2012年2月14日火曜日

斉藤俊一(酒造会社)       ・100年ぶりに酒蔵を再興する

 斉藤俊一(酒造会社、57歳)        100年ぶりに酒蔵を再興する  
港区芝に100年ぶりに酒蔵が復活しました  
雑貨店を営む斉藤さんが復活させる 
1812年先祖が作り酒屋を開業 薩摩屋敷の出入りとしてにごり酒等を作っていたが明治42年に廃業する それから100年 7代目として復活させる  
株式会社若松屋 東京都港区芝4-7-10 TEL.03(3451)2626  
かつては、この地に約200坪の土地と酒蔵や住居があり、酒造りを行っていたという
1Fをそれに当てる 10坪を酒蔵としている 
 
先ずタンクで醸造 約3週間かかる できた酒を瓶に入れてできた酒を「ひいれ」という作業をする65℃ 30分間 発酵を止める作業  冷やしてシール張りをして出荷する   
酒はどぶろく (其の他の酒) 現状は月1000Lを目指している  
長野の飯田から出てきた 紙問屋の人と農家の人が出てきた2人で1812年から酒を作る様になった どぶろくと芋焼酎(薩摩藩に対して) 明治に入って清酒を作った  
1868年の数年まえからこちらに来て要人が飲んでいたと云われる 
裏座敷があり西郷隆盛、勝海舟 高橋泥舟 山岡鉄舟がいつも集まり、無血開城に向けての話をしていたと云われる  
書も残っている 西郷隆盛の書いた書一枚残っている 
「人を皆 炎熱に苦しむ 我夏の日の長きを愛す」  
「人は皆熱い夏の地獄を苦しむけど 私は夏の長い日を愛す」 
(夏は長い日が有るから長く働ける)

明治42年に廃業 日本酒の税金が高く4代目が亡くなり酒蔵を止める 
食堂をその後やっている 昭和23年に戦争から帰って雑貨屋を始める(父)
酒蔵復活の経緯→商店街連合会の役員になり、商店街の事をいろいろ考えるようになり 港区も商店街が衰退してしまうのではないかと危惧、消費低迷 前年対比確保が厳しくなってきている  バブルがはじけて以降厳しい(売上半分になる) 
港区住民は20万人 昼間人口は100万人と言われる  
昼間人口をターゲットにした業種は結構うまく経営ができている (飲食業) 
コンビニエンスストアーも多い 物販業は厳しい
8:2の法則 昔こういう法則が有った 8割の小売店が2割の売り上げを取って 2割の大手が8割の売り上げを取る  それが今は 1:9の法則と言われている

1割の大手が9割の売り上げを取って 9割の小売りが1割の売り上げを取る  
そうなると物販業は非常に厳しい 廃業する人が多くなってきている 
インターネットでの注文 配達が多くなってきてしまっている さらに厳しい状況になりつつある
平成15年ごろ 金融危機が有り 借り入れが多く 金融機関から調査が入る 限りなく不良債権に近いと判断される
50歳ではもう次の世代への事を考えなくてはいけないと云われる 
どうやって次に伝えてゆくかを考えるようになった
地方は土産物屋が有り 酒もあった 家でもそうだったと思い起こす  
息子に酒作りの事を話す 息子も了承してくれる
京都のある大手酒造メーカーがお台場に狭いスペースながら醸造所を作っておりそこの杜氏から話を聞く機会が有った

そこから交流が始まる 赤字でそこも閉まる事になり 杜氏からもしやる気が有るのだったら協力するとの想いを得られる
現在もその杜氏とその下で働いていた人がここで働いてもらっている
免許取得から入る 息子も修行にゆく 2年掛る(10~15cmの書類の厚さになる) 
設備がないと免許が取れない
借入金 免許の番号がないと借入できない (金利も高い)  
店舗 内装等は自分たちでおこなう
去年の7月8日に免許が降りる 第一回の酒作りは失敗に終わった 
ホースが新品で臭いが付いて買ってもらえなかった
東京の御土産として売りたい 飲食店向けに生の酒を近くの店に売っている