2012年4月16日月曜日

アーサー・ビナード(詩人・絵本作家) ・大好き日本 風景はいつも新世界


アーサー・ビナード(詩人・絵本作家)     大好き日本 風景はいつも新世界
1967年ミシガン州の生まれ 大学で英米文学を研究しながらイタリア語、タミル語も学んで、日本語の多様性に好奇心を持ちます
22歳の時に来日して詩人となる 2001年に詩集「つりあげて」は中原中也賞を受賞 「日本絵本書」 山本健吉文学賞を受賞するなど様ざまな作品を表している
日本への関心はどのようにして? →詩が書きたくて新聞配達しながら書いていた 
大学に入って英米文学を専攻して、イタリア語に興味を覚えてイタリアに渡った
卒業するのに単位を一生懸命かき集めた 先生からタミル語をやってみないかと言われた 
アルファベットとは全然違う文字の面白さに目覚めて、
違う文字を使うと世界がもっと違って見えると言う事に気付いた 

卒論を書こうとして 本を読みあさっていた時に日本の文字 中国の文字 漢字について  
出合って タミル語も習って、思考回路も柔らかくなっていた状態だったので 漢字がピンときて 「これだ これをやんなきゃあと思って」 
タミル語は200文字 漢字は無限の多様性があって しかも意味をはらんでいる文字が生き物のような存在だと思って、生きた詩が、生きた文学が作れたらなあと思って それで日本語か中国語を どっちにしようかと思って 卒論を書く合い間合い間に調べて、日本語の方が面白そうだと思った  
日本語の授業に潜り込んで勉強した

日本文化とか余り考えずに日本語を勉強した 
卒業の日には既に日本に来ていた (卒業証書は郵送してもらった)
文字の面白さは思ってた以上に豊かな世界が在って、いまも毎日驚くような素晴らしい言葉があって、いまも毎日覚えるんですよね
私が予想していなかった部分もあって 例えば擬音語 擬態語 の凄さ 音の表現の豊かさに吃驚した  雨の表現 ザーザー  ドシャドシャ いくらでもある
めそめそ泣く さめざめと泣く  げらげら笑う くすくす笑う 
笑い方も一杯在って (英語もあるにはあるが日本語の方がその何倍もある)
日本語と毎日毎日楽しく、時には苦しく格闘している   
池袋に住みついたが 日本語学校でも習ったが商店の店で沢山教えてもらった(買い物通して)
「柿」「牡蠣」 発音が難しい  パーシモン   カッキ(柿)はイタリアでは知っていた(渋柿を熟した柔らかいもの)  静岡の次郎柿 これも柿だと言われて吃驚した
イタリア語のカッキは日本語の「柿」が渡って行ったものだそうだ  
猿蟹合戦 とかにも出てくる 掘り下げてゆくと色んな物に繋がっている
日本に来てイタリア語とのつながり、英語とのつながり 判らないことが結局面白い 
少年時代は好奇心旺盛で 魚、昆虫 好きだった  
昆虫少年が漢字に興味を持つと言う事はいま思えば 自然な流れだなあと思います
昆虫が好きな人は 一概には言えないかも知れないが、多様性が好きな 沢山バラエティーに富んだ どう頑張ってもは把握出来ないぐらいの多様性の有る世界、が好きな 圧倒されるバラエティー と圧倒される生命の多さに直面すると「うわー 面白い」と思って飛び込む人が昆虫少年に成るのかな
 
漢字もそうなんですよね  何千文字 何万文字とか とっても覚えきれない  
私は漢字を全部知ってますと言う人は一人もいない
でもそれが面白くて 昆虫と触れ合って昆虫の世界を冒険することと、どっか繋がっている様な気がする
詩人になろうと思ったら観察が命なんですけれども、観察したうえでなにが作りだせるか 
そういう時に私の場合は疑問符 なんだろう?という好奇心
疑問の様なものが原動力となって それを自分の好奇心に引っ張られて 引き込まれて 探ってゆく
観察して何かがみつかったら それが詩の出発点になるような
「まめ」 と言う詩  ジャックと豆の木を題材にしている 日本で知っている物語と英語の物語   イギリスの昔話  見事に訳した 「木」としたのが凄いと思った

日本のジャックと豆の木を聞いて新しい別の物語に感じた  
子供の頃聞かされた物語とは違う風に感じた 
大豆ではないかと思って 新しい作品になる
「ジャックが手に入れた魔法の豆は ジャックの庭に蒔かれてにょきにょき ぐんぐん 一晩で摩天楼より高く成ったそうな 高いところが得意じゃない
僕だけれど もし魔法の豆が手に入ったら 魔法の豆腐を作ってみたいと思う  
きっと巨大な入道雲のような 世界中の人がほうばっても 食べきれないぐらいの、豆腐の一丁が出来上がるだろう  
それとも納豆を作ってみようか 世界をねばねばねばっと 一回り 世界を繋ぐ素晴らしい糸をつくるだろう」
 
英訳するときに納豆が弱くなる(豆腐は米国でも認知 納豆は? 最後のところが弱くなってしまう 補うのが難しい  説明すると詩にならない  ネットワーク(ナットウワーク)
詩とは?→生活と詩は結びついていて 生活そのものが詩になるかと言うと ある瞬間が詩になる     詩があるところで生活の本質を捉える 
単純に生活が詩になるわけではないのですが、生活を抜きにした詩だと私の場合は読者に手渡す必要が無いのではないかと思う
生活の本質を発見する手段かもしれない 

