2012年6月8日金曜日

寺内 タケシ(ギターリスト 73歳)   ・生涯現役サウンドの秘密 2



寺内 タケシ(ギターリスト 73歳)   生涯現役サウンドの秘密
父龍太郎は土浦市議会議長   母初茂は鶴岡流小唄と草紙庵流三味線の家元  
5歳のときよりギターを手にした
73歳   昭和37年に寺内武とブルージーンズを結成して 国内外でのコンサートやレコードCDの収録など音楽シーンの最前線で活躍してきました
60歳以降での病気との闘いや70歳を過ぎても現役として活躍し続ける秘密をお聞きしました
教育委員会がエレキギターの禁止令を出してエレキギターがピンチに陥った  
其れを救ったのが寺内氏の母校の校長先生 何とかスクールコンサートを開催する事ができた
熱気があった(皆ががんばれ頑張れという感じだった) 民謡とクラッシクを演奏したのが良かった 
徐々に考え方が変わってきた  いこじになっていた   1974年から1500校を超える学校の演奏会をやった  バスとトラックで廻ったが地球7周分の距離になった
バンドにとっては赤字では有ったが(スクールコンサート) 一般コンサート 5000円~1万円 同じにやった 北海道の学校 男子はズボンを下げて尻だしルック 女性はマニュキュアしている学校で修学旅行はどこに行くのか聞いたところ 東京都の事そんな恰好で行ったら みっともない
 もてないぞと もてる方法を教えてやると 学らんはオリジナルが最もかっこいい  
女性もピシッと制服を着た方がもてる  
お前らはもてない いざ さらばといって帰ってきた(コンサートの最後に)  
40日経ってから校長先生から手紙が来た 巻紙であの3分間の寺内さんの話で今40日経ちました
一人もいなくなりました 頭の毛やおかめんこ見たいなのが全部黒に染め直して 驚きました 服装も全部 オリジナルに戻りました 一人もいない  子供達も言う事を聞くものですよ   
出来る科目を夢中でやれとかいろいろ話をしている  自分の子供だと思って話す  
(学生たちはちょっと上の先輩だと思っている)
子供の頃から空手をやっていた 大先生でも 先輩でも 試合になると兄弟のようになってしまう 長崎でサッカーの強いところがある  寺内の言う事を聞けばサッカーで絶対に優勝できるぞといって実際に優勝してしまった 
其の監督が校長先生になって    3年に一回ずつ家に呼ぶが大赤字  それでもいい    
全て収録 7500曲   津軽じょんがら節が重要な位置付けとなっている 
日本の民謡が危機に瀕していた時だった 民謡大百科というLPを出した 
一番面白かったのが この津軽ジョンガラ節だった  何にもない テーマが 全部アドリブ  
津軽に浅瀬石 ( あせんし ) 川があって そこの集落は幸せに暮らしていた  
そこにお殿様が蝦夷征伐ということで入ってきて 断罪になったり さらし首になったりしている
其れをしのんで 浅瀬石川の上の河原 じょうがわら(上河原)で上演供養が始まった  
言葉があったからみんなやられてしまう
そのうち言葉が消えてしまった三味線の曲弾きになってゆく これが供養の音楽だったんですねこれを「じょんから」「じょんがら」とも土地の名前で言っている
これは面白い曲 その都度引き方が違う  

大腸癌、肺気腫、心房細動 この三つをたて続けに60歳を超えてから病になる いい経験だった 15cmを大腸を切断する  
手術室に入って音楽をリクエストするようには成らないのだろうかと言った  
自分が絶対治るんだと思ったら 治る    手術で鼻にチューブをされてしまい呼吸がやりにくいのを呼吸法を考えて譜面にする 呼吸が楽になった    (ワルツとか)      
人生観の変化は→ あまり変化はなかった 60歳から70歳への月日はあっという間に来てしまう
150回/年 現在でもやっている   秘密は?→判らない  判らないから面白いのかなあ  
迷いに迷って導きだされた言葉は(寺内が寺内に対して)
「ギターを弾かなければ音は出ない」 これだけ判った  のうがきを言っても駄目  
「備えあれば憂いなし」と言う言葉があるが「備えあれば嬉しい」
機材からギターから全部備えあれば絶対嬉しく弾ける     健康もそうですね 
きちっと運動して 食事もいろんなことを考えながら適正な食事をして    備えあれば嬉しい   「ギターを弾かなければ音は出ない」  
 
最近は練習をしないそうですが→ギターに触って練習をするのか ギターに触らないで練習をするのかという問題ですね
触らない方が効率がいい 引きたくて弾きたくてしょうがない  弾いた時に瞬発力が出る 
我慢して頭の中で考えて  其れがいいと思う 70歳になってから
楽しくてしょうがない そのことが   サウンドが違ってくる   これで死んでもいいやと 思うくらい嬉しい
「青春へのメッセージ」 寺内 タケシ 作詩 作曲

2012年6月7日木曜日

寺内 タケシ(ギターリスト 73歳)   ・生涯現役サウンドの秘密


寺内 タケシ(ギターリスト 73歳)   生涯現役サウンドの秘密   
兄がクラシックギターを持っていた 兄が出征時に絶対触ってはいけないとくぎを刺された  
弾いてみたらいい音だなあと思った   
母親は三味線の家元をやっていた  三味線とは違った音がする 侘び錆びは三味線  
切れ味のいいのがギターだと思った   
畳の踏み方が悪いと云っては鯨尺で殴られた  ギターの弾き方を教えてもらったが 
鬼のように替わって厳しく教えられた   
三味線は絹糸を巻いたもの  ギターは鉄 血が出て指を出す 塩の壺に付けられた  
堅いタコができる  本当に人間痛いときには声が出ない   
たるんだことをやるとお袋に申し訳ないと思います  生涯師匠だと思います   
ギターでは三味線に比べて音がかき消されてしまうので悔しくて何とか音を大きく出来ないものかと考えた   

