千田嘉博(城郭考古学者) ・「『豊臣兄弟』ゆかりの清須の歴史と城郭研究の魅力」
『豊臣兄弟』主人公の豊臣秀長と、秀吉は、今の愛知県名古屋市の出身です。 千田さんは、名古屋市見晴台考古学資料館の学芸員や国立歴史民俗博物館の助手などを経て、2005年からは奈良大学で教鞭を取り、2014年から16年には学長を務めました。 2016年にはNHK大河ドラマ「真田丸」の真田丸城郭考証を務めました。 そして、総合テレビ放送中の「歴史探偵」や名古屋放送局の夕方のニュース情報番組「まるっと!」では城博士千田嘉博の「面白いぜ城歩き」と言うコーナーに出演し、城郭の魅力を伝えています。 現在は名古屋市立大学高等教育院教授、奈良大学特別教授として研究を続けています。
ラジオ深夜便には15年前にレギュラー出演してました。 「大人の旅ガイド」ということで、日本各地のお城の魅力を伝えてました。 真田幸村が築いた真田丸と言う出城のセットをつくりましたが、その城郭考証をしました。
戦国までの清洲は、尾張一の大都市でした。 清洲城を豊臣秀次が城主となって、その城を中心に町全体が堀で防衛されてました。 その外側には、市場町があって店の件数は3700件あったそうです。 清洲には、五条川と言う川が流れていますが、それが伊勢湾につながっています。 川を通じて運搬されたものが売り買いできるわけです。 清洲城は五条川のそばに建てられました。 川が掘の役割もします。
家康の時代になって、城を名古屋に移そうかどうか、家康も悩んだそうです。 家康は、駿府城に住んでいました。 家康が清洲城を点検にすると言うことで、天守閣の点検をしたところ、戸が開かない部屋があって、無理矢理開けたら、男が忍び込んで家康を暗殺しようとしていたようです。 家康は難を逃れることができました。信長の後、どうするかと言う清洲会議もここでありました。 その後、秀吉と家康が戦うことになる。 小牧長久手の戦いでも、清洲城は家康側の要の城になりました。 関ヶ原の戦いでも関ヶ原の戦いの前に、どちらが清洲城握るか重要なお城でした。当時は、山城が主体でした。 けれども清洲城は平地にある川に接した交通の良いところに大きな街とセットになって城下町の先進的なお城でした。
「豊臣兄弟」は、戦国時代のサクセスストーリーになってます。 主人公は秀長になっています。 戦国時代と言うのは、いろいろな国や社会の地域のルールがうまくいかなくて壊れていた時代で、それを改めてどういう風に立て直していくかと言う変革期であったので、天下人になれた時代でした。 この時代の状況と言うのは、今につながるところがあるでないかと思ってます。 昭和の高度成長時代ではうまくいかないと言うことになってくることが多いです。 新しい発想でこの時代をどう切り抜けていくか、地域と地域をどう盛り上げていくかと言うのは、秀吉、秀長時代の発想、努力が今につながるところがあると思います。
城郭に興味を持ったのは中学1年生の時でした。 友達と旅行に行った時に姫路城を見て感動しました。 城郭考古学者と言い始めたのは私が初めてです。 大学時代、当時の考古学は中世、戦国時代などは古文書など文字で調べる時代でした。 城跡を発掘したらいろんなことがわかるのにとお城の考古学をやってました。 いろんな資料を総合しないとお城のことはわからない。 お城を中心に、いろんな資料を統合して、当時の様子をわかるように研究しようと言うのが城郭考古学です。 最近はお城を復元したり、整備しようと言うときには、発掘調査を必ずするようになりましてよかったです。
お城については2000カ所ぐらい調べていると思います。 全国には3万カ所以上お城の跡があります。 愛知県だけで1000カ所を超えています。 海外のお城も研究するようになりました。 日本のお城と海外の城を比較研究することも面白いです。 ヨーロッパのお城と日本のお城では全然違うものと言うふうにイメージされてますが、実はお城の発達の方向性だったり、どういう守りの工夫をするかと言う事は非常に共通性が高いです。 お城は共通性のものはありながらも、実は1個1個は個性的です。 お城見学は、天守閣だけではなく、堀、石垣、櫓、門などもあります。 そういったところに注目していただけるとグッと楽しくなると思います。