他の生き物と繋がっていると言う事を実感できるかどうか 大事だと思います 
日本語の言葉のレンズの作用 団子虫  恰幅のいい虫  英語ではそういうイメージには成らない 
「ばなな」 詩
「屋上でバナナを食べた  半分ずつ 遠い南国の事 搾取の事 農薬 死んでゆく愛の事 一つも考えないで かすんだ町 見下ろしながら バナナをほうばった」
一本のバナナの裏には遠い国の経済問題 労働問題 農業の問題 農薬の問題 いろいろな問題がある  そういうことを考えると詩になってゆくか、論文になるかも知れない 
或は行動に結びついて 農薬を使わないバナナはつくれないのか  
一本のバナナから世界中の色んな分野が繋がって 人と人が実はそのバナナを 通して 或は私達が着ている洋服を通して 色んなつながりがあるのですが この詩をつくった時には具体的には核の問題 放射能の問題に触れてはいないのですが、それも全てに係わっているんですよね 
いまの日本を考えるときに 太平洋がどういう影響を受けているか 日本里山 森の生き物はどうなっているのか  
繋がっている命が生きていけるか これから書くものに全て影響してくると思います  
文学者としてこれからの事を考えなければ文学は作れない 古くならないのが文学 自分が死んだ後にも読んで新たな発見があると言う風にしなければいけない
これから生まれてくる子供達の事を考えなければそれは文学じゃないと思う

2012年4月15日日曜日

門倉タニア(料理研究家)        ・祖父から学んだドイツ流生活の極意

 門倉タニア(料理研究家)      祖父から学んだドイツ流生活の極意  
フランス料理とドイツの料理を教室を開いている門倉さんは日本人の父とドイツ人の母との間に生まれました 
2歳の時に 家庭の事情でドイツの祖父母のところで生活することになり 6歳の時、高校生の時にそれぞれ1年間ドイツで過ごします
幼い門倉さんを世話をし愛しながらも、厳しくしつけたのは祖父でした 
その後 日本の大学を卒業して外資系会社に就職して結婚 アメリカ、イギリス、香港などでも
暮らしてきましたが、生活習慣、物の考え方の基本にはつねに幼いころからドイツの祖父から教え込まれた生き方があったと言われます
祖父の生きかたからくみ取ったドイツ流の生活術をお聞きします
祖父は現在90歳になった ドイツでは自分が友人、家族に対して招待状など書いて、呼んで祝う(日本とは逆)

2歳の時に1年間親元を離れて祖父が45歳の時に心臓発作でリハビり中に一緒に過ごした
優しいところもあるが、厳しかった  
整理整頓と規律正しい事が基本だと常に言われていた  
6歳の時にも1年凄く影響を受けた 
規則正しい生活 洗面所の使う時間も順番が決まっていた スムーズに一日が過ごせる  
祖父は探し物をしない 自分で管理する 繰り返しのリズムができれば寝る事も一定時間に寝られる
諺「人生の半分は整理整頓」  探し物をしていると何時もこういう風に言われた 
 ドイツは日曜日は営業禁止 パン屋、花屋以外はやっていない
キリスト教国なのでこの様にやっている 
「寝ごこちは自分が整えたベッド次第」 責任は自分で持つ

「始めなければ終わりは来ない」  
祖父は1923年生まれ ベルリンから北に50kmぐらいの処 終戦時イタリアにいたが歩いてドイツに帰ってきた
鉄鋼が盛んに成り鉄鋼所で仕事をした 
年間6週間は休暇を取れる スペインにリゾートマンションを購入し余暇を楽しむ
母は航空会社に勤めていて、伝統的な日本を見たいと思って日本に旅行に来た 
日本語が通じないし お金も無くなってしまった為に 自分が勤める英国航空に行けば
何とか助けてもらえると思い、その会社に行ったら父がそこに努めておりそこで知り合って、結婚した
私は大學を卒業して外資系の証券会社に就職をしてそこで主人と知り合って結婚した
引越しの多い生活だった(アメリカ、東京、関西とか) 
父は鹿児島出身 神道 男尊女卑  母はプロテスタント 日本であるからこそ可能 先祖を大事にして感謝をして、どの宗教でも変わらないと思うので 本当に日本のいいところだと思う  
家庭の共通語は英語にしようとなった  
祖父母とはドイツ語 父はドイツ語ができない 
ロンドンにいた時にフランス料理を習いに行った  
日本に帰ってきてから友人が教えてほしいとの要望があり、徐々に教えるようになる

NHKのドイツ料理コーナーとかも担当するようになる  ドイツ料理はこだわり過ぎてはいけない 質素である
余りファッションとかも余り注目しない  プロテスタント的な考えがあるのでじみかもしれない
祖父は今は一人暮らし 祖母は14年前に亡くなった  
みすぼらしい生活はしたくないとガールフレンドを見つけて付き合っている 
一時間ぐらいのところに住んでいるので、そこに車で出かける  
毎日毎日規則正しく車の運転をしている  
日本では伴侶が亡くなると内に閉じこもってしまいがちだが いいことだと思う 
彼女と喋っていると生き生きとしている  
人間も自然の一部だという考えがある    
自立する(流されない考え方) 質素 規律正しく 整理整頓      祖父は人生の先生 