電話機の部品を使って何とかならないかとコイルを使って見ると何とかならないかと 
電信電話公社の所長に掛け合ってコイルを欲しいと何とか説得して    800個貰う事ができた 其れを使って色んなマイクの形を作って行った(家は電気業をやっていた)   大きな音ができた 空襲警報用サイレンを鳴らすラッパに繋げて音を出してみた 
あまり大きな音はしなかった (窓が閉まっていたので)    
窓を開けたら割れんばかりの大きな音をしていた 得意な曲を弾いていたら空襲警報と間違えて皆避難した   
父親が憲兵隊につかまってしまい 1週間牢屋に入れられてしまった  
大きい音を出して気持ちよかったろうと一言言われた   
エレキギター第一号を製作して 改良を重ねた 
 
棟梁に頼んでギターを木でつくった(私は家を建てる者でその様なものは作れないと言われたが大工道具を使い物にならないように犬の糞をいてるぞと脅して納得させる   
(建築業も家ではやっていたので無理難題を持ちかけた)    
色んな木をやってみた  紅葉の木が一番いい音をがした 30本ぐらい作った  
電気関係は従業員に作らせた   
一生懸命にやりたいのなら母から抱いて寝ろと言われた   中学の頃にはフルバンドができたラテンの曲がはやっていた 楽団ブラックダイヤを結成した   
打楽器が売っていなくて  ボンゴ  棟梁に相談する 一刀彫で作って貰う  
皮が無い お祭りで使う太鼓の皮を使って張る  全部手作りだった
  
その頃の演奏をやるのは楽しかった  当時勉強は出来なかった  ギターを弾くのに勉強は必要ではないと思った  不勉強さを親にばれてしまった   
親は情けないと思ったようだ  父からトップになったらギターを許してやると言われた  
頑張って全科目98点になった  許してもらったら、又不成績 元に戻った   
高校でマンドリンクラブを結成した 82人分の楽器を購入してしまった 年末に父親に知れる   買って仕舞ったので後の祭り 
  
NHKの水戸で3年連続優勝をした   関東学院大学に進む  ミッションスクール 讃美歌を歌う 
聖書、讃美歌を持っているかと言われ持っていなくて1週間停学となる   
父親から勘当される  それで音楽で身を立てようと考えた  オーディションを受けて受かった 当時大學卒業で1万3800円と言う歌があったが    
それどころではなく 1週間に2万5000円位  仕切っていた  廻りはアメリカ人だらけ  寺内→テリーになってしまった(アメリカ人の発音の悪さから)
  
ブルージーンズ結成は→ジミー時田  ジャイアント吉田  いかりや長介    1962年ブルージーンズ結成 結構忙しい 渡辺プロに移った 96回/月 寝る間もない忙しさ   
ブルージーンズのなの由来は 私がブルージーンズを良く履いていたので妻が名付けた   
コンサートをやる時間はなかった TV番組 ジャズ喫茶  日劇ウエスタンカーニバル 地方に行っている時間は無かった NHK紅白は4回出場   

売れて売れての時代だった  寺内企画という会社を作る   寺内タケシとバニーズを結成  (私がウサギ年なので  これも妻が名付けた)   
反骨精神の元に出来た曲  1966年 「レッツ ゴー 運命」が大ヒットする    
或る県の教育委員会がエレキ禁止令を出してしまった  エレキギターを禁止されている 
学校に行って芸術鑑賞の為に学校で演奏しようと思って全国を    3年間で100校回った  
お金は要らないと言ったが駄目だった  思いあぐねて自分の母校に行った 
校長室に行って校長から許してもらって涙が出てきてしまった    
全責任を取ってやるからと言われた 先生方が応援に廻ってくれた  

2012年6月5日火曜日

内橋克人(経済評論家78歳)   ・ 私の原点 阪神大空襲

内橋克人(78歳) 経済評論家 私の原点 阪神大空襲
子供の頃、神戸大空襲に遭遇し、戦争の悲惨さを肌で感じる その体験を元に戦争に至る要因
について、調査、取材を続ける
ひとたび戦争に突入すると 例えば有名な建築家でも加担してゆく 日本人の思考形態のいい面、
わるい面  社会の大きな流れと自分について語る
66年前 神戸大空襲 2割以上が壊滅
神戸 海と山に挟まれた幾多の商店街があったファッションにも溢れ、モダンな空気持った港町であった
文化の奥行きの深い、陽性の人々の街
昭和20年3月17日 、6月5日  B29大編隊が来る
疎開地の前後では人格が全く違ってしまった


病院に緊急入院(急性盲腸) 病室から非難 避難先が攻撃される→父が見てくるが又行く→
近所のおばさんが泊りに来てくれていた(姉の保護の為)
防空壕に避難したが焼夷弾が直撃 防空壕崩れる→叔母さんがその中で亡くなる
焼夷弾投下により一帯が大火災 中学校校舎見に行く 火災を逃れ川に飛びこんだ人々、
ほとんど亡くなる、うつ伏せ 岸に溜まっている 

校舎が林のように爆撃されている 壁には寄り掛かった死体がずっと続いている 逃れようがない 
抵抗のしようがない
戦争があってはならない 語り継ぎたい (話したくない想いはあるが)
戦争の詳細 詳しく知りたい 自分なりに調べた→衝撃的な事ばかり
ひとたび戦争が起きると止めようとしていたものも、戦争に加担してゆく(戦争を進めてゆく為に知
を総動員してゆく)
アメリカ アントニン・レーモンド日本で有名な建築家(スパイ?) 1938年米国に帰る→日本の家屋をいかに
効率よく燃やせるか、研究に従事する
空軍に協力してユタ沙漠に日本家屋の街を設置して焼夷弾による燃焼実験をする

