初女作小弦楽四重奏曲 作品1を発表 1937年卒業
1939年8月召集 3か月の訓練の後中国大陸に向かう 3年間各地を転戦 1942年12月満期招集解除で戻るが、再び招集を受けて1943年、旧満州に向かうが、1945年5月15日に戦病死している(虫垂炎が悪化して亡くなっている)
1977年の演奏会で初めて尾崎の曲を聴く 「夜の歌」 吉田隆子と同じ旋律だと思った
日本音楽舞踊会議の組織の中で、作曲家の仕事にも強く関心を持つようになった
清瀬保二とかその弟子たちとか(弟子は私と同世代)
日本の作曲家の歴史を若い人が解らなくなってきたので、今のうちに音楽を聞き、作曲家自身の御話を聞こうと、作曲ゼミナールと言うものをやっていた
もっと作曲と言う物に中心をおいたものに絞りたいと思った
若い2人と共に組織を作った クリティーク80
尾崎は木琴をヤマハの社長からいい楽器を借りて、木がささくれ立つほど叩いたそうです
1995年 浜松で没後50年記念演奏会が開かれる
柳澤康司さんがたまたま私たちの出版した本を見つけて、演奏会が実現した
紺野陽吉 1913年 山形県 医者の次男として生れる 1931年上京 1937年頃 演奏活動する
(セミプロのオーケストラ コンセール ポピュレールに所属)
ベートーベン 田園 カルメン組曲とかポピュラーなクラシック音楽を定期演奏会をやっていた
1945年 中国の旧満州で戦病死している
1995年8月 遺稿を見つける 3曲 親しみやすい旋律の曲だった
新聞「赤旗」のコラムに「紺野陽吉を知りませんか」という記事を投稿したが反応は無かった
無言館がTVで取り上げられたのが2005年ごろ それに関連して音楽でも戦死した人たちがいたのではないかと、製作会社から問い合わせがあり、尾崎宗吉の資料、紺野陽吉のことについてその方たちにお話ししたが、番組としては実現しなかった
日本近代音楽館 資料を集めている館がある そこで調べられる限りのことを報告してくれた
紺野陽吉 遺作演奏会 2012年9月 明治学院大学の校舎内で演奏会が実現している
弦楽三重奏 清瀬保二の弟子 安藤久義氏に未完の物には補作依頼した
今年の4月に故郷で演奏会が開かれた
紺野陽吉遺稿作(3曲)は出征する前に、清瀬保二に届けた
何となく民謡の旋律を感じる
木管三重奏曲が唯一完成していて日付けがある
木管三重奏曲は清瀬保二がすこし前に書いていて、それを聞いているのではないか
それで作品を清瀬保二のところに持って行ったのではないかと推測している
尾崎宗吉 作曲運動が1930年にはじまった 1935年に盛り上がり、評論家も作曲家の先輩も関心を持って、室内楽というジャンルを限定して、作曲募集して、支援して演奏会を開くと言う、そういうことが行われた
そういう中で尾崎宗吉の小弦楽四重奏曲が現れた
作曲運動が1935年に盛り上がったが、翌年は2.26事件なので、戦争にどんどん入って行っちゃう
自筆譜で最近は演奏する気力が若い人にはなくなって来たように思い、今のうちにちゃんとした楽譜にしてもおないといけないと思った
楽譜ができただけではだめで、繰り返し演奏してもらう事が大事です
楽譜を出しておけば、誰かが演奏してくれると思っている
音楽ジャーナリズムはとかく有名な人に目がむいてしまうが、そうではないところにも光を当てて全体像を見ていこうとしている