2012年4月14日土曜日

辰野勇(冒険家64歳)       ・山が教えてくれた生きる力

 辰野勇(冒険家64歳)       山が教えてくれた生きる力  
22年大阪生まれ 21歳の時にスイスの名峯 アイガー北壁を日本で2番目 当時最年少で登頂成功しました
続けてマッターホルン北壁も登頂  カヤックでコロラド川グランドキャニオンを日本人で初め走破する 
28歳の時に自分達が欲しかった道具を作ろうと創業した
アウトドアメーカー モンベルは日本だけでなく世界トップクライマーにも愛用される企業に成長しました
17年前阪神淡路大震災の時にはアウトドア義援隊を組織して支援物資等全国から集めて被災地に届けました
東日本大震災の時には今までの経験やネットワークを生かして多くのボランティアの人達と連携して全国から届いた支援物資を小さな避難所までその時々のニーズに合わして配り続けました     
ロックガーデン 懐かしい (高校時代利用した岩場)  小学校の頃は身体が弱かった 
金剛山に雪中登山に小学校高学年に行く行事が有ったが身体が弱気
ドクターストップがかかってしまった  中学になると金剛山に登る様になった  
大阪府では一番高い山 1125m  高校1年生の時の国語の教科書にアイガー北壁
に登頂する場面が書かれておりそれに憧れた  (「白い雲」)  
皆が登ろうとして登れかった山に登ったのが凄い あわや遭難と言う場面がある
この本一冊に出会って人生を決めた 家に帰って貯金箱をつくった 旅行費用を貯めようと  山の道具の専門店もやろうと、一人でロープを使って落ちても大丈夫なようにいろいろ考えた 
高校時代は一人で山登りをした 同級生に同様に山が好きな人がいてどこでも一緒に登れた 
 
アイガー登りたいのだけれどどうだと打ち明ける 彼は吃驚したがそのきになって準備をし始めた 1969年6月にソビエトの貨客船に乗ってナホトカに行ってシベリア鉄道でスイスまで行った 
下から見ると短く見える   
前の晩はあまり眠れなかった 
岩に手を触れた瞬間に 無になってひたすらに足場を探して一歩一歩登ってゆくしかない
自分の手足が届く世界が自分の世界  その単なる連続だけ   雪崩にあう  
中谷がちょうど雪崩が多く発生するところに居る時に発生した 
頭を手を隠せという 15m離れたところに居る  2人を繋いでいるロープに石が当たり 5mmぐらいしか残らないで切れる寸前だった

何とか助かった 頂上に立ったら(帰りには暖かいところでおいしいものでも食べて帰ろうと言い合っていたが) 雲海のかなたにマッターホルンが見えて「次はあれやな」と マッタホルンの北壁も登って帰ってきた  登った途端に今までの事は消去 後ろを振り返らない  
冒険を実行する原動力は好奇心 決断力  雨が降れば天気が悪くなる 危険だ 登るのか引き返すのか 瞬時に判断しなければならない
失敗という概念は無い  不都合と考える 成就しないと言う事を失敗と考えないで不都合と考えれば そこを介してどうしたらそこにアプローチ出来るかどうかという事を考え続け行動し続けることができる  例えば岸壁に咲いたユリの花 それを欲しいと思った時に 足が先ず一本前に出ている     歩きながら考えている  

どうやったらあの花が手に入るのかなあと 思考の深い人はちょっと待てよあそこには川があるし 橋も無いし、渡れたとしても 岸壁があるし やめておこうと止める
私は川を渡るために丸太を探したり、無かったら下流に向かって歩いてゆき、浅瀬を見つけて、浅瀬に行って川を渡る 
向かっている方向は違うかも知れないが、花を欲しいと言う意志の方向は変わってはいない 
人が建物の中に居て囲われた生活空間がそこには暗然と快適さがある 
外に出てくればぽかぽか温かいし風が吹けば寒いし なにも無い状況に放り出されたときに 求められるのは知恵と勇気と優しさ  気使う心 人間一人では生きてはいけないので 何か手を携え会うとか あるべき姿が共有されて来る
 
阪神淡路大震災   当時建物はことごとく壊れていた 
知り合いが沢山住んでいたので4輪駆動の車に水と食べ物を出来るだけ積んで現地に行った 亡くなられた友人のお母さんをトラックに乗せて遺体の安置場に行ったが一杯で4から5か所探してが無くてようやく探した そこは遺体にかける毛布も無く、寝袋を利用すればいいのかなと思って会社に電話したら2000個の寝袋があると言う事で2000個を確保した  
生きている人が瓦礫を集めて暖を取っている姿を見て、ご遺体には申し訳ないが生きている人達に寝袋は利用してもらおうと思った      テント500張りも提供する  
数が足りない 一社だけの力ではどうしようもないと思い 義援隊として 声を掛けて 人、物 、金についての援助要請 200社に送った
 
5分後には返事が来るところもあり 鳥肌が立つ思いがあった 
普段はライバルの会社が支援に対応してくれて非常に感激した
係わってくれた人達の思い アウトドアの人達は何かしなくてはいけないと言う気持ちがあったと思う
これほど大きな災害があることは経験したことが無い  義務ではないかと思った
東日本大震災   当日TVで見てこれは大変だと思った 
経験があったので今回も何とか手伝いができないかと考えた
仙台に3店舗在って仙台港の店は津波にあって3km走ったとのことで 従業員は助かった
店はまったく使えない状態 もう一軒は建物は使える状況でそこを拠点にしようとした
とりあえず現地に行けば何が必要か見えてくる  テントが必要かとか食糧が必要かとか 現地に入ったらそういうレベルの話ではない
 