①攻める側にカメラを据えるな 攻められる側に立って写せ(攻めて来るやつを写せ) 
攻められる側に立って書け
②自分の目で確かめろ 自分の目で確かめてこい 繰り返し繰り返し言われた
③上を向いて歩くやつに仕事が出来るやつはいない 本当に仕事が出来るやつは上なんか
向いていない 書きたいことしか書かない
経済、政治、交際的な流れを見る時の 私の思考原点になっている
戦争は長い期間で芽が出てくる  
「流れは作られてゆく」
例えばグローバル化  グローバル化は世界の流れだ グローバル化は避けられない 
もうこれ以外に道はない こういう言葉では敏感に反応する
誰か、何を言っているのか 自分の目で、自分の耳で最初に企むものを見届ける  ・・・
洞察知ることに全力で当たる
日本人は義理堅く、律義、生真面目と良い点が一杯あるが、「危ういな」と思うところがたくさんある
哲学者の久野収氏がコンホーミズム「頂点同調主義」・・・自分より上の人の言うことに自分を同調して
ゆく、合わせてゆく 異端者扱い、つまはじきに
なることを極端に恐れる
権論 権力がある人の言う意見に対し自ら積極的に同調してゆくのは日本人が警戒しなければ
ならない、正さなければなならない弱い特徴
ハーディング・・・熱狂する、陶酔する  熱狂的等質化現象と呼んでいる (落伍恐怖症) 多数派に
等質してゆく 少数派になることを恐れる
何百年と言う歴史の中で植えつけられてきた  
一見、勇ましく、論じている人達(文化人、政治家、識者等の中にいる) 実は極めて空虚、すっか
らかんが透けて見える
戦場に行って戻ってきた人とか、満蒙開拓団で借り出されてかろうじて戻ってきた人 は一瞬にして
体感する 本当なのか、嘘を言っているのか
虚説 人をあおりたてる虚妄の理論 権力から流されてくる意識的なプロパガンダ  思想性、論理に
対して民論 民の側から跳ね返してゆく 
私達は民論をもっともっと強く盛り上げてゆく力で権論を制誅する  流れは作られる
神戸大空襲を語り継いでゆく 語るのは難しいが語ってゆかなければならない 
何故私はこういうことに腹を立ててるのだろうか 何故この内幕を知りたいのだろうか 好奇心興味 
知りたいという欲求 あのような中を生き延び
身代わりがあって(阪神大空襲の時の私の身代わりになった)、今日の私があるという原点です 

2012年6月4日月曜日

角谷敏夫(64歳)         ・塀の中の中学校教師35年

角谷敏夫(64歳) 塀の中の中学校教師35年
長野県松本内の刑務所に有る唯一の公立中学校 がある 
松本少年刑務所内の松本私立朝日町中学校桐分校です
2008年まで35年間この桐分校の教壇に立ち続けてきました 
教師を志していた学生時代 教育に一番必要なのは誰かと考え矯正教育を行う
法務教官になり 桐分校に赴任 一つしかない学級担任になりました  
生徒は教育を十分に受けられなかった受刑者です 
読み書きもままならない生徒ばかりでした  退職した今も桐分校よ 卒業生よ 風に負けるな 
そして自分に負けるな呼びかけています
多分 世界でも例の無い教育制度 刑務所の中に中学校  昭和30年に作られました 
昭和28年に青年受刑者が255名いて200名が義務教育未終了でした
その背景は太平洋戦争、敗戦による社会の混乱や社会の貧困 就学環境が悪かったこと 
学校制度の変更(6,3制) そういった環境が背景に有ったと思います
200名の義務教育未終了の受刑者の救済方法はないかと問題提起したのが昭和28年のことでした
其れから以来今年で58回で703名が卒業した  平均1年で10名ぐらい  
長野県と松本市と検討を重ねた結果 所内に義務教育の場を作るのが
一番いい方法ではないかと言う事になり 彼等に義務教育終了と言う資格も与えられるし  
社会生活に必要な資質を備えられる

それが彼等の更生に繋がってゆくだろうという事で雄大な理想ではあったのですがそれが
朝日町中学校が積極的に理解して下さって 所内に分校が作れるなと言う
見通しがつきまして 法務省、文部省にお願いして 法務省は法律を改正して 最終的には
松本市長が市議会に刑務所内に中学校をつくることを議案提出して30年3月に可決する
桐分校が誕生した  1年間で3年間分をこなしてしまう 14科目ある  夏休み、冬休みも無い 
朝8時から4時30分まで7時間の授業
1時間の授業は60分授業 休み時間は10時に15分間 昼休みは45分間  3時に15分間  
一般の受刑者は9時で就寝だが10時まで蛍光灯は付いている
勉学の時間を保証する意味で1時間増やす  辛かったと思うが机に向かっている
全国から移送されてきて入学認定会 入学式 入学者にはこんなに多くの人から祝福されるのは
初めてだという人もいる

松本教育長、地域の町内会のかた法務省の矯正局長とか来賓が50名の来賓があり300名ほどの
受刑者も出席して受刑者を祝ってくれます
午後からさっそく授業が始まる  この教科書の臭いを嗅いで下さい 
そしてこの教科書がボロボロになるまで使って下さいと言って新しい教科書を渡す
入学祝いのプレゼントする  一遍の詩を彼らへの入学祝いのプレゼントとして読んであげる
相田 みつを作  命の根  
「涙をこらえて悲しみに耐える時  愚知を言わずに苦しみに耐える時 
いい訳をしないで黙って批判に耐える時  
怒りを抑えてじっと屈辱に耐える時 貴方の目の色が深くなり 命の根が深くなる」   
この詩のような生活を1年間送ってほしいと 内容は説明しません

