1949年埼玉県生まれ。1973年東京教育大学体育学部武道学科卒業。同大学院体育学研究科修士課程修了
香川大学助教授を経て現在、財団法人講道館図書資料部長
2008年7月、日本武道学会理事長に就任
中学生はテニス 友人から誘われて柔道をするようになる
大学では柔道を通じて日本の武道の研究に取り組んでくる
37年前アイスランドに派遣され柔道の普及に努めて来られました
以来 海外十数カ国で柔道の技と心を伝えて来られました
姿三四郎(富田常雄の小説の柔道家) モデルになった人がいて講道館創設時に西郷四朗 大活躍した 三船久蔵 十段等 有名な人が育った
嘉納治五郎 講道館創設者 世界に普及された柔道 競技スポーツとしての柔道 と 武道としての範疇で捉えられる処の柔道と 2種類に取り組んでいる
一般的には柔道とはオリンピックでの競技スポーツとしての柔道が知られていると思う
乱取り(従来からこれだけ肥大化したと思われる)に対し、型がありこれが広がってきている
型と乱どり 講義と問答 この4つが柔道の必修科目 (加納先生が提唱した)
この乱どりだけが広がってゆき 競技スポーツ化した 型も治めて行く
これも競技化した方が判りやすいだろうと云う事で、これも世界に広めてゆきました
型というのは 投げ技が有る(投げの型) 抑え込む(固めの型) 柔の型 決めの型(当て身 危険ではあるが)
加納先生はこの4つを定めた 講道館護身術 天神真楊流柔術 古式の型 剛の型(現在は行われていない) 勢力全容国民体操 の9つの型が講道館にはある
型に関する世界大会(7つの型) が3回行われた
「道」 日本の伝統 「術」 剣術 柔術 柔道へと変化
子供の頃は相撲が広くやっていた 中学に入学して軟式テニスをやる
3年になると柔道部の友人から誘われて柔道を始める
高校になった時に柔道を選んだ 大学でも体育学科に入り柔道を続ける
大学院の時には講道館の指導員を務めるようになる 世界に柔道を広めようと思うようになる アイスランドから柔道の指導員の要請が有り これが私の最初の海外体験であった
飛行機にのるのも最初 国際線 半分不安だらけ (25歳)
3月17日 真冬の出発となった
着陸時 真っ白いと思っていたら窓から見えるのは真っ黒だった(溶岩)
大きさは北海道ぐらい 人口は30万人ぐらい 柔道そのものは普及していた
当初柔道人口は多くない
彼らが求めている柔道と 講道館が拡げようとしている柔道 誤解に危険性がある
重なり合う部分も多々ある
正しい技術のあり方を教えると云う事で 講道館が教えるものと、現地での要求するものとがうまく合致しましたので特に問題は発生しなかった
彼らも良く理解してくれた
モリオントールの年 良い選手に恵まれ北欧選手権大会で2人優勝してくれた
柔道を認めてもらえてモントリオールに柔道も入れようと云う事になってくれた
コーチと云う事で私が行く事になった
フランスでは60万人が柔道をやっている 力を入れている 日本でも小学校でも教える
伝統 中学校で武道を必修科目として取り入れる事になる
人の在り方 世の中の道理 支え 体育 勝負 修身(道徳 心身の力を最も有効に使う)
お互いが栄えるようになる
加納先生はそもそもの動機は身体が小さく単純に強くなりたいとの思いがつよく 柔道をやりたいと思い始める
ルーズベルト大統領にホワイトハウス内に特別に道場らしき場所をこしらえて山下義韶 という師範がアメリカに渡り大統領に柔道を教えたというそうです
外国への働き掛けをして柔道が広まっていった
加納先生はIOC委員として外国にゆく際にその繋がりのなかで合わせて柔道の普及に努める タイへの普及では仏教徒の国なので入りやすかった(礼一つとって見てもアイスランドでは何故礼をするのかという事から理解してもらうのに苦労したが)
国際柔道連盟でも柔道を通した教育に対して高く評価している