規模が全然違う  アウトドア義援隊は衣食住を自分達で全て賄える 
ボランティアで援助に行く人はそれが自身で出来る事が最低条件だと思う
ボランティアに行く人が宿泊はどうすればいいのかとか食事はどうすればいいかとか 周りに助けてもらいようでは論外 次元が低く過ぎる
パーフォマンス、売名行為だとかいう人がいるが そうじゃなくてまず困っている人が居たら飛び出してゆく  それぞれができる事をやってゆけばいい
今回は規模が大きすぎるので一社二社ではどう仕様も無い 
まだまだこれから 我々がやったのはほんのわずかなことなので もう一回振りだしからやってゆく これからが大変
復興住宅を建てる計画をしている 家の規模は小さいが 福島から疎開させたい子供達 母子家庭を優先して入って貰う
いずれ自然学校を建てたい アウトドアを通じて危機管理、リスクマネージメントとか有事の際に生きる力を持て得る様な事を子供達に教育したい

2012年4月13日金曜日

鷲谷いづみ(東京大学教授)    ・里山に学ぶ自然との共生

鷲谷いづみ(東京大学教授)  ・里山に学ぶ自然との共生
78年、東京大学大学院理学系研究科修了。筑波大学講師、助教授を経て、東京大学教授(大学院農学生命科学研究科)。
生態学・保全生態学(植物の生活史の進化、植物と昆虫の生物間相互作用、生物多様性保全および生態系修復のための生態学的研究など)。  
1950年生まれ 保全生態学 生物多様性に関する幅広い研究を行っている  
地球サミットがリオデジャネイロで開催されてから20年 国連持続可能な開発会議が再びリオデジャネイロで開催される  
20年間で人口は70億人を超えて森林は減少し CO2排出量は増え続けています
 
いま地球上では1年間で7万種の生物が絶滅していると言われます  
里山でのフィールドにして生物多様性の研究をしています
かつての里山は絶滅危惧種が増えていると言う厳しい現実があります  
自然との新たなシステムを作ってゆくことが出来れば新しい人間の未来が開けると期待している 桜草の研究をしている  
かつては馬、牛を放牧している土地とか草を刈る処 田んぼの畦などにもみられる花だった、が今は特定な処でないと見られない
様々な開発で失われた  
人が刈り入れをやらなかったり人の手が入らなくなった所でも減ってきている

20年間の地球の変化 気候変動枠組み条約 生物多様性対策枠組条約 二つの取り決めを行ったが  環境劣化が著しい
40万種~絶滅していると主張する人もいる  
かつての絶滅種を把握することから絶滅速度を見積もると1000倍ぐらいになっていると予想される
今の様な人間活動が続いて行くと現時点から更に10倍の絶滅速度になると考えられている  そう遠くない時代に地球の生命の半分は亡くなってしまうと言うことが指摘されている   
坐して見逃すことはできない 人間に対しても地球の生物に対しても環境劣化を起こしている  
多様な生物が地球に生息していることがいろいろ人間にとってみても恩恵を受けている   
生物は40億年 の歴史を持っていて 全ての生物の祖先はちいさな泡みたいな生物だったが 大きな木から草から動物も大きな動物から小さな動物、微生物まで みられるが40億年と言う様々な地球の環境で 進化し 又動物同士の関係も食べる、
食べられるの関係を旨くやってゆく為に進化したり 共生 マルハナバチと桜草の花の関係 花粉が付きやすい様な花の形状をしている  
係わり合う生き物同士の関係が 進化によって形状とか花が咲く時期とか 行動とか 工夫に満ちている 

人間が技術として利用できるような事が沢山ある  
新幹線にも生物に習う技術がいろいろ使われている
先頭がカワセミの様な形 トンネルに入る時空気の抵抗で大きな騒音がするが カワセミは水辺の枝などに止まっていて 魚の影を見つけると水に飛び込んで魚を取るので空気中から一瞬に移動するので抵抗を少なくなるようにしている  それを利用している  
騒音対策としてパンタグラフのところにフクロウの毛の細かい構造を真似て使われていて フクロウと言うのは音も無く林の中を飛び回って ネズミ等の小動物を見つけると 捉える 
音があると捕まえる事ができないので、多様な生き物がいる事によって今後も何か課題がある時に生物に学んで対応することができる
 
薬などにして色んな生物を利用してきたし 現在の様に科学が発達しても まだ日々草にしてもそれからがんの薬を取るとか利用してますし 将来新しい病気が発生しても、その時に生物を利用するかも知れない   
色んな役に立つはずの生物からなっている生物多様性というものを将来の世代の暮らし 幸福な人生を送れるかと言うことに対しても重要な問題だと思います     
先ほどの条約の中で生物多様性と言うのは生命に見られるあらゆる 多様性と言うか、この生物とこの生物は違うと言う 違いのすべてを表すのが、生物多様性と定義しているが  私達が認識できないほど多様な生き物がいて、その一つ一つが私達に利用できると言うだけではなくて それらの生物が連携しながら 生態系の働きを生み出す 
その生態系の働きも私達の生活、産業に無くては成らないものであると言う事も生物多様性と言う言葉とともに良く認識しておかねばならないことだと思います

