2025年11月1日土曜日

宮川大助・宮川花子(漫才師)       ・生かされている感謝を夫婦漫才で伝えたい

 宮川大助・宮川花子(漫才師)       ・生かされている感謝を夫婦漫才で伝えたい

宮川大助・宮川花子さん、コンビを組んで40年あまり、夫婦漫才の第一人者として上方漫才のお笑いを牽引してきました。 その二人が今向き合っているのはがんとの闘いです。 花子さんの腰椎にがんが見つかったのは2018年、血液がんの一種の形質細胞腫と診断されました。 一時は放射線治療が功を奏して回復へと向かいましたが、翌年事態が悪化し身体のあちこちにがんが発生する多発性骨髄腫(白血球の中のリンパ球のうち、B細胞から分化(未熟な細胞が変化して特定の働きを持つようになること)した形質けいしつ細胞さいぼうががん化して骨髄腫細胞になり、骨髄腫細胞が主に骨髄で増える病気)と診断されました。 厳しい痛みと治療に耐える花子さんの介護をにない支え続けたのは夫の大介さんでした。  二人は病気に向き合い、一つ一つ困難を乗り越えながら目標としていた舞台の復帰もはたしています。 大助さんと花子さんの闘病の日々、漫才への思いを伺いました。(2024/8/3のインタビュー)

大助:基本的には完治がしない病気で、科学療法で頑張ってくれています。 

花子:舞台に出て、お客さんがカンフル剤になります。 

大助:90%は僕が台本を書いて演出をやっていて、後の10%は佐藤先生?から貰った台本とかでした。  あの時の舞台では嫁さんが体力がないので、稽古が出来ない。  NO稽古、NO打ち合わせでやりました。 やり方を変えようじゃないかという事で嫁さんは車椅子に乗ったまま、僕は椅子を置いてもらって、二人が座ってこれがほんまの「座漫才」と言いながらやっています。 高齢者をテーマにして、病気をしたりして迷惑をかけるかもしれないが、こんな年寄りにも実は夢と希望を抱えて明日に向かって生きているというのを、漫才で一つづつ一つづつ表現できたらと思っています。

花子:入院生活が長いので面白いことがいっぱいあるんです。 

がんが見つかったのが2018年6年前。転移性骨腫瘍が疑われて余命半年かもしれないと言われたが、形質細胞腫で放射線治療が功を奏して一旦は治まる。 その後多発性骨髄腫と判明。

花子:ショックもええところでした。 抗がん治療が嫌だった。 段々悪くなって歩けなくなってしまいました。  

大助:8か所に転移して、科学療法でしかもう取られへん。 右目の眼球の真裏に10cmぐらいの腫瘍が出来ていて、右目が飛び出すんです。 眼鏡を圧迫するわけです。  首筋にも出来て呼吸がちょっとおかしくなったりしました。  病院に連れて行ったときには意識がもうろうとしていました。 先生からは治っても生涯車椅子は覚悟するように言われました。 抗がん剤の治療が始まりました。(1週間持つか持たないかの状態だったらしい。) 抗がん剤の新しいのが出ました。 それが当たりました。 

花子:当たって6年経ちました。 諦めたらあかんと思いました。 首から下がしびれて全く感覚がありませんでした。  或る時に左足がぴくっと動いたんです。  お腹のところも痒い感覚があり、神経が戻ってきていました。 

大助:先生はこういう事は無いとおっしゃっていました。

花子:リハビリも頑張ってトイレもお風呂も自分で行けるようになりました。 しかし抗癌剤の影響かどうか判りませんが、肺に水が溜まって入院しました。 

大助:すごく汗をかいて、それが外に出ないと肺に水が溜まる様になるんです。 直ぐに救急車を呼びました。(自宅療養中) 今は嫁さんを24時間介護していますが、介護ベットの横の床に寝ています。  世間は介護をして居る大助は凄いなと思うかもしれないが、僕は嫁さんからとんでもない宝物をもろうてる最中です。  人の心の優しさ、とか一生懸命渡してくれています。  大便、小便も両手で受けています。  食べるものも排便も、全部人間が生きているとういう証じゃないですか。  90%は私がやっていて10%は娘がやっています。 大助花子の人生を40年、50年送って来て、嫁さんがひっくり返った時に初めて本名の松下 美智代、松下 孝美になりました。  昔・・・・?姉さんに説教されたことがあります。 寝ても覚めても漫才の稽古、台本のことでした。  「花ちゃんはあんたにとって宝物や。 子供も宝物や。 漫才は宝物とは違うぞ。」と怒られたことがります。 それが今骨身にしみて、ストレスをかけてがんになって、僕が面倒を見るなんておこがましいです。  宝物と思えるようになったのは最高にうれしいです。  主治医、リハビリ、介護士などの方々のほかに身内、友達の応援でいま命を貰っているというのは実感です。 

花子:最初はしんどいし、もうあかんのかなあと思いました。  看護師さんは同じ様に戦っている同士だと思っています。  がんとの闘いにも変化がありました。 諦めたらあかんと思うようになりました。  同じやるんやったら上を向いていこう、死ぬかもわからへんが、もったいない、一日二日。  明るくしとこうと思います。

大助:訪問看護師さんに、「どういう患者さんが一番やりやすいですか。」と聞いてみましたが、「同じ目的を持ってくれる患者さんがいいです。」と言ってくれました。 以前は「あわてず、あせらず、あきらめず」と言う本を出しましたが、今回「なにわ介護男子」を出版しました。  

花子:病気のことをみんなに教えてあげたい。 内容は面白くしたい。  

大助:お客さんから「頑張れ。」とエネルギーを貰えるんです。  お手伝いさんと台本を読んで、それを嫁さんが聞いていて、本人との読み合わせは一切ないです。 ぶっつけ本番です。 嫁さんが休むと僕も休みですからね。  嫁さんが大黒柱です。

花子:漫才をやっていたお陰で安心できる、生きるというのがあります。  この歳にはこの歳の漫才のやり方がると思います。  

大助:嫁さんは夫婦漫才は最初のころは余りやりたくなかったが、今は漫才師だと思っています。  段々僕は介護士の方になっています。 

花子:助けてもらっている命ですので、有意義に使いたいと思います。 色々な方にお礼をしたいと思います。

大助:人が生きるという事は素晴らしいんで、命のある限りご縁に感謝しながら、皆さん頑張りましょう。