自分で1年間考えて下さい そう言って毎授業の初めには必ずこの詩を読んでから授業を始めます  
この詩を選んだのはハードな授業に対して、又社会にでた時に思いだして励みになるだろうと
思って多くの詩の中から選んだ
2学期の終わりごろには完全に暗記するようになる   
大きな行事は遠足  火災、自殺、逃走 これは決して起こしてはいけない事故
当日に初めて遠足に行くことを連絡する(事故防止)   みんな歓声を上げる  
弁当を用意して出掛ける時に必ずいうことがある
生き先、今日ぼくは手錠とか歩錠とか一切持ってゆきません 僕が持ってゆく武器はたった一つあります 
それは「信頼」と言う武器です
4月~10月の間で君たちと築き上げた「信頼」と言う武器です  
この信頼にこたえる一日を送ってほしい 楽しい遠足にしましょうと言ってバスに乗る
一度も事故はありませんでした 
 
帰って来てからの作文を読むと信頼の様子を書いてくれる
塀の外の地面を噛みしめる  1日1日勉強してゆく中ですこしずつ自分の知識が豊かに成ってゆく  
自分の心が学ぶことによって少しずつであるが豊かに成ってゆく
学問と言う今まで自分の知らなかった世界を知って学問に感動する 
学問をやっている自分というものに感動する 
卒業する時には校長先生は顔つきが変わったと驚く(険しい顔から穏やかな顔 目つきになっている)  
よく勉強する
本を出す→佐藤忠男 NHK 吉田信子  合評  昔 学問をしてそれを生かして自分の人生に
活かしてゆく 社会にそれを生かしてゆく 其れを今はどうだろうか
彼等(桐分校生)はそういう学問をして自分に活かしていきたい 
自分の人生を何とか切り開いていきたい という思いで彼等は勉強していることをこの本
を読んでわかった と評価してくれた

 今までの人生の軌道修正をしてゆきたいと思っているようです
卒業式の前日 最後の最後の授業  「命の根」 の感想を言ってもらう
「初めの頃はただ読んでいるだけだったが 今はその一行一行が凄く重いんです」
「目の色が深くなるというとは 命の根が深くなるということは 自分の心が変わるという事なんです 
考え方が変わるという事なんです」
「字の読み書きは一番大事です 字の読み書きができると人生が変わりります」  
学ぶことによって人生が変わる 軌道修正ができる
「自分で知らなかったことが判るのは楽しいし 知る楽しさに替わるものは無い」 
と言い残していった
卒業式 楽しかったこと辛かったこと  いろいろあるが 別れる事が一番つらい
校長が卒業証書を渡してくれる  一番重い重荷(小学校しか出ない)がスーと身体から抜けてゆく  
最初のきっかけは  夢 憧れがあったが 中学校2年生の時に先生になりたいと思った
(担任の先生の影響)  大学の4年生 皆先生になろうとの思いであった
自分がやってきた学問は何のための学問だったのだろうと その問いかけが 
回りの人と同じように中学校の先生になっていいものだろうかと自分に問いかけた
今最も教育を必要としているのは誰だろう  という問いかけに成り  
其れは非行や犯罪に走ってしまった人達ではないだろうかと
自分はそう言った人達の為に教育に携わろうと思いました  桐分校の内定通知が来た   
新宿発(23字55分発鈍行)の松本行きの列車で面接にゆく  桐分校が私の生涯を掛けた仕事で
有ったし 職場であったと思う  日本でただ一人の人ではあった

訴えたいこと→彼等はずっと絶望の中で生きてきた  教育とは希望を語ること 
学ぶことは生きる力を養う事 教育と言うのは気付きを待つこと
人間とは 自分とは何か 人生とは何か たった一度きりの人生をどう生きて行ったらいいのか  
その気付きを待つ  それが教育だと思います
いつもいつも何かしらを働きかけて気付きを待つ   
卒業してから17年 訪ねてきた子がいまして 最初にこう挨拶してくれた
「きり分校に出合えなかったらば角谷先生に出合えなかったら自分は人生の大切なことに気付かず
にあのままだったと思う 先生ありがとうございました」  といってくれた

その時にわざわざ奥さんと一緒に来てくれていた   
其の時 教育とは希望を語ることなんだと 
学ぶことは生きる力を養う事なんだと 
教育とは気付きを待つことなんだと 其の時につくづく実感しました
講演でいつもこの言葉を残すんですね    
「学ぶ、感動する、生きる いつもいつも私の心に有る言葉です」 