 里山 日本の原風景  田んぼ 雑木林 草原 多様な要素からなる環境 生物多様性の高い環境になる 植物資源の管理から作りだされる環境、手をいれずなにもしないと日本では全体が森になってしまう 暗い環境になってしまう 
人が農業したり必要な植物資源を確保しようと草原や広葉樹林等を管理するようになると、明るい安定した環境が維持される様になってくる  
原生的な森林だけよりも両方を組み合わせると多様な生物の場が保証される様になる   
生物多様性の高い場所と言う事で人の営みや生産が成り立ちながら生物多様性の高いと言うところが現代的な意義が大きいと思うんですね

地球も人口が増えてきており、これからも増えてゆく そのための食糧、燃料を生産しなければならない場がなければならない 
里山と言うのは日本の農業生態系の伝統的な土地利用のやり方ですけれども 将来を考える上でも様々な示唆を与えてくれる場だと思っています 
里山も危機を迎えている  生態系自体が開発などで無くなって仕舞ったり、人が手を加え無くなってやぶになってしまったりして 里山の環境を特徴付けていた
田んぼも私達の主食を生産する場であったと共に多様な生き物が生きる事ができる場だったんですが、農業の方法も変わって そういうところも生き物が住む、影の薄い場所になってきてしまい そういう変化が同時に起こってきてしまい 普通の生き物が絶滅危惧種になってきてしまいレッドリストにあげられるようになってしまった
 
秋の七草 ススキ以外は絶滅危惧種になってきてしまった  
田んぼの関係では めだか、蛙 トンボ (赤とんぼが急に少なくなった 農薬) 
近代的で効率が良くなったがちょっと考えてくれると少なくは成らなかったかも知れない、かつて普通に見られた動植物が著しく減少したり 絶滅を心配しなければ行けないような状況になっているんですが、ただ生物の多様性を保全したり取り戻そうとする運動が活発に成ってきた  
日本の里山 取り戻して行こうという取り組み 兵庫県 コウノトリ 農業生態系を代表するような鳥だったんですが 農業のやり方が変わり 又餌も無くなったんで巣をつくる松も無くなったり 絶滅してしまったんですが シベリア等一つの集団と見る事ができるので譲り受けて繁殖に成功してそれを野生復帰をした
 
餌を取ることができるように 農薬を控える 餌になる蛙を旨く生育するとかコウノトリのえさになる環境を整えて野生に戻ったコウノトリが自分で餌をとれるように出来る餌の場所を確保したり、繁殖も野生で繁殖をして今 40羽ぐらいのコウノトリが生活できるようになったんですが、そこから日本中にコウノトリが様子を見に行っている   
(住める場所を求めて) 110ヶ所ぐらいを観察しているが(33都道府県) 
それに答えようとしている地域も出てきている
コウノトリを受け入れるために農業も工夫したりしているところも出てきている
北海道 南部の街 生物多様性の戦略を考える   
黒松内町 ぶなの北限に近い町 昔からブナ林を大切にしてきた町
最近は生物多様性全体に目を向けるようになって ブナ林を大切にして、そこに生きる生物の場所を保証するだけではなくて しぶと川という良い環境を残している

川があるが 川にも目を向けて他の地域では無くしてしまった様な魚だとか貝とかをしっかり保全したり そういう生物多様性が豊かな町であると言う事を これから町の経済発展や地域作りにも役に立てようと頑張っている地域もあります  
町が計画して私達がお手伝いする様な形を取っている
宮城県大崎市 株栗沼があるが 真雁 越冬に日本にやってくる 東北地方が多い 殆どが株栗沼に何万羽が来る 狭い沼であるので込み合う
それを分散させようと田んぼに水を張って取り組む  
可なりうまくいって寝ぐらにするようになって、糞も落とすので肥料になる  
水を張っておくと田んぼの中で糸ミミズが活動して土がとろとろになりとろとろ層ができて それがあると雑草の種が潜ってしまって発芽できないとか 肥料を蒔くとその効果より一層あるとか 今他の地域にも広がりつつある  持ちつ持たれつの関係がある 
 
人間中心のやり方は短期的にはいいのかもしれないが長期的に考えるとそういうやり方は長続きはしないと言う事が判って来て 人間の為なんだけれども、短期的に見て人間中心になり過ぎないやり方として他の生物とか自然環境全体等に目を向けると言う重要性が世界全体で共有されるようになってきましたので、生物多様性条約と言うのもありますし、最近条約の取り組みの節目になるような重要な会議 生物多様性会議が2010年に開催された  
日本の提案も多数採択された  世界目標にも成っている

市民の参画、力が必要  先ほどの取り組みの例は世界に誇れるものだと思う
今の子供達は今までの世代とは違って自然に接する機会が非常に少なくなってきてしまっている是非 地域の自然 生き物に触れる機会を十分に保障する様な機会、教育が欲しいと思います
自然環境を大切にすることは非常に大事だと思う  新しい政策を決めて実践を始めたところもあるし大きな励ましにもなるし他の地域にも広がってほしい  
持続可能な地域はどういうものなのか 生物多様性の視点から見て行ってみたいと思います

