伊集院光(タレント) ・〔師匠を語る〕 六代目 三遊亭円楽を語る 前編
伊集院さんのデビューは6代目三遊亭円楽さんの門下の落語家でした。 伊集院さんと6代目円楽さんとはどんな師弟関係だったんでしょうか。
いまNHKラジオ「伊集院光の100年ラジオ」を担当しています。 NHKの100年に及ぶアーカイブ資料、録音素材を改めて聞いて凄いと思っています。 技術の凄さを感じています。放送日は毎週土曜日午前10時5分からNHKラジオ第一放送、FM放送では毎週日曜日午前11時に放送中。 放送100年をきっかけに出来た放送。 ラジオに出演するようになって40年になります。
6代目三遊亭円楽さんは1950年東京都墨田区出身。 5代目三遊亭円楽さんに入門したのは昭和45年4月、青山学院大学に通いながらの弟子入りでした。 大師匠6代目三遊亭円生さんから高座名楽太郎を頂き、昭和51年に二つ目に昇進、翌年27歳の若さで民放テレビの大喜利番組に抜擢されました。 昭和56年には真打に昇進し、2010年6代目三遊亭円楽を襲名、東西の人気落語家が所蔵団体の垣根を越えて交流する博多天神落語祭、札幌落語祭のプロデュースを手がけました。 2022年4月には江戸東京落語祭開催にも尽力されました。 この時円楽さんは脳梗塞の療養中で出演が叶わなかったものの、8月には高座に復帰、しかし訃報が届いたのは高座からわずか一か月後の2022年9月30日、72年の生涯を閉じました。 6代目三遊亭円楽を襲名した時、落語家は50年やらなければ駄目だという大師匠の言葉を引き合いに、楽太郎の名前で40年やってきた、円楽で後15年やりたいと抱負を語っていましたが、円楽襲名から10年で幕を下ろすことになりました。
僕はひきこもり、上手く学校になじめなくて、高校生の時にこんなはずではなかったと思いながら、高校に行けなくなりました。 逃げ場として寄席に行っているうちに落語に興味を持ち始めました。 親戚で5代目の円楽にはコネクションがあるということでした。 でも弟子が多くて、当時の楽太郎の方がいいんじゃないかと言われました。 何度も土下座をして入れると思っていたら、会ったら即入門が許可されました。 後で知ったんですが紹介してくれた親戚の人は5代目円楽の弟だったんです。 1984年に入門しました。(17歳 師匠は34歳) 理屈で怒るから世代的には大丈夫だろうという事でした。 三遊亭楽大と言う名前は5代目円楽が付けてくれました。 師匠が理論的に怒ったのは良かったと思います。 映画のチケットを呉れて映画を観に行ってこいと言ったりします。 「苦労は芸の肥やし」だというが、「肥やしをやり過ぎると植物は枯れる。」と言うんです。 たまには肥料の調整をしていいんだと言いました。
話の流れ、ギャグの使い方、声の大小など理論的に説明してくれて、納得がいきました。 「失敗をした時により派手に謝ることで、失敗をしなかったよりも下手すればいい効果があるよ。」、と言ったことを言われました。 謝るときには出来るだけ早く大げさに謝るように言われました。 終電の新幹線に見送りに行かなければいけないのに、忘れてしまいました。師匠は名古屋に3日間行っていて、今謝るのか、帰って来て謝るのかですが、僕はバイクで名古屋に行って、ホテルのフロントに直筆で謝りの手紙を書いておきました。 (とんでもない手段を使ってきていることは判るわけです。) 又夜中に長野からの帰りに車で帰って来るんですが、道の指示を僕がやる予定でいましたが、眠ってしまって怒られて、サービスエリアで降ろされてしまいました。 どうやって帰ってきたか面白く話せればOKだというんです。 アクシデントがあった時にちゃんと笑いに変えられれば、俺は許すと言う考え方なんです。
39℃の熱が出ていたが、師匠の家に行って部屋掃除をしたりする予定があり、無理して出かけました。(褒められると思った。) 師匠は怒りました。 体調管理が出来ていないことは恥だと言われました。 今日やらなくてはいいような着物の洗濯屋さんへ持っていくようにとのメモがありました。 自分の家から歩いて5分のところで、要は休んでいいという事でした。 師匠の掌で遊ばされている、育てられている感じがします。 師匠はかっこいいおしゃれな人でした。
1988年に私は二つ目に昇進しました。 落語で行こうと思った時に高校を辞めてしまいました。 退路を断ったことはでかかったです。 同年には第17回NHK新人落語コンクール(現:NHK新人落語大賞)本選に、「子褒め」で出場しました。 最初は勲章を貰えるような古典落語家になりたいという思いがありました。 自分の才能の限界にぶち当たって努力を怠ったりする中で悶々としていた時に、兄弟子だった人が落語を廃業して放送作家を始めました。
その兄弟子から私にラジオ番組に別のキャラクターで漫談をやって欲しいと言われました。 伊集院光の名前で出て、売れ始めました。 あいつは三遊亭の名前が恥ずかしいから、伊集院光の名前で活動いているという事を、大師匠に告げた人がいました。 大師匠は楽太郎師匠に怒ったが、楽太郎師匠は「あいつは馬鹿だから一回やらないと何もかも判らないだろうから、このまま続けさせます。」と口答えをしたら大師匠は烈火のごとく怒ってると連絡が入りました。 楽太郎師匠は大師匠と僕の考え方との板挟みになっているということを聞きました。 伊集院光でやって行くという事で落語を廃業することにしました。