2012年6月3日日曜日

齊藤 堯(点訳ボランティア)      ・進行性筋委縮症とともに60年

齊藤 堯(たかし・点訳ボランティア) 進行性筋委縮症とともに60年
21歳の時に進行性筋委縮症と診断されましたが、治療法も無く60年の歳月が過ぎました
今も病はゆっくりと進行して腕も上がらず 歩く事も出来ません  
介護度は4 車椅子を使い奥様の献身的な介護で毎日を過ごされています
斉藤さんは進行性筋委縮症を発症してからも 20年会社を務めて 40代で会社を退職しました 
退職後は趣味である油絵を描き 美術展で入選するまでになりましたが、
自己満足ではなく人の役に立ちたいと の想いから八王子六つ星会で点訳ボランティアを始めること
になりました
この活動を通して現在ピアニストとしてとして活躍する全盲の梯剛之さんに出合いました   
全盲の梯さんに小学校の教科書や小説などの点訳を送り続けました
現在も点訳の活動を続けています
点訳が主なボランティア  車に乗っている時は健常者と同じに動く事ができる 
2Fに上がるのには簡易リフトがある  
進行性ではあるが大分遅い状況  握力が左3kg 右が7kgと 弱い 字を書くことはできる  
自力では起き上がれない
動かないと筋肉は委縮してゆくのでなるべく動くようにしている  
家のなかでの移動は自分で出来るので不自由はない
介護保険は使っていない(奥様の介護で)  進行性筋委縮症の治療法はない  
21歳の時に東大で3か月入院してようやく病名が判った
5人で尾瀬を泊りがけで旅行した  坂になると付いていけないので違和感を感じた 
帰ってきても疲れが抜けず病院にいろいろ言ったが駄目だった
会社に戻って 内視鏡の開発していたが 歩き方がおかしいと言われて東大に行った
病名は告げられたが治療法はなかった  歩けなくなり 立てなくなり 寝たきりになる 
眠れない日が続いた
歩けなくなったら会社は止めなければならないので これからどうしたらいいか 
人間一度は死ぬので やることだけやって 例え目標に届かなくても
やることやって駄目なら後悔しなくても済むんじゃないかと思うようになった  
動けるうちは働きたい  車を購入する(有り金20万円はたいて 免許も無かった)
ブレーキが効きにくい 足の力が無いので  ブレーキの改造を考える (ディーラーと相談して)  
試験場に持って行って運転する 半年掛かりで免許を取ることができる
会社にはそのまま勤めることができた  当時はまだ職場の周りは親切にしてくれた 
おぶってくれたりしてくれた人が多数いた  22年間務められた 
43歳で会社を辞めた  その後も内視鏡の修理、図面を書く等をやらせてくれた
車椅子生活になって何をするにも妻の助けが無いと何もできないことになった
趣味の中で油絵をやっていたので 不自由ではあるが絵を書いて行こうと思った  
時間が余り過ぎるので何か 人の役に立ちたいと思っていろいろ探した
指先が動く間は何かやっていけると思った  点訳の事をやっている人が近所に居たので 
聞いて 資料を集めて勉強を始めた
八王子六つ星会 普通は週2回 半年 初級と中級を受けなければならないのですが 
負担がかかるので協力して貰い初級は自分で勉強して中級を教えてもらった 
大変だったが半年でクリア出来た  点訳のボランティアを始める  易しい小学校の教科書から始める
全盲の子を持つ母親と知り合うことができた 
その子を応援しようと小学校の教科書作りを始めた
その子が中学に上がる頃は夢中になってやる様になった  
その子が ウイーンに留学することになり 「刑事コロンボ」を点訳して送った
その人は梯剛之(かけはし たけし) (世界的なピアニスト) 招待状を貰って涙が止まらなかった  
ウイーンから帰って一緒に食事をして移動できないのがかわいそうだと言われて人の心をよくわかる
人だなあと思った
教養とか、自分が話せることは点訳のお陰だと言われて嬉しかった
目的を持って目的に進んでいけば必ず何かが得られる  
目的に届かなくても努力したという事で後悔しないで済む そういうことが一番大事
点訳は続けている  今はパソコンがあるので力がなくても点字を出来る  
点図 触図 をやっている  携帯電話の点訳もやっている(図入りのもの)
最近は筆を持つと腕が上がらないのでパソコンのペイントを使って絵を描くのが面白い
パソコンが有り昔の点訳を考えると雲泥の差ですね  
パソコンを使いこなせるようになって世界が広がった 
夢を持つこと やりがいのある事を持つことは生きて行くうえで大切なんじゃないかと思う
NHK障害福祉賞貰う  其の応募作の最後の部分  現在介護度 5ですが 
かみさんは「貴方の世話は私がやる」といって 介護保険を絶対に使おうとはしません
もし神様が一度だけ歩かせてくれるなら妻を背負ってどこまでも走ってゆきたい
妻がいなければずっと前に施設に入って寝たきりになっていたのではないか
80歳を越して障害者となって60年になりますが 妻も75歳 腰痛で苦しんでいますが 
不便ではあるが決して不幸だと思ったことはないし 一生はまだまだ続くと思います
その間何があろうと何か目的を持って前を向いて生きてゆけば絶対道は開けると何時でも確信しています

2012年6月2日土曜日

小川真(菌類学者74歳)       ・森林再生への道

小川真(菌類学者74歳) 森林再生への道
森林のノーベル賞ユフロ学術賞(国際林業機関連合学術賞)日本人で初めて受賞  
土の中の微生物の権威として知られている
日本中の森林で松枯れ ならがれ等樹木の衰退が進んでいます 
日本でけでなく世界の森林の再生に係わり力を入れています 
自ら、「白砂青松再生の会」を作り 衰退した海岸林を再生しようとしています 
その強い味方が木の根っこ につく菌根菌と炭であると言われます  
今森林で何が起きているのか 再生への道はあるのか聞きました
子供の時に戦争中だった 舞鶴 畑仕事をしたり きのこを採ったり 雑草を母親に教えて
もらったりしていた  自然観察をする機会が何時も有った