2012年4月12日木曜日

大樋長佐衛門(陶芸家84歳)    ・陶芸の道に今昔無し

大樋長佐衛門(陶芸家84歳)     陶芸の道に今昔無し  
十代 大樋 長左衛門(おおひ ちょうざえもん、1927年(昭和2年)10月28日 - )は石川県出身の大樋焼の陶芸家
昭和2年生まれ 金沢で江戸時代から350年続くおおひ焼きの10代目です  
伝統ある陶芸家として楽焼等茶器を焼いている
日展にも出品して意欲的な活動をしてきました  
現在日展顧問 芸術院会員で 去年秋には文化勲章を受けました 
又金沢学院大学の副学長として教育にも携わっている
焼き物に携わって60年

「工芸は人々の為に」と震災後1カ月後に展覧会を開催  
自分の仕事を社会に活かす これしかないと思った
大樋焼き 前田綱紀 5代目が頑張って文化政策 工芸技術産業に切り替えた 
庶民とのコミュニケーションの場と言うのはお茶と能なんですね
加賀は加賀友禅だとか加賀象嵌だとか加賀が付く工芸が多い  財力があって趣味が広がった
楽焼 温度が低い 1000度前後で焼く  焼き物文化は中国朝鮮半島から来た   
それを利休が長次郎と一緒に発案したもの  手技のもの 
沸騰したものを入れるので楽茶碗は手で持てる  田土を使って練る  
レンコンを作っている田んぼの土を使った 
あめ色がほとんど80%程度が特徴  色に安心感がる  現代的な作品作りにも取り込む  
点てやすく、飲みやすいもの 年齢的に時代的にマッチしたのでそういう動きになった
父の頃は新しい、新鮮と言う事は無かった デザイン形はお粗末だった 
私達の時代になって学校の方針もデザインとかを教育に取り入れるようになった
1984年 代表的な作品 「そばだつ」 (花見縞飾り壺)つくる 60cm 
発想のヒントは ヨーロッパに塔 雲を突き破って高くそびえる塔を見た

世の中は丸 三角 角で出来ている と理論統一した人がいた(前衛的な画家たち) 
 バッハス?  造形は現代造営 伝統と新しいものが混在
彫金の方に入ってよかったと思う  
焼き物は昔風  工芸とは 意匠化する  
伝統とは 時代時代の鏡 色  時代の推移によって替わる  
手でつくるものは時代永劫続く  
黒 昔は黒 今は青い黒 茶色い黒とか見るようになってきている
物を作ったりする上で迷いが無かったら今ではない 創意創作 人のつくらないものをつくる 
新しい素材の導入とか 今は新しい素材を導入する必要があると思う

昭和初期から戦後にかけてどんどん変わっていった 
変わらなければ如何という意識を持たないといけないと思う 
一輪さし  鶴首 これは自分が作った鶴首だと,よっぽど考えて作らないといけない 
そうでないと作家は駄目になる  
茶碗はいろいろある そう解釈しないと,今後異質なもので作っていきたい 
焼き物は別の面白さがある 
作家で好きなのは武者小路実篤  小説家でありながら字の良さ 絵の良さ  
何でかと言うと、言うのはちょっと難しいけれども 絵描きのプロよりも好きなことは事実です  
情緒性がある  日本には四季がある 
繰り返しがあるのは民族の歴史,春夏秋冬は芸術とか俳句、和歌とか 情緒性がある     
元気で長生きしたい 仕事がしたい 作りたい物がある 

光悦は 芸術家   
「陶道無今昔」  人間の歩みとして繋がってきている 
昔はなにが立派かと言う事も評価しなくてはいけない 
自分の我によってそれを見定めると言う事が無かったら仕事ができない   
作ると言う事は自分に入れた技術を全部蹴飛ばしてどうしたらいいかと作るしかない  
学生には本を読むのも大変なので図録を見て確かめて旅をして本物を見るように言っている  何としても進むしかない

2012年4月11日水曜日

樋口広芳(野鳥研究家)       ・人慣れ雀は何故登場したのか

樋口広芳(野鳥研究家)         人慣れ雀は何故登場したのか  
東京・上野 不忍池近くで主に餌をあげると手のひらに乗ってくる   
横浜が最初に見られた1980年代~   数年前から東京でも見られる様に成る
その頃からほぼ一斉に全国で始まる   
退職された方々がベンチで鳥に餌をやる光景がみられる 団塊の世代が退職
雀は鳥の中でも人には懐かない代表的な鳥と言われていた 
雀は米を食べる害鳥と言われていた 人に追い払われる存在

1970年代からヨーロッパでは雀は人に対して警戒心が無く手に乗ったりする光景が見られた
大都会が中心で限定的ではある   社会現象の一環(熟年層が餌をやる)
人がいなくなると雀も居なくなる(長野の過疎地 三宅島の噴火後) 
人の生活に密着している      雀は人の何に頼っていてくっ付いているのか判らない
雀は雑食系の鳥  人と共生する必要がないのだが  建物の隙間に巣をつくることが多い (安全)  他の鳥に比べ複雑な形状の巣をつくる(ドーム型)
雀は機敏性がある  
道路にきて餌を取り自転車が着たりするとさっと逃げる光景とか ,地上では両足で飛び跳ねて(ホッピング、英: hopping)素早く移動する
飛翔は直線的であるが、急に飛ぶ方向を変えたりすることもできる  
きちんとした縄張りはない  ヨーロッパは家雀    雀は減少傾向に有る 
家の構造が変わって来て巣を作りにくい構造になってきている

