神野美伽(歌手) ・演歌を世界に!
神野 美伽(しんの みか)さんは1965年大阪府の出身。 1977年民放のテレビ番組「東西ちびっこ歌マネ大賞」に出演した際、芸能プロダクションからスカウトされ、高校卒業後「カモメお前なら」でデビュー。 作曲家・市川昭介の門下生となって、1987年にNHK紅白歌合戦に初出場しました。 その後演歌だけではなくロック、ジャズ、シャンソンなど様々なジャンルの歌に挑戦しています。
一昨年歌手生活40周年。 『SIZUKO! QUEEN OF BOOGIE』 ~ハイヒールとつけまつげ~と言う、(ブギの女王「笠置シヅ子」の一生を歌と芝居と生バンドで描く!歌とライブ演奏とで送う。)ものの主演をしました。 どっぷり演劇に漬かりました。 コロナ禍があり、6年振りに再演しました。 知っていた歌は6曲ぐらいでしたが、19曲を覚えました。 6年の間に「シズコ」というアルバムを出しました。 NHKの「ブギウギ」も後押しをしてくれました。
幼稚園時代に盆踊とかでやぐらの上で歌っていたらしいです。 太鼓だけで歌っていて、リズムで歌うという事は大好きです。 スカウトされたのは小学校5年生の時でした。 都はるみの「アンコ椿は恋の花」を歌える子を捜していると言いう事でした。 放送されて、スカウトの電話がいっぱいかかって来ました。 電話では断っていましたが、最後のスカウトマンが家まで来ました。 でもまだ考えられないと言っていたら、最後に美伽さんは好きな歌手はいるのか問われて、「岩崎宏美さんです。」と答えたら、ピタッと止まって「宏美はうちだよ。」と言いました。 歌手になりたいと母に伝えて、直ぐに東京に出てゆく事になりました。(子供だったので7年後) デビュー曲を12曲、いろんなタイプの曲を作って頂きました。(演歌でした。)
演歌を違う評価が受けられるところで試したいと思いました。 ニューヨークへ行くことに決めました。(48歳) オーディションがあり、ライブとか全部英語にして送って、或る所で15分あげるというところがありました。 「リンゴ追分」を歌ったりしました。 何年か歌わせていただいているうちに、面白い歌を歌っている日本から来ているアーティストがいるという事で、ジャズや、ミュージシャンの方たちの耳にも届いて、2018年テキサス州オースティンで行われた世界最大級の音楽イベントSXSW(ロックンロール) に日本人演歌歌手として初めて出演しました。 着物を着て演歌をロック風にアレンジして歌いました。 チャレンじしましたが、笠置シズ子さんもそんな方だったと思います。 同時代に会っていたら物凄く共鳴したと思います。
シャンソンだけのコンサートを開きます。 私20代のころから銀座の有名なシャンソンの店に入り浸っていました。(美輪明宏さんとか) 25,6歳の時にフランスへ2,3週間行って毎日シャンソンを聞いていました。 ポイントポイントで導いてくれる先生がいました。出会いが全てです。 人様が私を作ってくれます。 そのために毎日元気でいたいんです。 数年前から病気を持っているという事が判って、手術、入院を繰り返していた日々だったので、危機感を常に持つようになりました。 歌う一瞬のためにどれだけ日々節制して、そのためだけに生きているかという事ですが、やりたいことを一番優先すべきだと思います。この喋っている時間、歌っている時間が物凄く大事だと思っています。