長南宰司(元海上保安庁特殊救難隊隊員) ・「海難救助“最後の砦”~海上保安庁特殊救難隊にかけた人生」
海上保安庁特殊救難隊、海難事故が発生すると現場に向かい、時には命がけで救助を行うエキスパート集団です。 「海猿」と言うタイトルで漫画やテレビドラマ、映画のモデルにもなりました。 結成から数々の困難な海難事故で、救助活動を行って来た初代隊員長南宰司さんに、半世紀に及ぶ特殊救難隊の歩みと長南さんの波乱万丈の人生を伺います。
今では年齢70歳を越えて俊敏さは少しなくなってきていますが、身長180cmの大柄で背筋もしっかり伸びていて、色黒の鋭いまなざしは変わっていない印象です。
海上保安庁特殊救難隊は通称「特救隊」とも呼ばれています。 現在隊員は41人、およそ1万5000人いる全国の海上保安官のうち、僅か0,3%という極めて狭き門です。 日々厳しい訓練を行い、卓越した身体能力と潜水技術に加えて、高い精神力と判断力を兼ね備えています。 活動エリアは全国の海です。 活動拠点である東京羽田の特殊救難基地から全国に緊急派遣されて、船が沈没した海に潜ったり、ヘリコプターから難破船に降下したりして、人命救助に当たります。 活動する現場は荒れ狂う海や沈没船の船内など、普通なら近づくことも難しい非常に厳しい環境ばかりです。 危険と隣り合わせながら50年間で殉職者がゼロという驚きの記録もあります。
殉職者がゼロというのは、訓練の賜物と思っています。 訓練も厳しく、素潜りでもブラックアウト(気絶するまで)になるまでやっています。 自分の限界を知るという事です。 1975年に発足、そのきっかけは 前年に東京湾で起きた大型ケミカルタンカー「第十雄洋丸」と貨物船「パシフィック・アレス号」の衝突炎上事故です。 (第十雄洋丸事件) 33人が死亡する大災害でしたが、炎上しながら漂流するタンカーを前に当時の海上保安庁はなすすべがなく、最後は自衛隊の砲撃と爆撃で海に沈めるしかありませんでした。
私も対応に当たっていました。 「第十雄洋丸」は燃え盛っていて、凄い熱さを感じました。 300m離れても熱さを感じました。 貨物船「パシフィック・アレス号」は衝突した時にナフサを被って、全体が一瞬にして燃えました。 一人だけがコントロールルームの中にいて助かった。 その人以外は焼死です。 どんな手段で助けられるのだろうかと考えました。これをきっかけに特殊救難隊が発足しました。 最初に潜水技術に優れた5人が選ばれました。(事故を体験したのは私だけでした。) 隊長は北岡洋志さんでした。 潜水の教官でした。 「愛を持って仕事をしろ。」と言っていました。
最初は建物の壁、屋上を利用して訓練をしました。 ヘリコプターで行って、海岸に降下するやり方は、特殊救難隊が初めて実現させた手法です。 転覆して逆様になった船に生存している人の救助。(一昨年の11月神戸港沖合での転覆事故の生存者の救出の活動の様子 成功例) 成功した時の喜びはあります。 他の国では転覆するとその時点で諦めて、そういった救助隊は無いです。 北岡さんの「愛」が神戸港沖合での転覆事故での隊長にも引き継がれています。
伊豆半島の石廊崎沖の漁船の転覆事故、乗組員がゴムボートで脱出、漂流する。 ヘリコプターで救助せよとの連絡が入る。 救助対象は4人で、ヘリコプターの乗せる定員は3人でした。 夕暮れで時間もないなか、決断をしたのは、私がゴムボートに残ることを決断しました。 シュノーケル、フィン、ウエットスーツ等泳げる道具は持参しました。 断崖絶壁に向かう様であれば脱出しようと思っていました。 長距離水泳訓練とか、滝つぼの中に漁網を設置してその中から脱出する訓練とか夜間での訓練とか過酷な条件下で訓練をしています。実際にゴムボートに向かって行ったら3人でした。 一人の人が「助かった。」と泣きついてきました。 (感動しました。)
私は宮城県塩釜市の寒風沢島の出身で、子供のころは海が遊び場でした。 遊んでいて、大人の人たちに何度も助けてもらいました。 転覆船が沈むとか沈みそうにないという事を直感的に判ります。(子供の頃の経験)
40年間の保安官の最後の任務地が故郷の宮城県の巡視船「蔵王」の船長でした。 退職を間近に控えて3月11日の東日本大震災が起きました。 いかりを入れてあったので「蔵王」は助かりました。 いかりを入れていなかった船は津波で流されたり座礁したりしました。 「蔵王」に乗り込み捜索をするんですが、悲惨な光景ですが、登って来る全く変わらず太陽は綺麗に輝いているんです。 遺体の捜索が毎日続きました。 「遺体を見つけて、そのご遺族の心も救うんだ。」と、隊員に言いました。 「判りました。」と言って出てゆきました。
当時の隊員は私の退官後も遺体の捜索を続け、心が折れそうになった時に、言葉を思い起こしたそうです。 幹部になった人もいて、その言葉を後輩に伝えているそうです。
特殊救難隊の創設から半世紀が経ち、第三管区保安本部赤松本部長からのメッセージ、特殊救難隊を指揮する羽田特殊救難隊基地の岡基地長からのメッセージがあります。
「救える命は必ず救う。 どのような状況であっても我々は最後まであきらめないことを誓い、皆さま方からの激励と特殊救難隊の使命と誇りを胸に国民の期待に応えられるよう、これからも前進してまいります。」
「出動記録」 教訓のような資料になっている。 成功例よりも失敗例への向き合い方。
「夢と感動と情熱」という事を隊員には言ってきました。