京都大学の農学部生物学科に入る 浜田稔先生 蘭と菌の共生について研究していた 
先生から菌とマツタケについてやってみたらどうかと言われてこの道に入った 
菌根の研究  菌の根につく菌について研究する  
植物学、土の勉強 きのこ 等を勉強するようになった
菌類と植物が共生関係になるのが4億5000万年ぐらい前  シュルル紀 痩せた土の中で生きて
行こうとした時に助けたのがカビだった
カビが根について水だとか 栄養を吸収とするのを助けた 
 そのかびが助けたおかげで痩せた何もないところに植物が上陸することができた(化石に残っている)
きのこと樹木が仲良くなる時期がある 
1億5000万年前  松の仲間 楢の仲間が増えてくると
根の先をきのこの菌糸が包んで根を守って土の中に広がって
水だとか栄養を吸収するのを助けた きのこも菌根菌 カビときのこの仲間とがある  
きのこは大きな繁殖期間がある そして胞子を出して拡げる

菌類は他から栄養を貰って生きてゆく  寄生=他の者に取りついて生きてゆく  
腐生=腐った物に取りついて分解して生きる
共生=生きたものから直接栄養を貰って生きてゆく   3種類がある
植物は光合成によって糖類や炭水化物を根に送って 根から菌類はもらう 
土の中から水だとか水に溶けた栄養分を植物に送っている お互いに助け合っている
植物の90%はきのこだとか、かびを付けていて共生で生きている
農林省 土壌微生物研究室長を経て きのこ課長になって きのこ博士と言われる様になる
松林が当時は綺麗だったが段々と松が枯れてゆく マツタケが出なくなる  
何故だという事になり枯れる原因を調べ始めた

虫がついて枯らすというのが定説なのですが そのもっと前の原因を調べようとした 
虫を誘うような原因があるのではないかと言うのを調べ始めた
松枯れ なら枯れ 1900年代初めから起き始めた マダラカミキリが枝を噛んで身体に付けて
いる松の材線虫を松に産みつけて松の材線虫が繁殖して枯れてしまう
長年対策をやって来たのですが治りません  最近もう一つは虫がつかないのに木が衰弱してきて
枯れてしまう これが多くなってきている
衰弱して花が沢山咲いて松カサをたくさんつけて段々葉の色も悪くなって、枯れてゆく(衰弱死)  
2通りの枯れ方がある
どうも環境条件が悪くなっているのではないかと言われている 
 
もう一つは杉の事  杉の枯れ方を調べた 郊外に行くほど綺麗な杉が残っている
リング状になっている 大気汚染が原因らしいと思った 
大気汚染と汚染物質が土に落ちて土が痛んでくる  そうすると木が弱ってくる
弱ってくると花をたくさんつける  これは大変だと子孫を作ろうとする 木は悲鳴をあげている  
最近は色んな樹木が花を咲かせようとしている
日本だけの問題ではない ヨーロッパでも汚染が早く始まって木が枯れる現象が起きて 枯れる木は
枯れてしまい一段落しているようだ
いまひどいのはアラスカ モンゴルでも唐松が枯れてきている  文明が発展すると木が枯れるようだ    
熱帯雨林は伐採で減少が激しい
アラスカでは温暖化で乾燥して火災が多く発生している  もえるのも相当なもの   
世界の森林では 燃える 枯れる 切られる の3重苦でやられている

人間の文明と称しているものの結果 だという風に私は思っている  温暖化も人間の文明の影響
地球は大きいように見えても閉鎖系なので どこかを無理に動かすと次々に連鎖反応を起こして
変になってゆくという現象ですね
本来 木と言うものは二酸化炭素を酸素に変えてくれて 生物が生きてゆくうえで 
良い環境を作ってくれている訳ですね
木が減ってゆくと生き物が生きにくい地球になるわけですね  
地球と言うのは 物凄く大きな実験をやっている様な処があるんですね  
45億年前に生れて来てからずっと変遷してきた
木が無かった時代があり 石炭を掘り ガス、石油を掘ってきた
  
それらは生物の遺体ですから  石炭は植物 何億年もかかって出来たが 我々はあっという間に
掘り起して使ってしまった   かつて地球は二酸化炭素を固めて(石炭)埋めてしまった   
其れを人間が掘り出して燃やして二酸化炭素を排出している
今であったら 腐って無くなってしまったが、何故固まったか  これは私の仮説ですが 
地球にきのこがいなかったから、腐らせるきのこがいなかったからだと思っている
きのこには落ち葉を腐らせたり、木材を腐らせたり 腐成性きのこというものがある ものを腐らせる
そのきのこでないと木材を腐らせることができないんです   
かなり遅くなってきのこは地球上に出てきた  
腐った木を放っておくと二酸化炭素が出てきて二酸化炭素が増える   
大変な種類の生物が繁栄して循環系を形造るようになってきた

其れが最初から旨く行っていたのではない  危機的な状況を何とかしようとして、一生懸命に
成っているのが菌根菌ですね
木を植える時に菌根菌を使うと根が付きやすくて非常に成長が良くなってくる   
胞子を水に研いだものを苗の根に蒔いてやる そうすると根の先に菌糸がからみついて土の中に
広がる  吸収面積が増える
根が増えたのと同じような状態になるので 上がしっかり育ってくる    
色んな木で実験したが 松、ラワン、ユーカリでも1~2年で3倍の大きさになる
菌を付けると根の量がうんと増える  荒れ地に植える 今やっているのは中国のこうどう高原です  
オーストラリアの内陸の半砂漠地帯 とか非常に条件の厳しいところに植える
日本だと海岸の砂 砂丘だとか  そういうところだときのこの助っ人がいないと旨く行かない
世界中に指導に行っている 東南アジアからいろいろ  あちこちで研究する人も増えている

