2025年11月7日金曜日

児玉竜一(早稲田大学教授・演劇博物館館長)・舞台の魅力を届けたい

 児玉竜一(早稲田大学教授・演劇博物館館長)・舞台の魅力を届けたい

児玉さんは昭和42年兵庫県の生まれ。 専門は歌舞伎の研究と評論です。 2010年から早稲田大学教授を務め、2023年演劇博物館館長に就任しました。 

歌舞伎は毎月観ています。  演劇、映画、テレビドラマなども観てはいます。 歌舞伎の生の舞台を観たのは小学校から中学にあがる春休みの時です。  忠臣蔵に興味を持って、歴史にも興味をもって、本も読んでもいました。 そこから歌舞伎にも興味を持つようになりました。 春休みに観たのが忠臣蔵でした。  忠臣蔵のストーリーの魅力、役者、セリフの言い回しの魅力がありました。  生で観るようになるといろいろなところに魅力を感じる様になりました。 中、高校になるといろいろ覚えて来て、自分の中の記憶をどんどん増やしていきました。 

早稲田大学に入って歌舞伎研究会があり、関東学生歌舞伎研究会連盟があり、そことの交流もありました。  同じ演目で同じ役者さんがやるのをよく観ました。  舞台は生もので同じ舞台でも違うんだという事がよくわかりました。  いい日に当たったという幸せ感も判りました。  特に20歳前後に観たものはよく覚えています。  昭和63年に21歳でした。  歌舞伎の世代交代の時期で、17代目中村勘三郎が亡くなったのが昭和63年4月でした。 尾上松綠さんがなくなられたのが平成元年でした。  入れ替わるように、今のトップ、伯鸚さん、菊五郎さん、二代目吉右衛門さん、仁左衛門さんと言った世代がどんどん上がっていきました。 

演劇博物館の副館長を務めていましたが、2023年演劇博物館館長に就任しました。   2028年に演劇博物館が100周年を迎えます。  坪内逍遥が博物館構想を大正期にもって、やがて浮世絵を大量に買い入れて収蔵する場所を作らなければといている時に、関東大震災が来ました。 個人収容の限界を感じて、博物館を考えました。 坪内逍遥の古稀をむかえるということと、シェークスピアの全戯曲の翻訳(40巻)の完成とを期して、1928年に博物館が建てられました。 世界中の演劇と名の付くものであればなんでも集めようという事になりました。  書籍、フィルム、大道具、小道具、衣装、かつらなど沢山あります。(100万点をこえる。)  6代目菊五郎の寄贈の衣装、宝塚歌劇団のベルサイユのバラの衣装もあります。 中国の京劇の使った衣装の一部、楽器などもあります。  現在「日中演劇交流展」をやっています。  演劇を媒介としながら様々な形で、文化人たちの交流が行われています。  北大路 欣也早稲田大学第二文学部演劇専修卒業)さんに関する全貌をお目にかけたいという事で現在展示しています。 かなり自由に一般の人が入れます。 

文学部の教授としても学生に教えています。 日本の演劇の歴史、演劇全般を教えています。 学生には出来るだけ生の要舞台に触れて欲しいと思っています。 AIによる技術は今後進む一方ですが、生で同じ時間と空間を共にしてものを観るという事はどういうことなのか、どういう価値があるものなのか、という事を考えて行かないといけない時代が来ると思います。 生で観ると言う事がどれほど大事かという事を考える大事な要素だと思います。 

映画「国宝」(任侠の家に生まれながらも、歌舞伎の世界に飛び込んだ男が、芸の道に人生を捧げ歌舞伎役者になるまでを描く。)が多くの歌舞伎ファンを惹きつけた。  文庫本(吉田修一)も沢山売れて、歌舞伎に関わる題材を読んでいただいてよかったなと思います。 これをきっかけに生の舞台に新たに来て下さるといいなあと思っています。 自分が観ることのできる世代は選べない。 今生きている我々にしか見ることができない、だからこそ同時に居合わせて観ることができる、という事が味わえる。