ヨーロッパは急に減少してきている   雀は典型的な留鳥 子供は他の地域に分散する 
渡り鳥は食べ物が特殊なものを食べるので食べ物を求めて渡る  
野生の生き物との共生を如何してゆくのか  
海猫 東北地方から北海道の岩場に主に棲息する  
2000年に入って来てから6月、7月に不忍池に来るようになった
ビルの屋上に巣があると予想した  
使っていなかったビルの屋上に巣があった(人がいないビル)  
安全で近くにえさ場があれば巣をつくる条件とはなる
動物園に餌を求めて海猫がいる(そう多くはない数だが)  20から30の巣がある 

100羽はいる 近くのえさ場を求めてどこかに行っているのではないかと思っている
最初のきっかけは 動物園で飼育されていた海猫(傷病鳥)が元気に成って放した  
それがいついて繁殖したと言う記録はある 
今は可なり纏まった数で繁殖している  
上野のビルの屋上で繁殖するのは世界でも初めて   
他の鳥の巣を襲って卵を取ってしまったりすることが懸念される

2012年4月10日火曜日

加賀乙彦(作家82歳)        ・希望ある未来を望み見るために 2

加賀乙彦(作家82歳) 希望ある未来を望み見るために
「宣告」 正田昭をモデルにして 大阪生まれだが東京生まれにして登場する 昭和4年4月19日  
私は同年同月22日生まれ 3日しか違わない
彼が処刑されていなくなってから 彼が書いた物が一杯有ったものだからそれを通じて 
彼を生きた人間として小説に出来ないかなあと思った
1979年1月に完成した 正田昭のことは自分なりに描き上げたと思ったので 筆一本で行こうと
大學を止めた
送ってきた手紙、Nさんへの手紙、日記 全部違う  宣告で言いたかったこと 何人かの死刑囚を
モデルに書いたが、見た事が無いような人物は絶対に書かない
実際に知り合って相手を知っていないとモデルに使えない
  
私の文学的想像力の限界かもしれないけど 途轍もない人間を考え出して何かをすると云うより
リアリズム文学に自分の資質があると「宣告」を書いているうちに見出しました  
その後の小説も同じスタイルになる
宗教的な悟りを開いた様な死刑囚も居る   人間と言うのは非常に人によって自分の思っている
ことが違う 
心理的なものを書くよりはもっと霊的なものを書きたいという 中々難しいが それを私は魂と
呼んでいるのですが、 フロイト、ユング、ジャック・ラカン等読んで彼らの影響も受けた
彼らも天才的な人達なので 新しい無意識の世界を開いたと言えるんだけれど それはそれとして
もっと奥に 何か人間の無意識が判ってしまうと言う理論を展開
するんですが、それに合致しない人間が一杯いるんだと言う事を私は気が付いてきたんですよ

大学でユングやフロイトとについて学生たちに講義したし自分でも読んできたがこういう風に人間の
有る面を分析して分析が正しい科学だと言いきってしまうのが
学問なんだけど、学問と言うのはもっと 奥深いもんじゃないか 
人間と言うのはルネッサンス時代、神の秘密を解くために 先ず解剖をしてみるだとか
ニュートンが万有引力を発見するだとか これは皆神様が人間に隠していたと思われるものを
発見して それなりに人間の知識をどんどん増やしていったわけですね
宗教と言うものがあってその宗教的な心で持って神の秘密を解いてゆくのが科学 科学書を
読んでみると皆 例えばコペルニクスが地動説を唱えた時でも
それまで地球と言うのはズーと西に行くと不思議な国がありそれで終わりだとか言っていたのが
、実は丸だったとか 神様が隠していた秘密だったわけですが
それが解けたと 言う風に段々に人間の知識が増すに従って神の秘密がどんどん解かれて
行くんですけれども しかし逆に自分の経験から言えるんだけど
そういう科学的な研究と言うのは何時も限界があってここまでは判るけどここから先は真っ暗で
なにも判らないと言う

  どこまで判るかと言うのが科学なんですよ
東日本大震災の時に 私は思った  専門家が津波や地震の研究をやり 原発をつくったり 
知識の富んだ方々でもやっぱり知らないことがある
神はそれを越えた何かを持って人間に迫ってくる  
そういうことから私自身は段々に宗教的なものに関心を持って 上智大学で多くの神父に会ったり
昭のこともあったし 宣告を書き終えた時に 何とかこの宗教の内側に入りたい 
キリストでいえば洗礼を受けたいと言う気持ちになりました
洗礼を受ける事によってもうちょっと神様の魂の奥底に有る物を教えていただけるのではないかと
言う希望を持ちました

58歳の年に或る神父に苦しくなってきてしまったと告げる 釈迦も偉い、キリストも偉い アラーも大したものだ 奥深い宗教 コーランもキリストを褒めている
あらゆる宗教はまったく違う様に考えられているけれども お互いに非常に近いところに有るので
 峰に登るのにどこから登ってもいいのではないか
私の人生経験が宗教として捉えるように感じた 自分の疑問を全部神父に聞いて行った(4日間) 
復活の問題 イエスは人間であって神であって 質問する
知識によってイエス、釈迦はどうだとかをやるんじゃなくて イエスを認めてしまう   
説教の中にイエスは間違ったことはいっていない これはどういうことだろうと
4日間の中である講演をしていた時に不思議な体験をした スーッと身体が軽くなって 
明るくなって幸せが漂うような不思議な体験が起きた