炭は面白い  植物が育つ時に何があったか(大昔の話)  植物が育って無くなる時には燃えるか 
腐るかです  燃えた時に消し炭ができる  其れに根がついてゆく 落ち葉にも付く
雨の前に火をつけて(燃え尽きると灰になってしまうので)雨で消し炭ができる 
その中に一番最初に入ってくるのが空中窒素固定菌というバクテリア(細菌)
空中に有る窒素を自分で固定して蓄える  炭は一杯細かな穴があいている
水を沢山吸いこむし 空気も持っている 窒素も有るし、植物の根も寄ってくる  
根がからみついてくる  菌根菌 根粒菌も炭が好きでそこに逃げ込んで来る
根が来る 菌がいる ドッキングしてより効率が高まる 非常に面白い現象 余り研究をやっていない 
炭と特定な微生物と言うのは非常に面白い   松の苗にしょうろを付ける時に炭が実によく効く  
しょうろも減っている

きのこは採れなくなってきている  汚染物質が土に溜まってくると菌もやられてくる  
少しずつ減ってきている  菌根をつくる菌が減っているのも衰弱の原因らしい
外国で木を植える活動をやっていた  やってみたら日本でもいろいろ問題があることに気が付いた  
もう一度日本でもやり直そうと言うので
海岸の松林が消えて来たので 何とか再生しようと思った  
日本海側は残っていたがここ10数年でどんどん枯れてきて昔綺麗であった処が枯れてきてしまった
出来るだけ早くやっておかなと行けないと思って取り組み始めた  
13府県ぐらいになる ボランティア団体と通じて苗作りから始まっている
宮崎海岸のひとつば海岸 九州にしの松原 天橋立 大規模に再生活動をやっている   
今の松林を大掃除して 落ち葉取り(痩せさせないため)する

松の仲間は違う 荒れ地、崖等に生えてくる 菌根菌も痩せたところが好き  
草が生えて灌木が繁ると松は消えてゆく(松が譲ってしまう)
初期の状態に止めてやることが大事(栄養の少ない状態にしてやる)  
陸前高田は7万本 あったが全滅してしまった       
江戸時代から戦前の松の木は 落ち葉拾いをしていた時代なので 根がしっかり下にむかうので
津波では枝、幹がやられて、若い木は根こそぎにたおれてしまった 
根が横に広がり(落ち葉拾いが無くなり水、栄養が地表近くに上がってしまい)
簡単に根こそぎにやられてしまう
最近になってようやく林野庁も掃除をする様にとの見解になってきた
ニセアカシアというものを植えたのもいけなかった マメ科の植物なのでよく育つと言われて一緒に
植えたが 却って窒素がたまりすぎて良くなかった

菌根菌と炭で森の再生に取り組んでいるが森の衰退を止められるか → 無理でしょう  
やれる面積などわずかなものであるし 痛んでいる処を再生するには
国家的なプロジェクトでやって貰わないと動きが取れない  
ボランティア活動では限界があると言っているが皆一生懸命にやりたいと言っている
世界中の荒れた処を見ると絶望的になる  人間が原因と言うのは明らか  有り難さを忘れてしまった 
現在あるところは可能な限りに守ろうと
修復できるところは修復しようと  森林に手を加えるとか木を植えると言うのは何のために
やるかですよね
木の為にやるのではないんですよね  我々人間の為にやる  
目的意識をはっきりさせて、意志統一してやれば少しずつでも前に動くのではないかと思う

我々生活そのものを見直すことを本気で考えないといけないんじゃないのかな  
エネルギー問題、環境問題 等みんな繋がってますのでね

地球の生物と言うのは人間がいなかったら平和なんですね 
6回絶滅の危機が有ったが地殻の変動とか 大陸移動があり気候が変動して起こっている
今度絶滅の危機があるとすると人間のせいになる  
地球上に現れた生物の中でこれくらいすさまじい破壊をやっているのはないですね
自分達の欲望を抑えて小さなことでも満足出来ると生活の規模を縮小してゆくよりしょうが無いでしょうね  
生き残ろうと思えば

2012年6月1日金曜日

川北良造(人間国宝・木工芸家) ・木の命を引き出す

川北良造(人間国宝・木工芸家) 木の命を引き出す
木材をろくろで回転させながら刃物でお椀やお盆等を削る「挽き物の技術」を学び平成6年
挽き物物作りとして初めて人間国宝に認定されました
木と向き合う事を無上の喜びとして作品作りに取り組んでいる川北さんに聞きました
石川県出身。(1934年9月1日 -) 木の挽き物の産地である山中町に生まれ、木工芸家である
父・川北浩一に師事
挽き物の技術者たちが山中の上流に良い木を求めて住んでいる  私で3代目 挽き物業に変えてきた
現在はモーターで削っているが、昔は動力源はロープを取りつけて交互に挽いてて回転させていた

母は蒔絵の仕事を希望していた 当時山中にデザインをならい木を習い2年間いたが、
父親の仕事が気になって仕方なく 矢張り木の仕事が自分にあっているのではないかと思った
姓名判断に親の仕事を継ぐのが良いとでていて母を説得して 父親の仕事を継ぐことになる
弟子入りの様な感じで7年近く修行をすることになる   職人では先ず数をこなすことが大事 
綺麗に 粗引きの仕事を1日500ぐらいこなす(お銚子の大きい物)事を職人さんが自慢していたので
早くやる様に目覚まし時計を持たされて秒針と競争する様に父親から言われ600、700 
と数をこなし1000個まで出来るようになった
父は口では何も言わなかった  一人前に成ってきて その日の一番旨く出来たものを上に
積んでおくと 一番上の物は見向きもしないで 中の物を抜き取って見ていた
出来が良くないと玄関先のコンクリートの上でポーンと それが親の指導でした
  
