一幡公平(カメラマン) ・〔人ありて、街は生き 〕 放送百年、歴史を秘めたラジオ塔を探して
ラジオの電波を送信する電波塔のことではありません。 多くは公園にあって高さが2m~4m神社やお寺にある灯篭か常夜灯のような形をしています。 実はこれはスピーカーからラジオの音声を流す街頭ラジオで、かつては多くの人が集まって放送を楽しみました。 ちょうど100年前の1925年(大正14年)3月日本でラジオ放送が始まりました。 より多くの人にラジオ放送を聞いてもらい普及を促そうと1930年(昭和5年)大阪の天王寺公園に初のラジオ塔が作られその後全国に460基以上が建てられたという事ですが、いまは忘れられた存在です。 そんなラジオ塔を捜し歩き著書にまとめた男性がいます。 岡山県岡山市在住のカメラマン一幡公平さん(52歳)です。 ラジオ塔の何が惹きつけるのか、全国のラジオ塔は今どうなっているのか伺いました。
2011年にたまたまインターネットでラジオ塔の記事を見ました。 翌日公園に灯篭のようなものが見えました。 それがラジオ塔だったという事が判り、そこから興味を持つようになりました。 東京にラジオ塔のある公園がありましたが、リニューアルするときに撤去されていることが判りました。 (その公園ラジオ体操会の発祥の地) 自分で本を作ってラジオ塔を知ってもらう活動をしていこうかなと思いました。 私の本を観た方が岡山市の上伊福西公園にある塔がラジオ塔であることを知って、ラジオ塔を使って地域おこしをしようとして、コミュニケーション出来ないかと考えて、復活させたという事です。 中にラジオを置けるようにして、ラジオ体操に使うようになりました。 子供たちがお茶会で振舞う時にラジオから琴の音を出すという事もしました。
記録では465か所以上あったとあります。 私が観たのは200ちょっとです。 現在残っているのが40か所です。 台湾にも3か所あります。(日本が統治していた時代) 探すのに苦労しました。 1925年(大正14年)3月日本でラジオ放送が始まりましたが、当時はラジオは高価なもので一般には普及していませんでした。 街頭ラジオとしてラジオ塔を作って行った。 第一号が大阪の天王寺公園です。(現存していない。) だいたいが灯篭型です。 ラジオ体操、野球実況中継、相撲、演芸番組などを聞いていたようです。 いろいろの形状で二つとして同じものは存在しません。 昭和14年15年あたりが一番ラジオ塔が多くできた年です。 2年で300ぐらい。 第二次世界大戦が勃発したのが、昭和14年、太平洋戦争が昭和16年。 ラジオ塔が戦争と少なからず関係していると思います。(戦意高揚、戦況報道、空襲警報など) 戦後しばらくは使用されていたようです。
昭和30年代になって来るとテレビの時代になって,、街頭テレビが登場してきます。 そのころにはラジオ塔は稼働していなかったと思います。 作ったのは放送協会、自治体、その場所の所有者が作ったもの、個人の寄付などによります。 大阪城公園のラジオ塔は昭和13年い建てられて高さが2,9m。 JOBK(かつて大阪放送局のコールサインが貼られていた。) の跡が残っている。 京都円山公園のラジオ塔は昭和7年に作られて、高さが3,3m。(昭和57年に修復) 香川県塩釜神社(塩田の神様)のラジオ塔は形の綺麗なラジオ塔で、個人で建てたラジオ塔。 (塩田会社の社長 塩田忠左衛門?) 岡山県岡山市にある斎場稲荷のラジオ塔、最も高くて5m強あります。 かつては駅前広場にあったが、ケーブルカーが金属供出で廃止になってしまって、駅は無くなり今は山にポツンとある。
今のラジオ塔は復活したものが多いです。 台湾にあるラジオ塔は日本の形状とはちょっと違います。 (屋根瓦がある。) 国内では傾いてきているラジオ塔もあり心配しています。 2017年に本を出版した後に、新たに見つけたラジオ塔もあります。(川越市初雁公園) 岡山県浅口市にラジオ塔らしきものがるという情報があり、 見に行ったらラジオ塔らしいが確証はないです。 ラジオ塔は二つとない個性的な形が面白いです。