2013年8月8日木曜日

米倉 斉加年(舞台役者ほか)    ・戦争、演劇ともに熾烈な戦いだった 2

米倉 斉加年(まさかね、舞台役者、演出家、俳優、画家) 戦争、演劇ともに熾烈な戦いだった2
町内では二階建の大きな家だった (炭屋)  祖父が大工の棟梁で、福岡城第一期解体時期と家が建った時期が一緒だった
解体した木材を壕に落として、引き上げて、材料にしたので建てた柱は立派だった
祖母が髪結いで、おなごも働いて金をためておけば、男の言うなりにならないと、妻に対して、おんなの自立を説いた
祖母は、千両芝居(大歌舞伎)はめったに見られないと、私に対して、学校は毎日あるので学校に行くことは止めて、千両芝居を見にいこうと、諭された

軍人でないものを、母は望んだ 
大学を中退して、役者の道を選ぶ 妻とは学生結婚をしたが、妻からきちんと役者の勉強した方がいいといわれた(妻は教員免許を持っていたので私が働くと言ってくれた)
最初上京した時に、松村 達雄さんの「50人劇場」に行った
高円寺に50人しか入れない劇場に行ったが、やくざのために劇場を潰されてしまった
その後、民芸の試験を受けて、合格した(3000人ぐらい受けて、50人ぐらいが受かった)
試験は1週間ぐらいかかった(昭和32年)
若手で主役をやったりするようになってきて、ある人が宇野先生に私のことを聞いて、宇野先生は、才能、そんなもん有るわけないし、あってもわからんていって、あいつにあるものはど根性だけ、と言われた  怖いもの知らずであった

NHK大河ドラマ、中村半次郎役 強い人は強がらない  そのような雰囲気でやった
民芸座 宇野(劇団を動かし指揮していた) 滝沢さん
研究生として3年目に劇団を作って、宇野先生と交流が始まり、活動したが5年目に解散して、辞めて、民芸に戻って、それから実際に宇野演出で、主役をやったりして始まりました
宇野先生は伝説の人です 宇野先生から言われた駄目だしは3つある
①普通に言え  ②思えば、出る  ③離見(世阿弥の花伝書にある言葉)
いまでもこの3つは、できない
①普通に言え ・・・最初に言われたのは舞台で主役をやる前に、NHKで主役をやった 
木下順二先生の「口笛が冬の空に」というTVドラマ これに主役で出ている
私の父親役をやったのは宇野重吉、母親役が北林 全く運命的な出会いであった
最初の本読みを終わった後に、宇野重吉が「普通に言え」と、一言だけ言った

普通にいう事は難しい 普通に生きてなければできない 
宇野重吉曰く、「偉人、奇人、変人は出来る、普通の人は難しい」
そこらにいる視線、普通の人が一番難しい、演じるのに
普通に言えと言う事は、普通に生きている、普通の世界観を持ってないと言えない
これは棺桶に入るまでの、大きな宿題です
普通に言えは心がそうなればでる  
②思えば、出ると普通に言えは  通じている
心の中味を言葉で言えない 言っているつもりても、そう感じ取ってもらわないと駄目なわけ
普通に言うと言う事は難しい、言えないものをどうやって出すか、言葉で説明できないから、違うことを話してる この落差で本当の意味を発見する 
この落差を見せると、お客に解るんです

親が死んだのに、悲しくない 悲しいか、悲しくないか この落差を見極める
そういう自分の心を持っていれば人も落差で表現するんでじゃないかと、嘘を言う事で、心と違う事を言うから、心が解る、落差でわかる
新しいものと古いものがどちらがいいか、それは別問題 
古いで大いに結構、迎合する必要がない
なるべく長く生きて、古くなりたい 古いは貴重 その中に文化が込められている

「父帰る」は面白い  子供の時は小姓組だった 友人は校長になっている
ちゃぶ台が出てくる 江戸時代にちゃぶ台は無い 年功序列で御膳で一人一人くっていたが
家族が初めて生れた 家の崩壊そういうものがあの古い「父帰る」に日本の中の一つが入っている
これでもかこれでもかと そういう風にやっている

北海道で去年は2カ月近くやった  お金がな方ので、車で回って、学校の廃校に泊ったりした
今回金に替え難いものをもらった
大きな体育館で芝居をやるような環境ではないところに100人足らずの観客がいたが
芝居を始めると、食い入るように初めての芝居を見る目がある、この目にこたえるわけにはいかない、初めて見る目には、初めて見せる芝居をしなければいけない
ただ舞台で勝手に芝居をしていたのでは、中味が無けりゃ出るものが無い、その時に己をするわけです
あの目に答えるだけの自分がいるかと、だかあらそういう目に接した時に、始めて自分の発見ですよ
それを続けるうちに、おい、これから満員の劇場では、もうできないかもしれない、ガラガラの客席じゃないとやる気が、それぐらいの気持ちで

「父帰る」は涙なくては見れないのに、漁師のかみさんたちは笑い飛ばすんですよ
これはショックだった、劇中で私が帰ってきて、笑い飛ばすんですよ
詰まり、男が女を作って、出て行って、落ちぶれて帰ってきて、ざまをみろと言う事なんですよ
漁師のかみさんたちは強い、漁師は稼ぐと男はみんな飲みに行ったりするが、沖へ出て行くのをじーっとかみさんたちは黙ってかみさんたちは見守っている、船の一枚底は地獄だ、帰ってこない夫、息子を代々そうやってみている
帰ってきさえすれば、そんなことでへこたれない
愕然とした笑うので、最後の最後、一番いいところでも笑う
でも気付いた、おかしくて笑っているのでは無いと言う事に、男の愚かさを笑っている
あのおかみさんたちは、帰って言った時の温かく家に入れてくれるかみさんたちだねえと、絶対追い出さないと

これはやっぱり、価値観が金、物になっている現代の都会の生活と違う、金、物、権力に支配されない、何の経済効果のない中で、本来の人間の持っている、まだ北海道には自然の中で生きる人間がいる
空を見るのに、都会では目を上に向ける(空の切り取りしか見れない)北海道は水平に目を回す
360度 そこからが全て空   そこでは芝居が生き返ってくる 人間の
今は忘れているものが沢山あるなあと、思った
悲劇なんて笑い飛ばす、かみさんたちに出会ったときに、人間本来たくましいなあと思った
得たものは大きかった
新しいものは古いものの中からしか出てこない 年寄りはやることがある、皆がだまっている言いにくいことを言わなくてはいけない