貴方がた二人(夫婦)は洗礼を受けていいですと神父が言ってくれた
ヨハネ福音書の中に 「風と言うのはいずこからいずこに行くのか判らない しかし 確実に何かを
運んでくる」 霊の世界も又同じだ
正田昭が持っていた聖書にもここにだけ赤い線が引かれていた
霊の世界の出来事はいつどのように行われるか判らない  魂の奥底に隠れている   
心理学が数にできるもの(これはいくつ これはいくつと言うように)
現象だけでは論文にならない  私自身 拘禁ノイローゼがいかに違うか 数で表現出来た 
数で表現できる様なことは心理学の学問でも出来る事
その出来ると言う事はそんなに深い事じゃない 間違いだらけかもしれない 

魂と言う世界は心理学で我々が知っている人間の精神の動きではない もっと真っ暗な中に有るんですよ
空を見て沢山の星が有ると言うけれど 星の占領している部分と暗黒の部分を比較してみたら
暗黒の部分の方が絶対おおきい
判らないものの方が大きい 同じことを人間の精神と魂についても言える  
結局私の判ったことは妻の死と言うものは私には全然判らなかった(私は医者ですが)
妻に対してはそれなりに注意はしていたが、そういうものとは全然違う私自身の力を越えたあるもの
が妻に働いて亡くなったと思うようになった
自分の死も同じようにして全く意外なところからやってくるだろうと思うんです
著書「科学と宗教と死」 に 大震災後に宗教が重要な役割をして行くのではないだろうかと
書いてある

今の日本での宗教の役割は?→科学を越えた或る世界は宗教の中に有ると思っている  
宗教については日本は本当に恵まれていると思うのですが
沢山の偉いお坊さんがいて 素晴らしい本をいくつも書いている  
道元はいくら読んでも判らないが親鸞は判りやすい  人によって違うが 彼らの世界は
科学の世界を越えるなにか 深い思索を持っていると言う事は事実で 今度の場合の人間が
津波や地震に会うことは予見できなかったというのは当然のことで
それを判るためには神の秘密をもう少し努力して探ってゆく  
科学を研究することと宗教をやることは同じレベルで考えられる
宗教を知ることによってもっとわれわれの世界は平和に成るしたおやかになるし苦しみから逃れる
事ができるし 私が経験した喜びの不思議な体験をしたのを
被災した方々も持てるのではないかと あらゆる宗教の人々が一緒になって今の日本の再建或は
被災者の人達の悩みを解く事に協力すればもっと日本は
素晴らしい国になるんじゃないかと思います
  
 今の日本に必要なのは勿論科学の研究、経済の復興 そういうこともあるでしょうけれども 
もう少し深く広く考えると
昔の人が神の秘密を解こうとしていたような謙虚な科学者が出てきてほしい  
その科学者の力によって 災害を何とかよける事が出来るかもしれない
死者に対して祈ることによって 悲しみが無くなるし 少しでも苦しみを無くすことができる
(自分自身の体験から)
宗教、宗教といって一生懸命に本を読んでいるんではなくてもうちょっと祈ると言うだけでも
人間の心は随分喜びに充ちてまいります
日曜にお祈りするだけで大変な喜びですし、満ち足りた気持ちになってくるんですよ 
希望ある未来に向けて→祈りだと思います  神が(自然が)向こうから人間に働きかけてくる  
何かの力で科学者が神の秘密を垣間見せてくれる
自然が我々に語りかけてくる それを良く聞いて人間は希望を持つことが出来る 
  
人間の持つ希望と言うものが神から来たのであれば大きな希望
今にそういう時代が日本に来るのでは   宗教について若い人達がなんも知らないでいる  
宗教をやれば何か超自然的な力を自分が持つとか一時オカルトが
非常にはやりました  あれは宗教ではない  宗教は他人が幸福に成るためにある
 自分ではない 自分自身に何かを与えたまえではなくて あの人達を助けたまえ
他人で苦しんでいる人の為に祈るのが本当の宗教だと私は信じています  
信ずると言う言葉が一番深い意味を持っている
信じると言う事は1%の疑いも無く信じる  宗教による差はない   
親鸞の「教行信証」もキリストと同じような事を言っている
人間の力だでけでなんとか乗り切ろうとしていますけれども 大震災を乗り越えるためには
自然の力への謙虚な気持ちが必要 

謙虚な人達の科学が最も進んだ科学なんですよ   
宗教と科学を全く反対方向のものとして見るのではなくて、同じ自然の中で自然の不思議を解くと
言う気持ち
それは神の不思議を 秘密を、解くと言う気持ちと一致する様に思うんですが  
そういうものが今の日本では一番必要ですし そして人々の平和と安寧、喜びを
見出して 今の人達は頑張ろうと言いながらどっかで無理をして一生懸命にやろうと言う気持ちも
あってもう少し 気持ちをゆっくりと豊かにして
自然の愛というものがある 日本には四季があり美しい森、海がある 
こういう国に生まれた事を喜んで 喜びの上に復興があるんだと思います