腹が立って来るよりも如何してそうなのかと其れを拾ってきてかんがえた 20歳前後の頃の話です
轆轤を挽くという難しさは? 特別難しいとは思わなかった 
親がいなくなった時に駒を引いていた(小学校の頃)
年輪の中心 芯があるので中心を外して作る訳ですが 、重心が違ってしまうので安定して廻らないので
中心がしっかりした木を見つけてきなさいと職人の人から言われて そうかと判った
慣れ親しんでいたので粗引きは容易にこなすことができた
山中の特色 細かい技術 加飾引きが40種類伝わっている   線すじ 、イナゴすじ 乱すじとか  
毛すじ   回転させながら如何してこんなものができるのかと思うようなものができる
川北さんは3mmの幅の中に20のすじを入れる  薄い刃物を自分で作って付けて行った 
1mmで8本のすじを付けるようになった

人間の手と言うものは凄いものができる 気持ちさえあれば 
引き物にあう木は  ケヤキ トチ ブナ みずな桜  大木 真っ直ぐな木が一番適切  
木が動く習性がある(乾燥しても乾燥度合 温度に反応する)
これらの木は一遍乾燥すると動かない    木の見極め ケヤキが一番大好き  
若木は使えない  ケヤキに2種類ある あおげやき やぶげやき と
あかげやき と  ほんけやき   前者はねばりけが有り たいへん丈夫で堅いがいつまでたっても
動きが収まらない 後者は素材として大変安定していて加工した後も狂いが生じない 
木の良しあしを判断する

善光寺に行ったときに1本だけ礎石にピタッと合っていないものがある 
たった1本だけやぶげやきが使われていた 1本だけ見落としが有ったのだなあと思った
生きている木も削れた木もちゃんとこういう木ですよと教えてくれる   
其れを人間が知ろうとするのか知らないか 良い木ですよと木は教えてくれる
常に木を見て木の動きを観察していて 収縮が少ないとか常に観察することにより 木の素状が判る
氷見晃堂先生にその後師事   全く動かない木もある   栃木県の神舟神社 
当時日本一という欅の木が伐採されて見に行った 大きすぎるぐらい大きかった
直径13尺5寸有った   根っこの部分を分けていただいて 粗引き 乾燥させて 仕上げてみたら 
今までケヤキをいろいろ手掛けたがこれは全く動かない
動くのが当たり前 年輪は粗いのだが仰天した  20年後にまた行ってみた 
 
そこは新たに木が植えてあって電信柱ぐらいの木になっていた
この場所 ケヤキに良い土壌  あたりの地形  ケヤキに一番適しているのだなあと思った
全世界に4万種あるそうだが 10%が日本に有り 国土に対して67% 木が生えている 
この様な国は日本一つしかない 
雪に恵まれていて 天は人間が必要とする全て木に与えて どんな分野のも使える木を我々に
与えてくれている
木の素状がどの方面にむくかは人間が探し出すことであって 木を扱っていると時々しじむ?(縮む)
までは簡単に言えない 天もちょっと言えない 神が存在しないと
こういうことは出来ないんじゃないかなあと時々思い当たることがありまして  
若い人達に時々言っているのですが 極北の地方とか 高原地帯にしらかんばが多くはえている  
極北の寒いところに人間がいる  何かの折に寒いところに行く  
 
暖をとりたい時に 凍りついて寒いところには中々暖をとるすべがない
しかししらかんばは皮がくるくると巻きつくように成っていてところどころめくりあがっていて刃が
無くても皮は剥がせられる    そしてマッチ一本で火を付けられる
どんなに寒い時でも少々雨が当っていようと付けられる  これは神の存在と云うものを思います  
どんなに寒いところでも人間は生きてゆけよと言う事で、自然はそういう事を与えてきてくれている
気持ちの中から畏敬の念が湧きあがってきて、その気持ちをずっと大切にしてきて 
作品を作って出していただければ木に対して少しは覚えることもできるという気持ちになるんです 
木に対して畏敬の念が自然と生じてきます  沢山の木が毎月でますけれどその木の素状を
知りたいです  
奈良の正倉院の器  本当に感動させられる  百万燈 5年8カ月で作った  
繊細で綺麗なものが当時如何して出来たのか 感動させられる
1000年以上昔の人達が良く出来たと思う  紙一重をおろそかにするなと言われた  
名品と言われるものは紙一重の素晴らしいデザインがなされている
現代の生活に即応した物に繋げてゆくというのが大事だと思う    
大自然が教えてくれる造形には人間はかないません
其れをどれだけ自分として会得出来るかは、その人その人の作品に表れてくるもので 
其れが一番大切だと思います

自然はいろんなものを直線以外は 膨大なものを自然は我々に見せてくれているんですけれども 
其れを真剣な目で見れるかどうかなんですけれども大概見過ごしてしまう
しかし自然はものの形デザイン 全部教えてくれる  其れにはつくづく感動します
自然破壊 環境悪化については→大聖寺川の上流 山の入り口にちっちゃな橋が掛っている  
雪解けで増水すると直ぐ橋が流されてしまう 
橋が掛っている場所の両岸にに4本のけやきを植えて 其れを橋脚にした  
礎石が流されることも無い 大きくなると益々頑丈になる  
200年以上たっているその雄姿を見ると感動する
その光景が大好きで良く見にゆく

私は何種類かの木しか知りません  しかし天が与えてくれた国土に木を扱わして頂ける仕事に
ついているのであれば もう遅まきですが 一本でも木の性質を知って
その木はどういうところに使われたい どういうところに使ってくださいと木は待っている  
其れをちゃんと読みとって生かさせてあげたいという気持ちが今大変強く今から若い人達にも話しています
木はどんな分野にもちゃんと天は用意しています  
もっともっと木の性質を知ってちゃんとそれを生かして
使っていけたらいいなあと思います